「少尉に頼みがあるんだ……」


ローワンは、デジャヴを感じながら口角をひきつらせて笑った。









休憩室で固形携帯食料をもさもさと咀嚼していたダリルは、気だるそうに「なに」と目を向けもせず言い放った。トレーニング後のシャワーでまだ水分を含んでいる髪の房の先から、滴がぽたりと落ちる。


「私はまだ職務があるから、サーシェについててやってほしいんだ」

「サーシェに?なにを改まって……。ここ最近は、ずっと部屋にいるし……まさか、あいつまたどっか怪我でもしたの?」

「いや、怪我……はしてない、けど」


ソファーの背から振り返って見えるのは、長身の上司の腰から上だ。困ったような、やや青ざめたような、とにかく嫌な予感しか感じさせないその顔色に、ダリルは漸く真剣に話を聞く気になる。
そうして鋭く睨めつけた彼の視線が、そろそろと足元へ移るのを追い掛けて、ダリルもまた身を乗り出し、ローワンの足元を見やった。

正確には、彼の太もも辺り。しっかと掴まった小さな手のひらは、軍基地であるこの施設にあるはずのない幼い子供のものだ。
ひょこ、と顔を半分だけ覗かせる姿に、見覚えがある。いや、一瞬でそれが誰か分かった。夕焼け色を切り取ったような鮮やかなオレンジの髪。右目を隠す長い前髪。そして、印象的な深海色の瞳は、彼が知るものよりもっと大きく、くりりと煌めいてこちらを見ていた。


「………は?」


手にしていたミネラルウォーターのボトルが、めこりとへこむ音にはっとして、ダリルは深呼吸をしてから意識して脳内を整理する。
だが、何をどうしても、見たままの情報だけでは、理解しきれない状況だった。


「ちょ、ちょっと待って。あんたが見てろって言ってるのは、サーシェだよな」

「あぁ」

「……オーケー、分かった探してくる!部屋にいないなら、きっとこの時間は射撃場に」

「気持ちは分かるが落ち着け」


妙な苦笑いを浮かべておもむろに立ち上がるダリルを牽制したローワンは、しかし彼自身も未だ困惑しているようすで、深緑のベレー帽の端をつまんで目深にしながらひとつ嘆息した。


「言い方が悪かった。この子を頼みたい」

「この子って、この、チビ?」

「そうだ」

「……ねぇ、改めて聞くのも馬鹿らしいけど、敢えて確認するけどさ、まさか、もしかしなくても、」

「この子が、サーシェだ」


目眩がした。ダリルは今にも意識を飛ばして、夢だったことにしてしまえたらどんなに良かったか、と瞬く間に白目になりながら心底思った。
自らが思い慕い、かけがえのない存在だと認める、誰よりも特別なひとは、自分の腰ほども背丈のない幼女だったろうか。否、そんなはずないのだ。悪い夢なら、どうか覚めてくれ。都合よく神が応えてくれるはずもない。ダリルはいっそう何もかもが恨めしくすら感じられた。

ダリルが文字通り頭を抱えて、歯を食い縛りながら葛藤している姿があまりに哀れに感じられて、ローワンは元々の予定通りあっさり種明かしをすることにした。足にしがみついたまま離れない少女を抱き上げて、ダリルの顔を見せながら、彼もまた少女の顔を直視できるように、と数歩歩み寄る。


「ダリルには以前にも話したと思うけど、今技術部ではヴォイドを利用した武器を開発中だ。その途中段階として、今日ヴォイドを具現化する実験が行われた。その被験者として、サーシェに協力してもらったんだ」

「……っな!どういうつもりだよ!人体実験なんて……よりによって、今のサーシェを使うくらいなら、僕が!」


実験、被験者。その言葉を聞くなり、ダリルは途端に顔を険しくして、がおうと獣の如く吠えた。
大きな声に驚いた少女が、びくりと肩を震わせてローワンの肩口に顔を押し付けた。泣きもしなければ声こそ出さない彼女が、怖がっていてはいけない、とローワンは彼女の背を優しく撫でる。


「本人が、申し出たんだよ」

「?!」

「今の自分は、ただの軍のお荷物になる。それは嫌だから、何かしら役に立てることをって。
此処でヴォイドを持てる17歳以下は君達二人だけだ。兵器として汎用性を高めるためにも、なるべくデータは多種多様であるべきだ」

「だからって!」

「あぁ、分かってる……これでも反省してるんだ。サーシェのヴォイドの効果は、時を一時的に止めるものだ。それが、ゲノム共鳴か何かの異変で、時間を巻き戻す効果を引き起こしてしまったらしい」


ヴォイドを、ヴォイドゲノム保有者が取り出した際と全く同じ姿形で人為的に具現化するための実験であったが、それは失敗に終わった。このヴォイドを兵器として軍用する計画は、後にヴォイドエミュレータとして仮のものではあるが実用化に成功する。しかしその際にはヴォイドの効果のみを引き出すに限り、またエミュレータ自体も個々のヴォイドに合わせオーダーメイドするしかなかったのだが、彼らが現在、まだ少し先の未来であるその結果を知ることはない。

ローワンから粗方の説明を聞いて、生きた心地のしないダリルは、ひとまず目前の幼女が見た通りサーシェ自身であることを確信して、心を鎮めるためにももう一度深呼吸をした。


「彼女のヴォイドそのものが効果を一時的にするものだから、おそらくこの姿自体も一時的だと思うんだが、万が一があるといけない。誰かが傍で見ているのが一番だろう」

「今日ってことは、この状態になったのも、さっきの今かよ……」

「少尉なら、今日はシミュレーションだけだから、然程負担にならず面倒を頼めると思ったんだ」

「……一応聞くけど、嘘界の奴はコレ知ってんの?」

「少佐は昨晩から外出中だ。明日の夜お戻りになる」


ダリルは、髪をぐしゃぐしゃと乱雑にかき混ぜてから、ため息を大きくついた。つまりは自分しか適任がいないということだ。見ず知らずの奴に、こんな格好の彼女を預かられるよりはずっとマシだと思えば、幾分か気分も楽になる。


「分かったよ……見張ってりゃいいんだろ?連れて歩くだけなら簡単だ。ほらサーシェ、……サーシェ?」

「あぁ、それなんだが」

「え?」


抱いて預かるのも何だか気恥ずかしい、と自ら来るようソファーに座ったまま手招いたダリルだったが、サーシェは相変わらずローワンの胸元に顔を押し付けたままで、ちらりともこちらを見ようとしない。
変に思ったダリルに、ローワンがもう一度補足のため口を開いた。


「体だけじゃなくて、精神的にも退行しているようなんだ」

「………うん?」

「つまりは、見たまま、えぇと……言葉は少し話せるから、13歳の頃のサーシェなんだ」


ぱちぱちぱちぱち。物凄い速さで瞬きを繰り返すダリル。

ローワンの言葉を要約すると、こうだ。
軍人としての経歴はおろか、拾われてそう間もない頃の状態の彼女には、ダリルと過ごしたここ半年近くの記憶もまた、一切ない。
世話役として常に傍にいたローワン以外に信用を置かず、まだ手癖も悪く目を離せば凶器を握ってしまうような、そんな時期である。


「何もやらかさないように、見ていてほしいんだ」


ただ見張ってればいい。それが、どんなに難しいことか。身をもって知っているローワンは、やはり疲れた面持ちで薄く微笑んだ。



***



「………ねぇ」


ローワンが部屋を出ていって、もうすぐ30分程が経つ。
あれから一向に言葉を発しそうにないサーシェに、僕もいい加減痺れを切らして肩を揺すった。寧ろこの僕が30分も、黙って待ち続けたのだ。上出来だろう。

ローワンに無理矢理ソファーの僕の隣に座らされて、本人は何処かに行ってしまったことがそんなに不満なのか、不貞腐れたように全く話さない。あぁいや、そうか、この頃の彼女は、自分が知る最初の頃のサーシェ以上に表情がなく、感情の機微が感じ取りにくいのだった。だがそれを差し引いても、機嫌が良さそうには思えない。

勘弁してよ子守りなんて生まれてこの方やったことないよ、よりによってサーシェの幼少期なんて、そこいらのクソガキの何倍もめんどくさいに決まってる。
かといって、どんなにめんどくさくても、相手がサーシェである以上適当に放置するわけにもいかない。僕は既に若干参っていた。

結局返事をするでもなく、視線すら寄越さない彼女に気を遣いすぎるのも馬鹿馬鹿しく思えて、僕はボトルの残りの水を飲み干した。
あと15分もしたらシュミレーション訓練がある。エンドレイヴスーツに着替えるため更衣室へ行かなくちゃならない。……ここに置いていくわけには、いかないよな。


「サーシェ、ほら行くよ」


呼び掛けたところで、リアクションもない。仕方なしに手を引こうと、小さな手のひらをとったその時、激痛が腕に走る。
あまりにも突然で且つ前触れが無さすぎて、思わず声を上げて痛がってから、気付く。サーシェの小さな手のひらが、僕の手首をあらぬ方向へ曲げんと力ずくで捻っているではないか。しかも片手で。どんな握力だよ。


「っ痛い!!こいつ……!」


前ローワンに聞いたとおりだ。幼少期のサーシェは、とんでもない問題児。
あいつ、よくこんなじゃじゃ馬手懐けたな……!いや、じゃじゃ馬ってより、いきなり牙を剥く亀みたいな印象だ。顔色が変わらないってのは、思ってる以上に扱いにくい。
普段のサーシェは、すっかり喜怒哀楽を表現できるようなやつだから、うっかりしてた。一般人に比べれば反応は薄いけど、皆無に等しいのとじゃ天と地ほどの差だ。

僕が捻られた手首を摩りながら頭を悩ませていると、虚ろな蒼がこちらをそろりと見上げてきた。ようやっと目が合った。見透かされているようだけど……いや、多分これはちゃんと僕を見てるはず。

こうして見てみれば、あどけない表情や知ったものより柔らかい輪郭、大きな瞳が可愛らしいとも思える。スラム育ちのせいか、肉付きは普通の子供に比べやや痩け気味ではあるが、年齢よりずっと幼い姿外見は、僕の胸の内を擽る。
子供を可愛いなんて思ったことない。寧ろ嫌いの類いだ。……でも、なんだろう。こう……離れちゃいけない気にさせる。庇護欲ってやつかな。守ってあげたい、なんて言葉は、お互いに全く似つかわしくないけれど。


「……お前、言葉は話せるんだよな?」

「………」

「僕はダリル。ローワンがいない間は、僕の傍にいること。わかった?」


腰を屈めて、視線の高さを合わせながら言う。
返事はおろかリアクションが一切ない。瞬きくらいしてもいいんだぞと言ってやりたくなる。数秒間をおいて、サーシェは呟いた。


「ろーわん」

「…………。」

「ろーわん?」

「僕はローワンじゃない」


多分ローワンは何処にいったのか、と言いたかったのだろうけど。
拙すぎ。本当に覚えたてかよ。これは想像以上に苦労しそうだ。


「ローワンは夜にでもなれば会えるよ」

「……」

「とりあえず。ほら、行くよ」


また捻り上げられてはたまらないので、手のひらを上にして差し出す。ぱち、と一度瞬くその様子だと、警戒心の有無はいまいち計れないけれど、そっと乗せられた小さな手のひらが答えでいいだろう。


「ろーわん」

「ローワンのとこに行くんじゃないから」

「………」


こいつ、自分の名前より先にローワンの名前を覚えたのだろうか。
九官鳥みたいに何回も同じ名詞を繰り返すくちびるの小ささに、やっぱり僕は目眩がした。



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