気が付くと、僕もつられて眠っていたようだ。

休憩室の窓の外はすっかり暗くなって、メガストラクチャーの放つ淡い燐光が反射して、ほんのりと室内を照らし出している。
東京の空は暗く濁っていて、星はあまり見えない。代わりに眩しいくらいの街並みの街灯が目について、あれから数時間ばかり経っていることを僕に教えた。


サーシェはとっくに起きていたのか、僕によじ登って髪をいじっていた。若干引っ張られるのが痛い。


「お前いつ起きたの……」

「さっき」

「!」


初めて質問に声で答えが返ってきた。
妙な感動を覚えていると、きゅうと何かの鳴き声が響く。

サーシェが自分の腹を見下ろしてから、また僕を見る。ずいぶん可愛らしい腹の虫の音に、思わず吹き出した。


「……っく、わかったわかった……」

「ごはん」

「はいはい」


どこまでも欲に忠実だなこいつ。
端末の時計を見れば、19時を回ってもうじき20時に差し掛かる頃だ。そういや、ローワンはまだかかるのだろうか。定時はとっくに過ぎているはずだが。

膝から彼女をおろし、手を繋いで休憩室を出る。食堂のあるラウンジに行く前に、彼の様子を見に行った方が得策だろう。
それに、彼女は今日何度もローワンと言っていたから、会えて嬉しくないはずはない。


「ごはん」

「……」


やっぱり、先にラウンジに行くべきだろうか。



***



ローワンは、やっぱりモニタールームにいた。他にも数人技術武官がいたけど、僕の顔を見てやぁ、なんて気さくに声をかけてくるのはこいつだけだ。


「いやぁ、なかなか順調みたいで良かった」

「どこが。大変だったよ、コフィンの中入るわいきなり迷子になるわ」

「はは、話は聞いてるよ。おかげさまでこっちは大助かりだ」


サーシェはローワンを見つけるなり駆け出して、彼の足にしがみついて遊び始めた。人見知りなのか自由奔放なのかわけがわからない。
ローワンは慣れたように彼女の頭を撫でると、申し訳なさそうに僕を見て眉尻を下げた。


「悪いんだが、もう少し頼めるか?」

「いいけど……何時に終わるわけ」

「一晩……」

「はぁ?一晩?」

「今日は泊まり込みで作業があってな……」


おそらくは、現在彼と一緒に居残っている他の技術武官もそうなのだろう。誰も口を出しては来ない。


「部屋は変わらないんだ、そう不便じゃないだろう」

「……それとこれは、」


僕が、家に帰らずサーシェの寮室で寝泊まりしているのは、おそらく周知の事実だ。悪い噂なんかも度々耳にする。時には、僕を気に入らない輩からサーシェがからかわれることもある。彼女は相手にしないだけだ。
まぁ、僕らを同じ穴のむじなと見てあれこれ言うのを控える奴らの方が多いから、そう頻繁に嫌な思いはしないけれど。そもそも僕もサーシェも、他の軍人からはあまりよく思われていない。


「大体、効果は一時的なんだろ?もう数時間経ってるけど」

「いつ戻るかは定かじゃないんだ……一晩かもしれないし、数日かかるかもしれない」

「はぁ?本気で言ってるの?」


ローワンは周囲の目を気にしてか、僕らと一緒にモニタールームを出た。人気のない通路で、足に引っ付いたままのサーシェにキャンディーを与える。


「……私の個人的な考察でしかないが、或いは既に一時性は保たれていないともとれるんだ」

「……どういうこと」

「サーシェは、姿も記憶もそっくり4年前のままだ。だが、こうして息をして、動き回ってる」

「まぁね。動かないと動かないで面倒だけど……、え、」

「つまり、いまこの瞬間も彼女は成長している。徐々に17歳のサーシェに変化している過程ともとれる」

「……ちょ、ちょっと待てよ、それって……また17歳になるまで、4年かけなきゃいけないってこと?」

「あくまで、仮説だけどね」


言葉は誤魔化すようだが、彼の口調は至極真面目だ。
確かに、言われてみればその通りだ。赤ん坊や幼児なら話は別だが、13歳なんて半端な年齢じゃ、どの段階で一時性が解かれたかなんて分かったものじゃない。

本当にこのままサーシェの姿が戻らなければ、僕と彼女の間には4年の歳月差が生まれるわけで、即ち関係の再構築を余儀無くされる。
その時僕は、今度こそ友達≠フ枠に収まれるだろうか。今のような関係が、築けるだろうか。


「………」


ずっと一緒にいられる保証なんて、何処にもないんだぞ。


「ヴォイド兵器の開発と同時進行で、サーシェのゲノムコードの解析も最優先で行っている。何かわかれば、すぐ伝えるつもりだ。いざそうとなれば、俺が責任をとる」

「責任って……あんたがサーシェの親にでもなるっての?」

「今までと何も変わらないさ」


勝手に彼の白服のポケットを漁っていたサーシェが、不意に僕の方へやって来た。
僕の裾まで引くものだから、「何、キャンディーなら持ってないよ」と半ば苛立ちながら答えると、彼女は握り拳を突き出してきた。


「だから何……、」

「ん」


開かれた小さな花。真ん中には、セロハンに包まれたキャンディーがひとつ。


「ん!」


受け取れ、と催促される。
いや、それローワンのポケットからくすねてきたやつだろ。

おまえのことでこんな話になってるってのに、当の本人がこれだから、全く、調子が狂う。
唖然としたのち、僕は笑う。だって、こんなの、笑うしかないじゃないか。


「……いいよ。何泊だって預かる」

「うん?」

「もしサーシェがこのまま育つしかなくなっても、僕も手伝うから」

「……少尉」

「いっそ引き取るし。こいつがあんたにべったりじゃない未来も、興味あるからね」


きっと彼は、僕が冗談で言っているのか、それとも本気か、計りかねていることだろう。
冗談だし、本気だ。とうに依存してしまってる。今さら他人のふりなんて、出来っこないんだ。

頼もしいな、なんて言って笑う顔を見ていると、あんた年取ったな、って言いたくなる。自分の子どころか、結婚相手もいないのに、そんな優しい表情出来るんだ。ホント、この場が不釣り合いなひと。


「サーシェ、ダリルの言うこと、ちゃんと聞くんだぞ」

「あ、ねぇそれもっと言ってやってよ」

「……私が言えば何でもってわけじゃないぞ、少尉」

「ごはん」

「つーか聞いてないしね?だーっもう分かったから!引っ張んな!伸びる!」


怒鳴ったところで特にビビりもしないあたり、妙に肝が座っているのが憎たらしい。
ローワンにくすくす笑われながら見送られて、どうしようもない気持ちになる。こんなはずじゃなかったのに。


「ごはんごはんって、何食べたいんだよ」

「ふぉあぐらとりゅふ」

「そういう単語は何処で覚えてくるんだよ……嘘界か」


ボーンクリスマスツリーの外に出そうものなら、10秒で行方知れずになりそうだ。食事は普通にラウンジでいいだろう。
モニタールームに立ち寄っていたせいか、食事時を過ぎた食堂は閑散としていて、僕らは窓側の端のテーブルを占領して夕食を済ませた。ハンバーグステーキを頬張る姿がハムスターみたいで、ちょっと笑えた。あんまり急いで詰め込むから、一瞬つかえて動かなくなったときは焦った。


それから部屋に戻って、歯を磨かせた。シャワーぐらいは黙って一人でこなせるらしい。髪を乾かさずベッドに飛び込んだので引きずり下ろし、ドライヤーをかけてやった。
世話をされることはあっても、こんなに他人の世話をしたのは生まれて初めてだ。ローワンのやつ、甘やかしすぎなんじゃないの。そう思いつつ、何だかんだと構うのがもう嫌でなくなっている時点で重症だ。


「何?……あぁ、そっか、お前独りじゃ寝れないんだっけ」


端末をいじっていると、毛布を被ったオレンジ頭がずっとこっちを見ているのに気付く。
仕方なく部屋を暗くして、僕もベッドに潜り込んだ。今日はやけに疲れたから、このまま早寝するのも悪くない。


「……お前さぁ、警戒心とかないの」


同じ枕、同じ目線。こうしてじっくり見ると、うっすらと隈が目立つ。サーシェはいつも寝入るのはすごく早いのに、まだ日が上らないうちに起きて、そのままずっと眠れないでいる。こいつもきっと、いや、スラムから抜け出したばかりのこいつの方が、眠りは浅いのだろう。


「だりる、ころす?」

「!」

「ひと。……ころすの?」


小さく、小さく呟かれた言葉。
僕は、そうだよと同じくらい小さな声で返した。
名前、ちゃんと覚えてたのか。なんだかくすぐったいな。
サーシェは、もぞもぞと音をたてながら僕に身を寄せた。


「へんなの……」


あったかい。子供は、眠いと体温が上がると聞いたことがある。
そうか、眠いのか。でも、もう少し話していたいな。

あったかい。なのに、僕もこいつも、ひとから温もりを奪うんだ。
変な話だよ、本当。


「いつも、ろーわん、べんきょう」

「ん?」

「きょう、……たのしい、かった」


英語での日常会話もままならない状態から、日本語にも不自由しないほどに成長するのは、そう簡単なことじゃなかったはずだ。
英語は最初の2年でみっちりローワンに叩き込まれたって言ってたっけな。あちこち連れ回したわけじゃないけど、席について言葉の勉強をするよりは楽しかった、ってことだろう。


「明日はもっと面白いとこに連れてってやるよ。だから、もう寝な」


まだ僅かにしっとりしている頭を撫でてやれば、あっという間に瞼をおろして、すやすやと寝息をたて始めた。
めんどくさいのに、疲れるだけなのに、なんでこんな気持ちになるんだろう。好きも愛してるもない関係、だけど一番まっさらで、一番懐かしい心地にさせるんだ。

嗚呼、もしかしたら、僕らは愛してる≠フ使い方を間違えていたのかもしれない。







翌朝目が覚めると、そこに幼子の姿はなく、代わりに元に戻ったサーシェが寝癖をいじりながら端末をいじっていた。


「あ、ダリルくんおはよ」

「………」

「私、いつの間に寝たのかな……最後に覚えてる日付が一昨日なんだけど。端末の時計がズレてるの?」


どうやら昨日のことは記憶にないらしい。色々と恥ずかしい思い出は僕の胸の内に封印しておけばいいようだ。けど、何故だろう、ちょっとだけ残念な気もする。


「……1日寝過ごしただけだろ」

「えー。起こしてよ」

「それよりお前、大丈夫なわけ?どっか変なとこない?」

「……? あ、」


実験の後遺症を心配して言った言葉だったのだが、サーシェは僕の手をとるなり自分の頭に乗せた。


「……何してんの」

「これ、落ち着く」


眠る直前まで、頭を撫でてやっていたからだろうか。
目を細める彼女の顔色は青白くて、放っておいたらのたれ死んでしまいそうだ。


「……今日は、食べれそうなの?」

「……うん、」

「そう」


ただでさえ細いのに、シャツ1枚捲ったらあばら骨が浮き出ていそうだ。
安心しなよ。僕がずっと、傍についてるからね。



本編20話と21話の間のお話。
単に幼児化したヒロインと絡ませたかったのですが、いつの間にか補足的内容になりました。笑
13歳にしては幼すぎないか、という疑問はドブに捨てましょう。


3/3

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