宙を舞う彼女の袖口からは、銃弾も暗器も飛び出した。 脚で薙ぐとかまいたちが起こったし、何より小屋の鉄骨をも切り裂く爪は猛威を振るった。 「どういうことなんだよ!アイツ、暗器なんて使えたのか!!?」 「喚くなスカル!……アイツに銃を握らせてもまるで素人だった……にしたってこの装備の数、何処から出てくるんだ!」 「愚かな」 朝陽は表情を変えることなく、そして軽やかなステップを踏んで、それこそ踊るように立ち回る。 しゃなり、しゃなり。髪飾りが囁いて、瞬く間に目前まで迫った彼女が繰り出すのは、拳でも脚でもなく暗器や刃。 ふと、鼻につく鉄臭さが強くなったことに気が付く。ずる、と足元が滑って、危うく避け損ねるところだった。そして、理解した。暗い視界ではうっすらとだが、足元には血だまりが出来ていた。 「スカル、あなた血を流しましたか?」 「あ?そこまで脆くは出来てねぇ!死ななくても当たれば痛いんだ、今のところぜんぶ避けてる!」 「……そういうことか、」 同じく勘付いたリボーンが、無線機を介してヴェルデに指示を出す。 すると地中から彼の開発した自動走行ロボが掘り出してきて、照明により小屋中を照らし出した。 あたりは目に痛いほどの赤……血痕で彩られていた。 「……成程、どういう原理だかわからねぇが、これで被害者の死因が統一できない理由も説明がつく」 『ふぅん、君の言う通りみたいだラル・ミルチ』 今まで一言も発さず様子見をしていたバイパーが、不意に零夢の背後に姿を現した。 幻覚の触手が彼を縛り上げ、腹を貫く。血が噴き出すもしかし動揺した様子はなく、零夢はむしろ愉快そうに声を上げた。 「おおっと!成程、これが幻覚……知覚を支配される感覚か!」 「ずいぶん余裕そうだね」 「俺に怖いものはないからさ」 親子の信頼ゆえか、父が捕らわれたのを見ても朝陽は一瞥するのみ、躊躇することなくこちらに攻撃を仕掛けてくる。死なない人質では確かに威力などない。しかしバイパーはそれを見越した上で朝陽にも触手を伸ばした。触手は鋭い針となって彼女に襲い掛かる。 「あくまでこれは確認作業なのさ」 素早く避けてみせる朝陽だが、隙を縫うように針は彼女を襲う。突き刺さりこそしないが、袖を傷つけて鮮血を迸らせた。白い装束は血で染まるためのものなのだろう……じわりと染み込んでいく様は、まるで彼岸花が咲いていくようだ。 破けた袖からは、たった今バイパーがつけた傷以外にも既に猟奇的な傷が皮膚を裂いており、おびただしい量の血が滴っていた。舞血姫の異名は、獲物の血液のみならず己の血液をも散らすことを意味していた。 バイパーは納得いったように頷いて、触手を引きながら周囲を見渡して言った。 「やっぱりね。傷が塞がらないところを見ると、不老不死の子でも朝陽自身は不死じゃない。……かといって、これだけの量の血を流したところでちっとも消耗した様子じゃないところをみると、せいぜい長寿の類かな。どうせ彼女自身にも身体強化を施してあるんだろう。それに君は、50年ぶりに他人と話すといった。朝陽も、違わず不老なんじゃないのかい?」 「さすがに世界のエリート集団ともなると粒ぞろいだ、各々状況判断が早くて面白いなぁ。そうだよ、化け物と人間のハーフである我が子は、見目でなく中身が俺に似たんだ。不老長寿の娘と不老不死の父。朝陽の成長は40年くらい前に止まってるよ」 『そして先ほどからの話を聞くに、お前は何やら娘で実験をしているな。いくら不老長寿とは言っても、血を自在に凝固させて武器にできるわけがない。自分がかつて行われたように、娘もモルモットにするとはいい趣味をしている』 「フフ、それは言いがかりだよヴェルデさん。これは彼女の同意のもと成り立った計画だ。そうだねぇ、文字通り出血大サービスってことで、もう少しネタばらしをしてあげよう。俺の血を輸血しただけで、彼女は化け物に足る力を得た。……この意味が分かるかな?」 『お前とはいい友人になれそうだが、生憎私にとって世界の万物は研究対象だ』 「そう?それは残念」 屋内を照らすヴェルデの機械がスピーカーとなって、彼の言葉を不敵に笑む零夢へと届ける。 バイパーは零夢の拘束を解かぬままに、朝陽に向けて手を翳した。 「とにもかくにも、君は朝陽をボクらで試しているね。だから標的である僕らを殺すことはできない、朝陽が始末するのを高みの見物……ってとこかな」 「まぁ、そういうこと。ちなみに、朝陽に君の幻覚は通用しないってこと覚えてる?」 「ムムッ、覚えてるとも、ひどい屈辱だったからね。だから今回は戦法を変えたのさ」 パチンと乾いた音を響かせて彼が指を弾く。朝陽はそこから金縛りにあったように動きを止め、もろに崩れ落ちていき床に倒れ伏した。しかしすぐに持ち直した朝陽には、やはり金縛りという脳の概念が効果を成すことはない。そこでバイパーは続いてサイコキネシスにより周囲の椅子で動きを封じ、ロープを用いて縛り上げた。 「ボクはただの術師じゃない」 「ふぅん、一流のサイキッカーっていうのは噂じゃなかったのか」 『以前朝陽の身体を調べたときには驚いたよ。まさか脳が通常の人間より半分も小さいとはね……化け物の血による奇形が脳に現れることは予想していたが。彼女のやや知恵遅れな部分は、脳が人よりも小さいことからきているのだろう。その分自然の中で生きてきた本能の部分が動きの機敏さで補っている』 「でも、自称一流のサイキッカーだって朝陽は贄に捧げたことがある」 拘束力にも負けじと無理やり身体を起こす朝陽。バイパーは締め上げるように翳した手のひらをじわじわと握っていくが、朝陽はそれでもなお抵抗をやめない。 ショットガンと拳銃が向けられ、朝陽は気配に気付くなり血でロープを裂くと先ほど以上のスピードで地を蹴った。その威力は床がクレーター状にへこむほど。瞬間移動したかに見えた彼女の行先に先回りした私は、突き出された手のひらを躱して肩に一撃をくわえる。痛みに僅かに表情を変えた彼女だが、然程ダメージはないらしい。稽古をつけていたのが仇になったか、私の呼吸をうまく計れている。 「こうしていると、まるで何も変わっていないように感じます」 「何をとぼけたことを!戦闘中に話すとは余裕だな」 「そんなことはありませんよ……ただ、朝あなたを起こして朝食をともに済ませ、爽やかな青空の下で毎日のように手合せをしたことが懐かしくて。あなたがうちを出て行ってまだ1週間ほどなのに」 最初こそ私にはかなわない、と言っていた朝陽が、稽古を重ねるたびに私にも負けずと劣らぬ強さを手に入れた。いつもあなたが避けきれない拳は寸止めしてしまう私に、痛みで身体は覚えていくのだからと不服そうに頬を膨らませては拗ねていましたよね。 さすがに本気の殺意を向けられてはこちらも本気で返さずにいられない。でも、命は奪わない。奪えない。きちんとケリをつける、そういう約束で仲間には取り逃がさぬ程度以上に手を出さぬように頼んだのだ。 「我は父上とずっと共にある!お前なんて知らないッ」 「……本当に、何も覚えていないんですか」 「覚えるも何も、お前と我に関わりはない。あるとすれば、以前強襲されたときに刹那合い見えただけ」 「では、私や、仲間と作ってきた数か月の思い出も」 「思い出?……我の思い出、母上をマフィアに殺されたことか?父上と二人ぼっちで過ごしてきた数十年?それとも、」 手を止め、私の質問に答える朝陽。 その黒曜石の瞳の内で、僅かに光が揺らいだ。 「我を友と呼んだ人間を、殺したこと?」 声が、震えていた。 「何故お前は、我を知っているんだ。我の何を知って、朝陽と呼ぶんだ」 「……私の知っている朝陽は、動物にも草木にも優しく、少々男性嫌いのある、笑顔のすてきな少女です」 「我が、笑う?おまえは、何を言っているん、だ。我は舞血姫だ、生あるものを狩り殺して、悪なるマフィアの血を母上に捧げる。我は、母上の代わりで、優しさなんて、」 「あなたが最初から血を使った攻撃で消耗しているのは、友だと言った私の仲間たちを自分の手で殺してしまうことに、深層心理で恐怖しているから。私には拳で立ち向かえたのも、日頃から手合せをする機会があったから」 「違う!違う、違う……!」 「なら、どうして怯えているんです」 朝陽として、自我をもって過ごせていた私との数か月よりも、父と呼ぶその男と過ごした時間の方が長いにも関わらず、精神が脆すぎる。 きっと、追われていた頃は曖昧だった“友を殺す”感覚に加え、平凡に友と過ごす感覚を知ったために罪悪感が芽生えたのだろう。 そして、きっとこの子は元より感情に乏しかったわけでもないのだろう。母を殺した者たちへの恨みと、自身が母の代わりであることで心を殺し、押し込めていたに違いない。殺すことに疑問を抱き始めたら、彼女は生きていけない環境にいたのだ。 「記憶になくても、あなたの全身があの日々を覚えている」 「知らない!!!……知ったようなことを、言うな……我は、わたしは、」 がむしゃらに叫ぶ朝陽を見て、胸が軋む。 恋した相手に私を覚えていないと言われて、傷つかないわけがない。 頭から水を被ったときのように全身を血で濡らしている姿を、平気で直視できるわけじゃない。 傷だらけだった体が、虐げられたせいではなく自らつけたものだと知って、心が痛まないはずがない。 小さな幸せを見つけて笑ったあなたが、ただひとりの願いを叶えるためにとぼろぼろになるのを、黙って見ていられるはずがないんだ。 「何をしているの舞血姫。無駄が多すぎるよ、演舞にもメリハリがなくちゃ聴衆者(おれ)を楽しませることはできないよ?」 さっきまで明朗快活に言葉を綴っていた口で、彼は我々をも底冷えさせるような凍てついた声で囁いた。 「さっさとそいつらを殺すんだよ。ほら、手始めに目の前の武闘家をさ」 「…………ちち、うえ……」 「あぁもう、しょうがないなぁ。お手本は一回だけだからね?」 肉を裂く音がした。 「ッアア!!!」 「朝陽!!!」 「ほら、昔もこうやって教えただろ?ちゃんと上澄みだけじゃなくてナカまで破くんだよ。それから骨を折ってやって、」 「あああああああああ」 「血を流した後に、内側から突き破ってやれば、ほら」 バイパーに拘束されていたはずの彼は、躊躇なくバイパーの心臓を引き抜いた後、俊足で彼女の前に躍り出た。バイパー自身は幻覚だったため霧のもやとなって消えてしまう。 体内の血液を搾り取るように、彼は朝陽の左腕を痛めつける。 骨折、裂傷による肉切断。治癒能力は人より高くとも、彼女だって殺そうと思えば殺せてしまう寿命ある人間。皮膚と肉の裂け目から骨が見えるほどにまで痛めつけられたところで、彼女は意識を失えなかった。 「君なら片腕もあればなんとかできるだろう?片足で熊を仕留めたこともあったんだし」 「ア……ア……、」 「ほらぁ、君が死んでる場合じゃないよ!?早く俺を殺せるくらいに強くなってよ!!!」 瞳孔が開いて、獣のように息巻きながら彼女を叱咤する零夢の形相は、まさに鬼獣と呼ばれるに相応しい醜さを放っていた。 今にも噛みつかれて殺されそうな彼女は、実の父を前に血泡を吹きながら、それでも目を逸らせずに涙を流して、意識も途切れ途切れにつぶやいた。 「たす、け、て 風」 轟音が小屋そのものを揺るがして、爆発的な炎圧が屋根の瓦を骨組ごと吹き飛ばし、鬱蒼とした空模様を映した。 「わぁ、生で見たのは初めてだ。今のが108の拳法のひとつ、爆龍拳?」 「朝陽から手を離しなさい」 「あははっ、危うくこの子ごと丸焼きにされるところだったよ」 上衣を捨て、肩に彫られた龍の刺青を相手に向けるように肘を構え、気迫で空間を支配する。 突き刺した爪を彼女の腕から引き抜いたのち、彼はひどく不気味で醜悪な笑みを浮かべ、私に向き直った。 「気が変わった。一人くらい殺したって仕上げのクオリティーに差はないだろう」 「死なないのなら死ぬまで殺すだけです」 [前] [次] back |