ローワンの腰丈ともなると、僕と並んだ時でさえやけに小さく見える。更衣室の壁の全身鏡に写った姿に、そう思った。まるで兄と妹……いや、こいつの風貌からしたら兄弟と言ってもおかしくない。

120センチと少しくらいしかなさそうな、それこそ年齢に似つかわしくない背丈。これが、僕と目線を交えるほどまでに伸びるというのだから驚きだ。
今からでもちゃんと食わせないと、本当に縦に引き伸ばしただけみたいな、骨と皮の格好になるに違いない。ただでさえ普段のサーシェは、やせ形の中でもガリの極みなのだ。


「僕着替えるから、ちょっと待ってて」


スーツの構造上、一度下着から何まで脱がなければならない。専用のスウェットスーツに身を包んだ後に、感覚共有を手伝う電子機器の埋め込まれたエンドレイヴスーツに袖を通すのだ。
いくら子供の前とはいえ、後々戻った時に全裸を見られた記憶なんぞ残っていた日には羞恥で自害する。かといってシャワールームまで籠ってしまうと、いざというときサーシェが居なくなっていても気付かない。
当施設の更衣室には、極少数の女性軍人のためのカーテンで仕切られた個室があり、身体に見られたくない傷があったりする男もしばしば使うことがあるのだが、まさか今日という日ほどこの薄布1枚の内側の空間の恩恵に預かることになるとは、後にも先にもこれっきりだろう。

模擬戦ではなく、シミュレーション調整だけだから、おそらく汗をかくほどではないだろう。でなければ、先程トレーニングを終えてシャワーを浴びたというのに、二度手間になる。
エンドレイヴスーツに足を通し、そんなことをぼんやり考えてから気付く。……やけに静かじゃないか。

いや、確かに待ってろと指示したベンチの場所はこの個室からやや距離があるし、おとなしく座ってるぶんには物音もしない、今のあいつなら尚更だ。
しかしかといって、ロッカーの行列の向こうにしても聞き耳を立ててれば人の気配くらい察知できそうなものだ。出入口の扉が開けば音で気付くし、考えすぎかもしれないけど……いや、でも待てよ、あいつ待てって言われて待っていられる奴か?


そう思い至った瞬間。
僕は心臓が止まるかと思った。シャッ!!!風を切る勢いでカーテンが開かれて、反射的に身を引いたけど、スーツを中途半端に着た格好じゃ足がもつれるだけだった。よろけて、コンクリートの壁に頭をぶつけた。痛い。


「かくれんぼじゃないからな?!!」


カーテン全開、露にされたみっともない姿で、僕はあまりに情けない悲鳴を上げた。仁王立ちしている真顔の少女の瞳の色を、僕は知っている。ちょっと誇らしげで満足そうだ。忍び足で迫るんじゃないよバカじゃないの?アホなの?やっぱりバカなの?



後が腕通して前を閉めるだけで済んで良かったと心底思う。
いつもならきちんと畳んでからロッカーにしまう士官服を、ぐちゃぐちゃの状態でぶちこんで扉を閉めた。くそ。いっそ模擬戦なら良かったのに。憂さ晴らしに仮想敵機をぶちのめしたい気分だ。

ローワンならうまく諭しただろうけど、僕はそんなに甘くなかった。さっきまでお手て繋いで歩いてやったところを、着ているパーカーの首根っこを掴んで引きずった。サーシェは特に抵抗もなく、それどころかあまりにおとなしいので首が締まってやしないかと逆に心配になった。



***



「いいか、本当に頼むから、おとなしく座ってろよ」


僕は、またしても頭を抱えていた。
ヘルメットを被ったバイザーの向こうには、ぺたぺたとヘルメットに触る子供がいた。
コフィンの中にパイロット以外がいるなんて前代未聞だ。それも、単体でなく。


『……えぇと、ダリル少尉……コフィン一度開きますか?』

「もうめんどくさいからこのままでいい。別に支障はないだろ?」

『えぇ、一応……』


サーシェと知り合ったばかりの頃もそうだったけど、何やら機械に心ときめかされるのか、セメタリーにやって来てからやけに目を輝かせていた少女のほうのサーシェは、僕がコフィンに乗り込むと同時に、蓋がしまる直前で飛び込んできたのだ。
狭いコフィンの中だが、パイロットが最も自然体で機体と感覚共有が出来る姿勢になるような設計のためか、子供一人くらいなら膝に乗せた状態でもやや窮屈な程度で収まるゆとりがあった。サーシェは言うことを聞くきになったのか、ヘルメットに飽きたのか、もぞもぞと身を反転させると、僕の腿の間に腰を下ろしてそっと寄りかかってきた。
機体や各種モニターと精神を接続するパイロットとは異なり、彼女にはただコフィンの分厚い強化ガラスの蓋越しにセメタリーが見えるだけだ。それでもサーシェは何が楽しいのか、足をぶらぶら揺らしてはコフィンの蓋を蹴って鈍い音を断続的に響かせたり、時折僕の脛に踵を落としたりした。

半ば気合いで無視して、意識を集中させる。瞼を閉じると、ローワンの代理のオペレーターの声が内線を通じて庫内に響いた。


『まず、先日申請のあったカメラアイのシンクロギャップを調整していきます』

「ん。……右、少しぶれてる」

『了解、ピントアップ15、どうですか?』

「まぁまぁかな……待って、ファーサイトポイントちょっと下げてくれる?」

『ファーサイトピント、5下げました』

「うん、いいよ」

『では次に……』

「おいやめろ、さっきから足痛い」

『よろしいですか?』

「え、あぁうん」


調整が終わってセメタリーを出る際、最早荷物のごとくサーシェを小脇に抱えていたことは言うまでもない。



***



今度の着替えの時は、いくらか心の準備が出来た上で素早く終えたのだが、当人はベンチで昼寝していた。15時も過ぎた夕刻時、彼女の昼寝癖はこの頃からか。
一度は起きたのだが、あまりに眠たいのか動く様子がなく、仕方なしにおぶって休憩室まで移動した。僕の職務は今日はこれで終わりなので、ローワンが戻るまで面倒をみていればいいだろう。

仮眠用のベッドに寝かせ、僕はソファーに深く腰を沈めた。やれやれ、思いの外疲れたらしい。
いつもなら1時間程度で済む調整に、今日は倍の時間がかかった。それからセメタリーを出る前、急に駆け出したサーシェを追い掛けて一走りしたし、何処へ向かったかと思えば地下行きのエレベーターの前でスイッチに届かずぴょんぴょこ跳ねてるし。


「そもそも、なんで地下なんか……、あっ」


地下にはエンドレイヴやその他兵器を収容する格納庫と、その調整や開発を行う工房くらいしかない。もしや、自力でローワンに会いに行こうとしていたのか。
やみくもに危害を加えようとする以外はおとなしいものだと思っていたが、その行動力はやはり幼さ相応のものか。それとも、彼女が元来持っているものか。

おそらく、彼は地下ではなくこの部屋から数階挟んだモニタールームにいるはずだ。目が覚めたら、連れていってやろう。


すると、衣擦れの音がした。寝返りかと思って気にしないでいたら、どうやら目が覚めたみたいで、体を起こしてあたりをキョロキョロ見回していた。


「サーシェ」


名前を呼ぶ。動きが止まって、それからゆるりとこちらを振り向いた。
僕はソファーから動かず、しかし身を捻り、背凭れに寄りかかってなるだけ彼女を正面から見れる位置で、声をかけた。


「ローワンに会いに行く?」


ほんの、本当に僅かだけ、けれど確かに彼女は目を見開いた。
悔しいけど、分かる。この小さな女の子にとって、今世界の全ての中心にいるのは、あのちょっと抜けているようで頼りがいのある、世話焼きの長身眼鏡なのだ。
あの嘘界が甲斐甲斐しく世話をする光景なんて、これっぽっちも思い浮かびやしない。サーシェが僕と同じ年になったってローワン、ローワンって事あるごとに口にするくらいなんだから、きっとそうに違いない。

サーシェはベッドをおりると、ひょこひょこ歩いてきて、僕の隣に座った。
すると不思議なことに、僕の膝を枕にまた一寝入りし始めたのだ。


「……喋れよ、いやほんと」


ため息をつきながら苦笑する僕は、しかしさっきまでの疲れと困惑が入り交じったものより、幾分も柔らかい表情をしていたと思う。

ローワンという彼女にとってのキーパーソンを相手にしても、眠気には勝てないようだ。いいさ、この際とことん傍にいてやるよ。
親代わりの理系眼鏡より、僕を選んでくれたみたいで、ちょっぴり心が弾んだのは、僕だけの誰も知らない秘密にしておこう。


夕焼け色の髪に、そうっと触れた。栄養不足か、ややパサついた髪は、手触りこそあれだが毛が細く、野良猫の毛並みを連想させる。
小さな頭、小さな手のひら。僕が軍人になるずっと前から、こんなちびっちゃい体で、たくさんの人を殺めて生きてきたんだ。

そこらを歩く日本人じゃ、到底想像もつかないような、殺伐とした毎日。
睡眠は、死を思わせる。一瞬の隙も見せられなかった貧民街を生き抜いた彼女が最も欲したのが、命の心配をせず眠りにつける場所。
それが、今は僕の隣だと、そう判断してくれたことが、ただただ嬉しかった。


僕らは軍人だ。お国に認められた、人殺しだ。
いつまで生きていられるかは分からない。けどやっぱり、どんだけ時が経って大人になったって、踏み越えてきた屍は僕らの足を引っ張って、道連れにするのを今か今かと待ちわびている。
得体の知れない恐怖やわだかまりは、いつだって僕らにつきまとって、正しいことと正しくないことの境をあやふやにして、嘲笑うんだ。

おまえは、こんなにも小さな頃から、それを背負って、そしてそれに気付けないでいたんだろうな。


同情できる立場じゃないのは、重々承知の上だ。
遅かれ早かれ、僕も同じ業を背負う者として、こいつと同じ溝から底無し沼に落ちていく。いや、もう落ちている最中かもしれないな。


ぐるぐる渦巻く胸中は、ただ彼女の眠りが、安らかなものであれと祈るしか出来ない。
ここ最近の彼女は、調子が悪そうだったから。僕がレッドラインの内側から戻って以来、ずっと部屋に籠って眠りながら、苦しそうに唸り続けてる。食事もろくにとっていないはずだ。

もとの姿に戻ったら、またつらい思いをするのだろう。何を考えて、何を思って苦しむのか、なかなか教えてはくれないから、僕はただ傍についてやるしか出来ないんだ。
だったら、いまこの一時の眠りくらい。そう願うのは、自然なことだろ?


「……サーシェ」


嘘だ。ごめん。
僕が、傍にいたいだけ。

今のおまえは、何処かに消えちゃいそうで、時々怖くなる。
掴まえておきたいのに、僕の手を振り払って走り出しそうだから。

傍にいてほしいのは、僕だ。



いまこの瞬間が、永遠に続けばいいのに。
それか、僕らを切り取った世界の外側だけが、進んでいけばいい。

僕らを包み込む殻が、硬く強固で、何者にも変えられない優しい世界であれば、それでいい。





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