「くるします?」
「クリスマスだよサーシェ、苦しめてどうする」
「相変わらず面白い間違いをする子ですねぇ」
それは、私と彼が幼かった頃のお話。
みんな子供だった休憩室のいつものソファーに浅く腰掛けて、キャンディーをもごもごと頬張っていた時のこと。
ローワンと嘘界さんがやって来て、クリスマスは知っているかと問うてきた。
ローワンがくれるキャンディーは、すてきなものだ。いろんな味を楽しめて、色もたくさんだし、何より甘く口のなかで溶けておいしい。
テレビや、嘘界さんに連れ出された先のお店には、まだ見たことのない形のキャンディーもたくさんあった。あれはどんな味がするんだろう。
ぼんやり違うことを考えていたら、ぬっと嘘界さんの顔がアップで映って微かに肩を揺らした。
左目を根深く覗き込まれる感覚。未だに慣れないぞくぞくとする感じに耐えながら、私はゆっくりと瞬いた。
「今ローワン君が何て言ったか、聞いていましたか?」
「…………」
「聞いてませんでしたねぇその顔だと」
くつくつと喉の奥で笑う声。
ローワンは苦笑いしながら頬を掻いている。そっと見上げて、ごめんなさいと呟いた。
「いや、いいよ」
「仕方ないですねぇ、僕の口からもう一度説明してあげましょう」
漸く馴染んできた義眼がくるりと回り、嘘界さんも楽しそうに口を開いた。
多分ローワンが言ったのよりも話を膨らませて、いろんな予備知識と一緒に話してくれたのだと思うのだけど、幼くてできの悪い私の頭ではその切れ端ずつしか理解することができなかった。
「………………」
「中尉、サーシェが飽和状態になってます」
「ですからこの伝承は……おや、もうお腹いっぱいですか」
表情を変えられなかった当時でも、分かりやすいほどに目を回していたのがわかった、とローワンは笑っていたっけ。
「ツリー……サンタ……?キリシタン……ドイツ……」
「まるで呪文ですねぇ、フフッ」
「あぁ、だから、クリスマスの夜には、サンタクロースっていうおじいさんがやって来て、欲しいものをくれるんだよ」
かなり簡略化された説明を再びしてもらって、なんとか理解した私は目を輝かせた。
「欲しいもの?」
「あぁ」
「なんでも?」
「うん、なんでも。あぁ、でもひとつだけだよ」
「ひとつだけ、」
ローワンは優しく笑って、何が欲しいか決まったら、教えてねと私の頭を撫でた。
サンタクロースがプレゼントをくれるんでしょ、と言えば、大人伝に何が欲しいかを聞くのがしきたりだとか何とか嘘界さんが言った。
クリスマスを意識して過ごしてみると、不思議と世界が変わって見えた。
人々は何処か浮き足立っていたし、ただの明かりだと思っていたものはイルミネーションという光の装飾だということにも気付いた。街並みにごちそうが並んで見えたのも、寒さに負けぬ精をつけるためだけではなく、こうしてお祝い事があったから。
どことなく笑顔が溢れているのは、街だけでなく軍内部もそうだった。
ある人は恋人に連絡を取っていたし、ある人は遠くの我が子を思ってプレゼントを選んでいたし、仲間同士で騒がんと夜な夜な光彩る街へ繰り出す人もいた。
スラムの冬は、ただただ厳しいものだった。寒さと飢えで、いつ死ぬかもわからない。眠ったところで、次に目を覚ませるかさえ保証はない。暗闇がやってくるのは早いし、雪はある意味貴重な口に出来るものだった。
私が怖くて大嫌いだった冬は、こんなにもきらびやかで楽しいものだったんだと知って、とても奇妙で仕方無かった。
(ほしいもの、ほしいもの……)
クリスマスは明日に迫っているというのに、未だ決められずにいた私は、拙い手付きで端末を操作しながら欲しいものを探していた。
なんでもいい、とはなんて魅力的で、なんて奔放的な言葉だろうか。
キャンディーの盛り合わせでもいいし、読んだことのないいくつもの童話が詰まった分厚い絵本でも、温かいコートや手袋、マフラーでもいい。
凍えない帰る場所があって、毎日ご飯も出てきて、今まで欲しかったものが全部手に入る今、何を欲しがればいいのかわからない。首を傾げては「なくても生きていける」という基準のもと候補から外れていく。
オモチャも、子供心には魅力的に映ったけれど、ひとりぼっちで遊ぶのはつまらない。欲張って山盛りのお菓子をもらっても、何かと忙しいローワンや嘘界さんと一緒に食べる機会はあまりないだろう。
(……そっか、)
私、友達がいないんだ。
***
「と、友達ぃ?」
うん、と頷いてみせると、ローワンはベレー帽を直しながら少し困った顔になった。
「友達か……」
「なんでもって言った」
「あ、あぁ言ったけど」
せが、サンタクロースと相談してみるよ、と眉尻を下げたローワンにまたこくりと頷いて、私はキャンディーの袋を抱えながら散歩に出掛けた。
日が暮れるのが早いこの季節、17時ともなるとすっかり真っ暗で、辺りの外灯がちかちかと細く道を照らしながら蛾を集めては瞬いている。
軍基地は広いから、ぐるりと一周するだけでも子供の足では疲れてしまうのだけど、私にはお気に入りの場所があった。
宿舎のすぐ近く、非常階段の踊り場は程好い暗がりで、それでいて眺めも悪くない。ただただ訓練場が広がるだけの土地もそれなりに見える。
私は此処でキャンディーを舐めながらぼうっと考え事をする時間が好きだった。
戦車も走っていない静かな平原を眺めていると、ふと階段下から何やら声がすることに気が付く。
「……ふふっ、くすぐったいよ」
声変わりしたばかりみたいな、少し掠れた男の子の声。
この辺りに子供がいるなんて滅多にないはずなのに。誰だろう。好奇心が湧いて、私はなるべく音を立てずに階段を降りた。
「うまいか?」
そこに居たのは、この暗闇でも眩しく輝く金髪の少年だった。
月光に照らし出された横顔は透き通るように白く、着ている服もまた指定の軍服で、真っ白な出で立ちだった。
彼はどうやら、いつの間にか居着いていた野良猫に餌をやっているようだった。
「だれ?」
私がそっと声を洩らすと、彼は弾かれたように立ち上がって、ものすごい勢いで私を省みた。同時に猫もまた、私に怯えて何処かに走り消えてしまった。
少年は相手が子供だと分かるなり、深い深いため息をついた。
「お前こそ誰だよ……なんで基地に子供が」
確かに、本来の12歳女児はもっと背が高いものだろうけど、私は劣悪な環境の育ちのせいか、漸く9歳の平均身長ほどになったところだった。
彼は見たところ私より20cmは背が高いようだ。いくつだろうか。
「猫、好き?」
彼は猫と向き合っていたときとは裏腹にむっと渋面してみせて、彼はぷいと顔を背けてしまった。
猫の駆けて行った先を見やると、本当に小さな声で呟く。
「昔、悪いことをしたから」
「……?」
「あいつとは別の、でも、昔のあいつには悪いことを」
痛そうに顔を歪める彼。
眉根を寄せて、もう片方の手で胸元をぎゅっと握って。
「それは、君の、友達?」
「おまえには関係無い!」
睨み付ける瞳の色は暗がりで分からなかったけれども、そこに映るのが哀しみと寂しさを混ぜたような色だということは、幼い私の目にも分かったよ。
猫同様走っていなくなってしまった彼の居た場所に座り込む。
月が高い高い場所に見えた。
ぽっかり宵の空に穴を開けたみたいに煌めくそれを見上げて、私はゆっくり瞬く。
吐き出した息が、うっすらと白く曇って、すぐに夜風に溶けて消えた。
***
「ともだちのつくりかた」
翌日枕元にあったプレゼントは、やけに薄く、包装を解いて現れたのはそう書かれた一冊の本だった。
子供用の絵本だ。表紙はクマとうさぎのぬいぐるみを抱えた少女。
……自分で作れってこと?
私は胸中でひどく落胆しながら、それでもヒントをくれたサンタクロースにそっと感謝して絵本を抱きしめた。
そういえば、あの男の子はサンタクロースに何をもらったのかな。
また会えたら聞いてみよう。
結局それ以来、彼を見ることはなかったけど、あの不思議な月夜の出会いは、ちょっぴり早いサンタクロースのプレゼントでもあったのかもしれないと、今では思っている。
「嘘界中尉、何故あのような……」
「不服そうですねぇローワン君」
「いや、……すみません。他にも選択肢はあったんじゃないかと……例えばぬいぐるみとか」
本国の米軍基地内を闊歩する嘘界の後ろをついて歩くローワンの姿を、他の軍人達は不思議そうに見る。本来なら所轄も違う彼らが一緒に居ること事態が珍しいのだが、話す内容がクリスマスプレゼントともなると、ローワンも嘘界と一緒に変わり者扱いするような目を向けられた。
嘘界はかちかちと旧式の携帯電話をいじって画像一覧から一枚の写真を選ぶと、満足そうにそれを待ち受けに設定した。
「レディの扱いがなってないですねぇ」
「は……?」
「容れ物だけを与えたところで、それで無条件に喜ぶほど彼女は幼くありません。女性の精神は男児のそれよりもずっと成長期が早い」
「……た、確かに」
「ましてやあの子のような特殊環境の育ちであれば、同年代の子供よりも悟ることは多くあります。誤魔化しはききませんよ」
嘘界よりもほんの少し目線の高いローワンは、彼の肩越しに待ち受け画面を眺めやってやや困り顔になった。相変わらずこの人はどこまで考えているのか分からない。
「いつしかホンモノ≠ェ出来るまでの、お楽しみです」
映っていたのは、ベッドでうつ伏せになり、絵を描きながら眠ってしまっているサーシェ。スケッチブックには黄色い塊と獣耳をつけた黒い塊、雑な夜空が描かれていた。
これは、いつかの私と彼のお話。
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