「ここなら、見つからないかな」

「…追われてる?」

「まぁね。でも、君も、だろ?」


否定はしなかった。
今は風の顔を見たくない。見ると、気持ちがぐちゃぐちゃして嫌な気分になる。それに、…今は風を信用、出来ない。


やって来たのは森の奥の滝壺付近。ここならある程度話をしても水の音で掻き消されるだろうし、随分と奥まった場所にあるから見付かるのはそう簡単でもない。


男はにこり、口元だけで笑うと、木の上から見下ろす我に声をかけた。


「降りてこないの?」

「……男は、信用、しない」

「おやおや…俺が目を離した2年間のうちに変な教養を身につけたようだね。……まぁいいや、おいで。俺は怪しいやつじゃない、分かるだろ?」


返答はしなかった。木から降りることもしなかった。
我の記憶に関与する人間だということはなんとなく分かっている。だが、素直に言うことを聞けないのも本心だった。
それは、未だこの男に不信感を抱いているからなのか、それとも……───風に、後ろめたさを感じる、から?
頭を振ってぐるぐるかき混ぜられるような思考を取り払う。男を見下ろして、小さく問い掛けた。


「お前は…、誰?我の、何を知る者?」

「それは教えない。ちゃんと思い出さなきゃ駄目、じゃないと俺悲しくて泣いちゃうよ?」

「………」


あはは、と軽く笑いながら滝壺の淵まで行って腰掛ける。足をだらんと滝壺に垂らして、底の見えない水面下をぼんやりと眺めているようだ。


「……お前、我と…星を見たこと、ある?」

「星?……嗚呼、あったねぇ。そんなことも…

って、覚えてるじゃないか」

「違う。その記憶しか、ない。その記憶と、ここ2年間と最近の記憶以外、それ以前のものは、全て欠落してる」

「ふぅん…、成る程、じゃあ俺のこともきれいさっぱりって訳だ」


足をぶらぶらさせながらしっとりとした声音で言う男。声色と風貌(…というより背格好)からすると、我と同年代のように思える。

我と同じ、袖丈の長い中国服。気が付いたらこれを着ていた。だから、何かを繋ぎ止めるように似たような服ばかり選んで着回していたけれど…この、袖が長いことにも何か理由があったのだろうか。


「…ねぇ、笑って見せてよ」

「……?」


ふと、突然思い出したかのように言った男。
笑う、ということに慣れていない我は言われてすぐに笑えるわけでもなく。無表情のまま、首を横に振った。
すると、「そっか」と笑う男。一人滝壺を見下ろすのは飽きたのか、再び我のいる木の下までやって来た。


「よっ、と」

「っ!」


軽く跳躍し、一発で我のいる上方の幹までやって来た。一歩身を引けば、「そんなに嫌がらないでくれよ」と苦笑を浮かべた。相変わらずフードで目は見えないが。


「ふぅ…木登りなんて久しぶりだ。年配の身体にはキツいね」

「……?、何を、言ってる?」

「んー?」

「お前、若い。年配、違う。そうだろ?」

「………、あ、そっか。その辺のことも忘れてんのか」

「…?」


始終首を傾げている我にごめんごめん、とまた苦笑いする男。
なんだかよくわからない奴だ。

我が眉間にやや皺を寄せて、こいつは我の何だったろうかと考えていると、男の視線がずぅっと我に向いていることに気が付いて睨み付けてやった。
男は動揺するでもなく、またしっとりとした声音で呟いた。


「髪…切っちゃったのか」

「…?……2年前は、我は長髪、だったのか?」

「うん…そりゃあもう、腰まで伸ばしてたよ」


邪魔そうだ。
想像して思ったのはその一言に尽きる。動くたびに揺れる髪など、重くて邪魔なだけにしか思えない。…が、男にとってしてみれば、そう簡単なものでもないらしい。

我の後頭部の髪の毛先をじっと見つめながら、ため息のようにそっと呟く。



「あんなに、そっくりだったのに…


やめて、しまったんだね」



その声は何処か寂しげで、そして我に向けて言ったものとは違うようにも受け取れた。
まるで、我と誰かを重ねて見ているような。我の向こう側に向けて、声をかけているような。
その感覚に何故か背筋がぞくりと粟立って、また一歩身を引いた。


「……鈴…、」


りん?


誰の、こと?



ガサリ、


「っ!!」

「…おっと。俺の方の追っ手が来たみたいだ、じゃあ行くよ」

「…ま、待てっ」

「早く俺のこと、思い出してね。朝陽」



すとん、と木から飛び降り着地すると、男は素早く駆け出し草木の合間に消えていった。

…我はまだ何も、話を聞けていない、のに…。


いつの間にか先程木の葉の音を立てた連中も消えており、気配は我ただ一人になっていた。
ぽつんと残された木の上、我はまた考え事をしていた。



「(男だったのに…)」



何処か気を許していた。
それはやはり、我の記憶に関係する人間だからだろうか。
ならばあいつは我の何だと言うのだろう。兄弟…?いや、そんな感じではなかった。
そして、男の我に向ける何処か悲壮感の入り交じった見透かすような視線にやけに胸が痛くなった。我ではない、我に重なる誰か≠見つめるその視線が、痛い。



「我は…」



誰?


貴方の中の何が、我?





***


「止まれ!」


相も変わらず飽きもせずに追いかけてくるマフィアの連中に俺の方が飽きてきた。
久しく会ったあの子は俺を忘れているし…計算にズレが生じている。まぁ、それが分かっただけでも今回の報酬としようじゃないか。
今からなら幾らでも計算に補正を加えることが出来る。まずは近々彼女を迎えに行かなければ。…、嗚呼でも、それまでに彼女が少しでも記憶を取り戻していてくれた方が好都合かもしれない。


「待て!!おとなしく捕まれと言っているんだ!!」

「うるさいな。…しつこいよ、君たち」


全く、空気の読めない大人はこれだから。先にこっちを始末してしまおうか。まともに考えも組み立てられないだろ。

俺はフードを外した。陽射しが目に眩しいけど、俺からしてみれば目を瞑っていてもこいつらくらい簡単に殺れるからどうってことない。
準備運動に、掌を開いては握り開いては握り、を数回繰り返す。さっきの鳥はぴーぴー煩いから思わず殺っちゃったけど、今思えば悪いことをしたな。


俺の素顔を見て、黒スーツのマフィア共が口々に騒ぎ始める。


「やはり!その左目の下の紋様に瞳の色形!」

「間違いないな、貴様、舞血姫の居場所を吐け!!」

「貴様らが同じ見世物屋の一味だってことはこっちの情報で掴んでんだ!!吐かないなら貴様を人質に奴を誘き寄せる!」



煩いおっさんばっかりで暑苦しいったらない。舞血姫の一味?馬鹿言っちゃいけないよ。
大体あんたらに人質にされるほど俺か弱くないし。なんてったって……────


「俺、最強だからさ」


長すぎる袖口から鋭利な爪先が覗く。獣のような、人間のものより幾倍も大きく毛深い手に、さっきまできゃんきゃん吠えたててたマフィア共は押し黙り唾を飲む。
他人の命狙う職の奴が他人の前で隙作っちゃまずいでしょ。そう思いながら手を横に一薙ぎすれば、突風という名の砲弾が奴等を襲う。吹き飛ばされることなく衝撃は全て彼らの体内に押し留められ、骨を粉砕し細胞レベルで肉体を潰し破壊する。
一瞬で息の根を止められたマフィアのおっさんたちを近くで流れる急流の川に全て放り投げた。


「………朝陽……」


早く、思い出して。
俺の大事な大事な、




愛しい姫。


***


がさり、がさり。


葉を掻き分け、枝に引っ掛かりつつがむしゃらになって森中を探し回る。
無意識の底でいつもの自分が「冷静になれ」と呼び掛けてくる。だがそれに構う余裕など毛の先ほどもなかった。

朝陽、朝陽何処ですか、何処に居るんですか。意地悪しないでください、お願いですから、早く、どうか早く、姿を見せて。
地面に足を取られてよろける。ドン、と近くの木の幹にぶつかった。
知らず知らずのうちに息が上がっていたようだ。立ち止まると、通常よりも幾分か早い鼓動に、間隔の狭い息継ぎ。


私は、ふぅ、と息をつくと辺りを見回し、またひとつふぅ、と先程とは違う意味合いのため息をついた。


「朝陽…」


指名手配犯にまで同情するのは、考え物だぜ


…違う。

朝陽は、舞血姫とは違う。断じて、指名手配犯などではない。
あの子は、そんなではない。違う、あんなにも優しい目で動物を、命を見つめるのだから。

信じたいのに、現実は結果を優先する。私の思いなど、完全無視を決め込んでいる。

朝陽、姿を見せてください。貴女の、左二の腕を確認すればそれでお終いなのですから、怖がることなど何もないんですよ。
怖がらせたなら謝ります。お詫びに貴女の好きなものをたくさん作ります、ねぇ、だから、どうか。


このままさよならなんて、やめてくださいよ。



情けなく歪む表情を、唇を噛んで叱咤し気を取り直して再び走り出す。

嫌な予感しかしなくて、今すぐ逃げ出してしまいたい。
彼女がこのままいなくなるのも、彼女の左腕に刻まれる寅の焼き印を見るのも、胸が苦しくて息が詰まって仕方がない。

選択肢には勿論、彼女は見つかって腕にも何もない、そんな願ってやまないハズレ≠フものもある。
けれど、どうしてもこの胸騒ぎがその存在を掻き消していくような気がしてたまらない。
彼女と過ごした短い間ではあったが、こんなにも恐怖し怯えるように逃げた朝陽の背を見たのは初めてだった。
このまま帰って来ないような。まるで彼女など元から居なかったように、日常が巡っていくような。
そんな、苦しくて切ない予感しか、しないのだ。



「っ!」


頬に熱が走る。一瞬映る朱が、生い茂る葉で皮膚を裂いたということを私に気付かせた。
ぐい、と手の甲でそれを拭い、構わず走り続ける。


ふと、足を取られて転びかけるのを踏ん張って抑えた。下を見やると、


「……これは…、」


大きく爆発でもあったかのように抉られた地面。中心には小さく浅いものだが微かに爪痕が見られる。付近には、襲われたであろう鳥の羽と、辺りに飛沫のように広がる血痕。
ぞくり、冷気に似た何かが背筋を這い上がってくる。これは、舞血姫ではない。このような技の使い手は、聞いた話の中でも一人しか思い当たらない。
だけど、そんな、まさか。────舞血姫よりも厄介なものが、近くにいる、だなんて。



「……っ、朝陽…!」


彼女が、危ない。


舞血姫云々よりも先に、彼女の保護が先だ。さもないと、


先程からの嫌な予感はこれだったのだろうか。なんて最悪なタイミングなんだろう、任務中でない今私は無線機もなければ緊急信号を出せるもの(銃や発煙丸薬)も持っていない。完全に己しか頼れない、他に人手などない。
お願いです、一刻も早く彼女を見つけたいんです。どうか風よ、答えてください。

祈るように胸中で呟きながら、視界に飛び込んでくる全ての中に彼女とおぼしき影がないか全精神を集中させて探す。黒髪、赤の中国服。何処、何処。


するとびゅう、と一際強い風が吹いてきて、私の編み込まれた髪を拐って遊ぶ。風から薫る殺気にはっとして駆け出した。──……川辺りの方か。

思い当たる人物。
それは、舞血姫の一味と称され、そして舞血姫を上回る強者。
頬の痣と同じ瞳の色形が証拠、獣の両腕を持つと言われる。

───……鬼獣(キジュウ)の零夢(レム)。



「何故ここに彼が…!」


彼も指名手配されている身だ。ここ数年姿を消しており行方不明とされていたはず。
確か舞血姫と彼は外見年齢も近しく、そのため恋仲にあり駆け落ちの後心中を図ったと予想するファミリーや殺し屋も多かった。
だが舞血姫は生きている。復讐者は今も彼女の捕獲命令を取り消してはいない。
ならば彼もと誰もが思ったが、零夢に関する情報だけは一切見つからない。舞血姫よりも様々なことが割れているにも関わらず、だ。


「……っ!!」


言葉を発しているのも惜しい。全ての労力を駆け抜けることだけに注ぐ。そうでもしないと、間に合わない気がして恐ろしくなる。
朝陽、朝陽。貴女が舞血姫かどうかは関係ありません、今は貴女自身の命が危険なんです。
だからどうか、姿を見せて。


私は焦りのあまりおかしくなってしまったのかもしれない。何故なら、朝陽が舞血姫ならば、彼女の命は守られる。零夢も、仲間殺しまではしないだろう。二人の結束は強いと聞いている。
彼女の身を案じるということは、彼女は舞血姫ではないと確信しているということで。
朝陽が舞血姫である可能性はいくつも見つかるというのに、私が心の底から思うのは、彼女が舞血姫ではないという、矛盾。



ねぇ、朝陽。


確かに、人間の心と言うものは理解しがたいものがありますね。
私も、今、自分自身がどう思い、感じ、行動しているのかをはっきりと分からないでいます。

けれど、ひとつ言えることとしたら。

頭で理解し納得し、それでも心は違うことを思い感じるということ。
……いい意味でも、悪い意味でも、ですけどね。



頭では、きちんと理解しているんです。
貴女は記憶がありませんから、とんだ人違いだと思うかもしれませんが、貴女には幾つもの命を奪った罪人と思われる可能性が多く見られます。
ですから、一度貴女を捕獲し確認作業をしなければならないということも、わかっているんです。…頭では。

ですが、心は違うんです。

貴女の無実を証明したくて、今こうして貴女を追っている。そうとしか、思えなくて。



貴女を、守りたいのかもしれません。

否、


守りたいのです。



いつだったか話したように記憶している、何故自分を匿ったのか、という貴女の疑問に、私はこう答えましたよね。


私が朝陽と居たいから一緒に居るんです



私は、貴女と一緒に居たいから。
貴女の居場所になりたいから。


ただ、それだけのような。

突き詰めてしまえば、結果そこに辿り着いてしまうような。



私は、案外単純な人間なのかもしれないですね。

貴女は、こんな矛盾を抱えて走る私を、どう思うのでしょうか。






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