がさり、


「っ!」



風に乗ってきた気配を辿るように走っていると、川に出た。
そこには、薙ぎ倒された木々が広がっていた。

一人の青年を中心として。


「………、」

「ん…あれ?お兄さんどうしたの?」

「……少女を、探しているんです。…見掛けませんでしたか?ちょうど貴方くらいの年の子です」

「嗚呼、いたよ。あっちにずっと行ったところ。木の上に居たから気付かなかったかもね」


青年はつぃ、と余った袖を垂らしながら北西を指す。
気配に敏感な私が木の上に居たから、それしきの理由で見逃す筈もない。…それだけ、精神的に追い詰められていたのか。


「謝謝。…では、私はこれで」

「うん。……朝陽をよろしくね、イ・プレシェルティ・セッテの風さん」

「っ…!!」


ぞくり。
冷気が背筋を這い上がってくる。

私の裏社会での名を知っている。…やはり、この青年は。
今回ばかりは素通りしたかったのだけど、そういうわけにもいかないらしい。


「…舞血姫には、会えましたか」

「うん。残念ながら俺のことは忘れてしまったみたいだったけど…大丈夫、俺たちには見えない絆があるからね」

「それはそれは。……では、何故私に彼女の居場所を?」


言いながら、唇を噛み締めた。
私が今言っていることは、朝陽=舞血姫を肯定するようなものだから。
私が情けなくも諦めた心持ちで問うと、フードの下から覗く陶器のような白い肌に三日月を浮かべるようにして微笑うと、青年は言った。


「あの子は、絶対に捕まったりしないから」

「……、」

「投獄される理由も無いし、そんな柔でもないし。
記憶が戻るまでは、面倒見てあげてよ。

…嗚呼でも、朝陽自身が貴方のことを疑ってるから無理な話かな?」

「………っ、」

「ま、頑張って。俺としても、またどっか行方不明になられるより貴方のとこに居てくれた方が何かと都合良いし。


記憶さえ戻れば、あの子は自分の意思で俺のもとへ帰ってくる」



確信に満ちた笑顔が、私の胸の奥に太い太い杭を打ち込む。
ずきずき、痛みが次第に増していく。

何も言えず、ただ唇を血が滲むんじゃないかというほど噛み締めて眉間に皺を寄せる。

それを見て上機嫌に薄く笑うと、「じゃあね風さん」と一言、地を一蹴りして跳躍、そのまま川が流れ落ち滝になっているその向こうへと消えた。


…私は、混乱していた。

彼の…零夢の、言葉は、朝陽と舞血姫は別人物とも取れるし同一人物とも取れる。
投獄される理由が無い。でも、記憶を取り戻せば朝陽は彼のもとへ己の意思で帰る。


朝陽は、舞血姫なの、か?


いたよ。あっちにずっと行ったところ。



ゆっくり、足を踏み出す。

それから早足、駆け足、疾走。


朝陽自身が貴方のことを疑ってるから


つきん、


痛む心臓。



「…私らしく、ないですね」


いつだったか。
イ・プレシェルティ・セッテの定例会議で、ラル・ミルチに着いてきたコロネロに言われたことを思い出す。

お前、考えすぎなんじゃないのか?
慎重過ぎても戦場じゃ生き残れないんだぜ。コラ!


そうですね…考えすぎかもしれない。


たまには、深く考えずに走り抜けるのも悪くないかもしれない。



頬を走り抜ける風から、僅かに彼女の日だまりのような気配を感じ、更に足を速める。

会ったら、何と言われるだろうか。
いや、何も言わずに逃げられてしまうかもしれない。
なら追い掛けるまで。鬼ごっこは得意なんですよ、私。


朝陽に会いたい。

嫌がられるかもしれないけれど、それでも。


確かめるより先に、伝えなければならないことがある。



所謂開き直り、というやつですよ。

独り、自嘲の念から来る微笑いを浮かべた。




君のもとへ、今すぐに。




***







「…………、」


分かったこと。

…我は髪が長かったこと。
それも腰まで。長い、長すぎる。重たそうだ。


周囲に人の気配を感じない。さくさく、草を踏みながら歩いて木の実に触れる。
空腹…は、何処かへ行ってしまったらしい。吐き出したくなるほどの満腹感が腹の底を這いずり回る。


木の下に体育座りをして、顔を伏せ、周囲の音だけに集中した。



とくり、とくり。

我が生きているという証。…心音。


風は、我を助けた。
ここに居て良い、そう、言ってくれた。
ここで、ゆっくり思い出そう、と。


ここで、新しい思い出を作ろう、と言ってくれた。



我は、少なくとも嫌じゃなかった。だから、身を置いたの、に。



風は、我が嫌になった?


だから、意地悪するの?




居て良い、あれは、嘘?


我は、




居なければ良かった…?



がさがさ、

木の葉が掠れ合う音が騒がしい。
誰かが、こちらへ来る。


木の葉の音に混ざって素早い足音も聞こえる。
この、足音、は。

我は、立ち上がると少し助走をつけて、木の上へと跳び上がった。
足音は正確にこちらへと向かってきている。やり過ごすことは出来なさそうだ。

そのまま跳躍して木々を跳び移り、足音とは正反対の方向へ逃げる。
それでもまだ、足音は近付いてくる。
いや、速さを増して追ってきている。

早く、速く逃げなきゃ。


このままでは、我は何をどうしたって風の迷惑にしかならないんだ。



逃げて、逃げて、貴方のいないところへ。



優しくされて後から嫌な思いをするくらいなら、最初から優しさも何もないところへ行ってしまおう。




がさがさ、がさがさ。


これは、

木の葉の音?

それとも、

我の胸のざわめき?




「朝陽!」



思わず、足を止めた。

ざわめきの中に凜と響くその声音。
先程の弱々しいものとはうって変わって、確信に満ちた、我を呼び止める声だった。



「……何、」

「待ってください、朝陽」

「…どうして」

「……私の話を、聞いてほしいんです」


気配ですぐにわかった。
風は、今我のいる木の下の少し後ろから、我を見上げて話している。


わかった、けど。

風の方には、向けなかった。



「リボーンがあなたに強引に手を出したことは、私から謝ります」

「……そう」

「こんなことになるくらいなら、無理を言ってでも彼には帰ってもらうべきでした」

「………」

「…朝陽、」

「嫌だ」

「あの、」

「嫌だ!!」



何故かムキになってしまう。

嫌なんだ。
何故か、あそこには帰りたくないんだ。

我はどうして、リボーンに捕らえられそうになって、恐怖でなく好奇心を抱いたんだ?
今にも飛び掛かって手合わせがしたくてしょうがなかった。
確かに怖かった、けれどそれは今まで男と関わってきたときのそれよりも強くて、少し形の違うものだった。



我は、自分が、怖い。



男にしろ女にしろ、誰とも関わらなければきっとこんな恐怖味わうこともなくなる。

自分が誰なのか、誰だったのか。不安になって、ドキドキすることも減る。


全部、一人になってしまえば感じない。




心を、閉ざしてしまえば、





「朝陽」


それはすぐ近く、耳元で聞こえた。
思わず振り返る。

我のすぐ後ろに、風が立っていた。
いつの間に音も立てずに木に上ってきたんだ。


我に触れようと伸びてくる手を、無造作に叩いた。
風が、一歩踏み出す。
我が、一歩後退る。

風は、真っ直ぐに我を見据えて、小さく、小さく言った。



「行かないで、ください」



ずくり、痛む胸。

苦しい。
風と目を合わせているのがつらい。

我は顔を顰めた。



「…………、」


ふい、と顔を横に向ける。

痛い、苦しい。
やめて、我を見ないで。



「朝陽」

「我は、帰らない」


視界の端で、風の眉間に皺が寄り眉尻が下がった。



「風も、…他の男と一緒だ」

「な、」

「我に関わるな」

「…………」

「……一緒にいると、気分、おかしくなる」



言葉を、もっと学んでおくんだった。

どうして、こういう言い方しか出来ないのだろうか。
風と過ごした時間は楽しかった。安心、出来たんだ。

でも。我の前で優しいふりをしていただけなんじゃ、って。
仲間を呼んで、どうこうしようなんて輩、今までたくさんいた。


我、風を信じられない。



「……約束、出来ません」



風が、静かに、力強く言った。

初めてだった。
風が、こんなふうに言ったのは。

一度俯いて、数回瞬くと、もう一度我を見据えて風は唇を開く。



「嫌がられても、私は朝陽に関わります。一緒にいます」

「……何故、」

「私が、そうしたいからです」

「…………意味が、分からない」

「朝陽と、一緒に過ごしたいんです。


明日も、明後日も」



言葉にできない。
息苦しさが増して、無意識に歯を食い縛る。


でも、と我が言おうとしたその時。


「私に、朝陽との思い出を作らせてください」




明日の我は、

明後日の我は、


風から離れたとして、
思い出と呼べるものを作れるか?


記憶のない我に思い出はとても魅力的で、
本当に欲しかったもので。

思い出は、誰かと一緒でなければ作れない。
風は、一緒に思い出を作ってくれるだろうか。


いつかまた、忘れてしまうことがあっても。
風は、許してくれるだろうか。



我の記憶が戻って、我が誰か分かった時、
一緒に受け止めてくれるだろうか。



「我と、生きて、くれるか?」



風は、優しく頷いた。






***






「…朝陽」

「リボーン、もっと優しい声を出してちょうだい。朝陽ちゃんが怖がるわ」

「悪かったな、これは地声だ」



私が頷いたあと、朝陽は私をじっと見つめたまま、そうかと言って微笑って、夕飯は参鶏湯がいい、とだけ言うとひらりと木から飛び降りた。

私も後を追うように木を降りると、なんと朝陽から手を繋いできた。
振り払うどころか、初めて朝陽と心を通わせた接触が出来たことに喜びを覚えて、抑えきれずにやけてしまった。
朝陽から触れてくれるなんて。以前は近寄っただけで睨まれたというのに。
二人で歩いている間、特に話しはしなかったが、その沈黙もまた心地がよかった。


そうして二人で私の家まで戻ると、庭先でリボーンとルーチェが迎えてくれた。
朝陽は、リボーンを視界に捉えた瞬間硬直し、直ぐ様私の陰に隠れてしまったのだけど。
やんわりと私の服を掴んでいるあたり、可愛らしいと思って微笑んでしまう私をリボーンがギロリと睨み付けた。


「笑ってんじゃねーよ、風」

「すみません、生まれつきなもので」

「ふざけんな、明らかに意識的に笑ってんだろうが」

「ちょっとリボーン!」

「……チッ」


怒気というより殺気を孕んだ声に朝陽が萎縮してしまったのを見かねてルーチェがリボーンを咎める。
リボーンはボルサリーノの鐔(つば)をつまんで目深くすると、機嫌悪そうに舌打ちをした。
(もっと気を長く持ってもらえると付き合いやすいんですが…)


「……朝陽」

「……………」

「………朝陽」

「………何」

「…………悪かったな」

「!」

「その、……急に詰め寄ったりしてよ」

「…………」

「お前の左二の腕を、確認させて欲しかったんだ」



すると朝陽は息を詰まらせ、唸るような声を洩らした。
左脇を振り返ると、俯いて難しそうな表情をした朝陽がいた。
…やはり、左二の腕には見せられないもの─焼き印─があるのだろうか。
零夢の言葉を思い出しながら私は思案顔を浮かべた。


「…朝陽。無理はしなくていいんですよ」

「おい、風」

「リボーンは暫しの間口を出さないで頂けますか」

「………。」

「朝陽、嫌なら嫌と「いい」…え?」

「いい…見せる。…ただ、風だけがいい」


リボーンとルーチェに目配せをすると、リボーンはそっとため息をつき、ルーチェは微笑んで「構わないわ」と言った。

他者に見られたくないことを察した私は、もう一度庭から森へと踏み込み、木陰まで朝陽を連れ出した。
朝陽はもじもじと手を組み合わせたり腕を擦ったり、視線をあちらこちらへと忙しなく泳がせたりとらしくない行動をしだした。

私はその様子にくすりと微笑うと、嫌なら無理をしないでください、となるべく柔らかい声を出した。
朝陽はふるふると頭を振って、おずおずと服の袖に手をかけた。


「……我、これ見られた人間、避けられた」

「そうでしたか」

「風、見ても避けない?」

「ええ、勿論」

「……本当か?」

「信じてください」

「………我明白了(分かった)」



朝陽は、するすると袖を肩口まで滑らせる。
細い腕に白い柔肌が、とても美しく見える。華奢な肩に袖をたくしあげると、私に二の腕が見えるよう腕を胸の前へ持ってきた。

白い肌に、痛々しい火傷の跡がある。
それはただの火傷ではなく、紋様を表していた。…焼き印だ。


だが、


















「…………これは、」



そこに描かれていたのは、虎の紋様ではなかった。
見たことのない紋様。…これでは、朝陽が舞血姫だということの証明にはならない。



あの子は、絶対に捕まったりしないから



…そういうことか。




「……もう、いいか?」

「…えぇ。謝謝、朝陽」

「うん…」


朝陽は袖を元に戻すと、小さく安堵のため息をついた。
張り詰めていた緊張感が解ける。私は無意識のうちに彼女の頭を撫でていたが、ぴくりと肩を震わせるだけで、嫌がられなかった。


「お腹、空いたでしょう?夕飯までの繋ぎに餡まんは如何ですか?」

「…食べる」

「ふふ、では戻りましょうか」



朝陽と共に庭へと戻る。
リボーンとルーチェは、まだ縁側に居て、ルーチェがお帰りなさいとまた微笑った。


「ルーチェは泊まっていかれるんですよね」

「えぇ、結局今日は朝陽ちゃんと何処にも出られなかったから」

「……対不起(ごめんなさい)…我が外に逃げてしまった、から」

「朝陽ちゃんが謝ることないわ、リボーンが悪いんだからっ」

「だから…謝っただろうが」

「ま、それもそうね。それに、お買い物ならゆっくり1日かけて行きたいものね、今日より明日の方が得策でしょう?」

「そうですね。では、私は客間に荷物を運んで来ましょう」

「え、いいわよそんな…」

「ルーチェ、貴女は今や命を身籠った身なのですから、少しは気にしてくださいね。荷物運び程度ならいくらでも引き受けますから」

「あら、じゃあ明日もお願いしようかしら」

「えぇ、勿論ですよ」

「朝陽ちゃん、今日は一緒に寝ましょうね」

「え……」

「ふふ、怖がらないで。ゆっくりお話しましょ♪」


私はリボーンに目配せをすると、私と一緒にルーチェの荷物を持って居間を出た。
勿論ただ手伝って欲しかった訳などではない。



「…で、どうだったんだ?」

「資料の物とは全く違う焼き印がありました」

「何…?」

「舞血姫としての証拠にはなりません。記憶がありませんから自供も無理です」

「……だが焼き印はある」

「…彼女が例え舞血姫でないにしろ、過酷な人生を送ってきたことに違いはないでしょう」

「……そうか」


客間に着いて、障子の襖を開く。
ここは唯一我が家で畳張りの和室だ。最初に朝陽を運んできた部屋でもある。


部屋の隅に荷物を運ぶと、ふと思い付いてリボーンに告げた。



「そういえば、貴方は泊まるんですか?」

「今から俺に一人で飛行機に乗ってイタリアへ帰れと?」

「……私の部屋で良ければベッドがありますが」

「構わねぇ、床で寝るよかマシだ」

「……分かりました」



私はそっとため息をついた。





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