「あ、猫だ」

「猫?」


とあるありふれた休日の午後のこと。
穏やかな日差しを浴びながら、ゆったりと近況を話しつつ、何処へ行くでもなく二人で散歩をするのが、最近の二人の週休の使い方だった。

書類処理に追われて残業し、昼まで熟睡していたサーシェを電話で起こすと、彼女が寝ぼけ眼で支度をしている間に電車を乗り継ぎマンションの前まで迎えに行って、そうして出てきた彼女とエントランスで顔を合わせてから、今日はあそこにいきたい、あれが買いたい、という彼女の要望に合わせて出発するのだ。
学業とバイト、作家と教師でお互いに多忙な身の上、予定が合う日数自体少ない。だから二人は、時間が許す限り傍にいて、語らい合い、かけがえのない存在だということを確かめ合うように寄り添いながら今日も歩く。

いつもならば手早く駅前に出るためバスに乗るところを、今回はダリルの要望で一緒に歩いて向かっていたときだった。
住宅街のど真ん中、道端に駐車された民家の乗用車のボンネットで丸くなって眠る三毛猫を見付けた。


「ここの猫ね、時々この時間そこで寝てるの見るよ」

「ふぅん」

「可愛いなぁ」


ふと、その時ダリルは気付く。
彼女は可愛い、と呟きつつも、そっと自分の服に掴まってきて、そろりと陰に隠れようとしていることに。


「何やってんの?」

「あ、いや、」

「……猫怖いの?」

「ちが…う」


しょんぼりと俯いた彼女のつむじを見つめながら、そうだと思い出したようにダリルは言った。


「僕の大学行く途中の駅に猫カフェあるんだよね」

「猫カフェ…?」

「今日はそこ行かない?一応飼育されてるから野良よりは小綺麗だろうし、人慣れしてると思うし」

「ダリルくんは、行ったことあるの…?」

「いや、初めてだけど」

「…………じゃあ、行く」


呑気に欠伸をして、寝直した三毛猫に手を振りながら、二人は駅前目指して再び歩き出した。



***



「昔から、私猫に嫌われやすいの」


午後の空いた電車に乗った僕らは、さっきの猫の話をしていた。
すると、彼女が不意にそうぽつりと溢したのだ。


「スラムにいたときもそうだし、嘘界さんに拾われてからもそうだったの」

「…そうなの?」

「スラムにいた頃は生ゴミひっくり返してご飯漁ってる猫たちから横取りしたりしてたし…生死を分かつ戦いを幾度となく繰り広げてた」

「へ、へぇ…」

「決まった時間に、海浜公園に住み着いた野良猫に餌をやりにくるひとがいてね、違う猫だけど、仲直りしたいと思って、餌やり手伝わせてもらったことがあったの」

「うん」

「威嚇された上に引っ掻かれて噛み付かれて、ご飯持ってかれて、総攻撃を受けた末に4針縫う重傷を負いました」

「何してんだ」


綺麗に治ったけど、それからはからきしだめで近寄れない。そう言ってしょんぼりするサーシェ。
海浜公園で猫攻めに遭うこいつを想像してみた。不謹慎ながら面白かった。


「きっと、染み付いた血の臭いのせいで警戒されちゃったの。猫だって、死神はいやに決まってる」

「でも、もう5年も経ってたらいい加減大丈夫なんじゃないの?」

「うん…、でも、やっぱり…」

「これから猫まみれになりに行くのに」

「怖がらせちゃったら可哀想だもん」


ぎゅ、と僕の服の袖を掴んで、眉尻を下げながらむぅと声を漏らすサーシェ。
人間だけじゃなく、動物にも恐れられたその死神の異名は、軍人をとうに辞めた今もついて回る。おそらく、これからも、ずっと。


僕はふ、と口元を綻ばせながら、彼女の手を取った。


「僕は、お前が死神でもそうじゃなくても、お前がお前のままなら、それでいい」


変わることは、怖い。変わったお互いを認識することだって、時には恐怖する。
だけど、僕がお前を好きな気持ちは、きっとこれから先いつまでも変わらないだろうから。

お前が一生死神の名を背負って、償いきれない罪に脅かされるのなら。
僕はお前のそばで、ただ一人の、人間としての存在の証明になってやろうと思うんだ。



「猫に勝てない死神もそれはそれで傑作」

「えぇ……?台無し……」



***



腹がよじれるかと思った。

猫カフェに入るなり、サーシェは目を輝かせて辺りを見回した。平日のためか、客も少なく静かで心地好い空間が広がっており、落ち着く雰囲気に癒されながら席についた。
ところが、一向に猫が現れない。そんなに数が少ないのかと思えばそうでもなかった。皆一様に、棚や物陰に隠れたまま出てこなくなってしまったのだ。
がっかりを通り越して半泣きになっているサーシェを宥めつつ、僕が猫に近寄ってみせると、なんの抵抗もなく擦り寄ってきた。猫を抱いて撫でていると、ぐるぐると喉まで鳴らすではないか。
ここまでリラックスすれば大丈夫だろうとサーシェを呼ぶと、何故か徐々に集まりかけていた猫たちが一目散に逃げ出した。僕の腕の中の猫もだ。

仕方ないので餌をもらって釣ってみるものの、むしろ猫まみれになるのは僕ばかりで、最後サーシェは拗ねてしまいテーブルで僕の分のケーキまで平らげてしまった。
よしよしと頭を撫でながら慰めてやっていると、猫たちが様子をうかがうようにサーシェに近寄り始めた。しばらく同じ空間にいて、少しは慣れたらしい。サーシェは飛び付きたいのを我慢しながら、猫の方から距離を詰めてくるのをじっと待った。うずうずしている姿は、僕にとったら猫よりもいじらしくて、撫でくり回したくなる。

ついに、猫がサーシェの手に触れた。匂いを嗅いで、一舐めして、おそるおそるといった体ではあるがサーシェを見上げて、か細く声を上げた。

対するサーシェは、これまた妙に緊張した面持ちで猫を抱き上げる。抱き方があんまりにぎこちないから、腰から尻にかけてを支えるように抱くのだと教えてやると、そうっと猫を抱き直して、暫く震えていた。


「………っ」

「?どうしたんだよ」

「……っ〜〜」


死神の名折れだとこっちが言いたくなるような、弱々しい顔をしてわなわなと震えながら、サーシェは僕を振り返って言ったのだ。


「〜〜抱っこできたぁ……!」

「………っ、ククッ……」


まさか、猫一匹抱けただけで本気で泣きそうになってるなんて。
彼女にとって大きな試練をひとつ乗り越えたような、充足感満ち足りた思いなのだろうけど、……猫だよ。何処にでもいる猫。寧ろ他所より人懐っこくてハードル低い猫。
堪えきれなくて腹と口を押さえながら笑っていると、めそめそしながら餌をやって「食べたぁ〜」と逐一僕に報告するサーシェ。笑うなというほうが無理。とうとう他の客や従業員にもあたたかい眼差しで見守られ始めたサーシェを見て、僕は我慢できずに腹を抱えて笑い声を上げた。



──────………



「っはー、おかしかった」

「ひどいなぁ、あんなに爆笑しなくても……」

「だって……ぶふっ!猫にビビる死神ってさぁ……あはははっ」

「どんだけツボに入ってるの、もう」


肘で小突かれてから、笑いすぎて涙の滲んだ眦を擦る。大人気なく頬を膨らませて拗ねるところは昔から変わらない。その頬を突っつけば、ぷす、と間抜けな音を立てて空気が抜けた。


「ダリルくんの意地悪」

「機嫌直せって。楽しめたでしょ?」

「………すごく」

「ぷはっ。……ふふっ」

「もー!また笑う!」


夕焼け色の頭をかき混ぜるように撫でながら、睨み上げてくる深海色を覗き込んだ。嗚呼、こんなに小さかったかな、こいつ。昔はおんなじだった目線も、今じゃ頭ひとつ違う。


「そういう素直なとこも、変わんないね」

「……?、……そう?自分だと、あんまり分かんないけど……」

「あぁ、でも昔より意地っ張りで頑固にはなったかも」

「けなしてる?」

「誉めてるんだよ、死神さん」


繋いだ手のひらの温度も、多分あの頃のままだ。
ちょっとずつ、変わった相手と、変わった自分に気付かされる。でも、変わらないこともあって、安心する。
二人でいると、あの頃に帰ったみたいで、それでいて大人になった自分を感じるんだ。無邪気に笑えるし、あたたかくて愛しい気持ちでいっぱいになる。
優しい僕でいられる気がするんだ。


「次は少し頑張って動物園とか行きたい」

「動物園も行けなかったの?それよりさ、このあとどうする?」

「うーん、ディナーにはまだ早いし……カラオケとか?」

「えー、どうせお前が曲入れて僕が歌いっぱなしになるんでしょ?いいよ疲れるし。……あ、映画見たい」

「どれ?怖いのはやだ」

「怖いかは知らないけどさ、最近公開されたサスペンスアクション」

「あぁ、あれね」


まだ、時刻は夕時よりも前を指している。
映画を見終わったら、この間ちょっと気になるって言ってたカフェで少しお茶をして、感想なんかを語り合うんだ。

お前んちに帰ってディナーを済ませたあとは肩を並べてゲームしたり、テレビ見てもいいな。
明日も大学の講義があるから泊まれないけど、そのうち泊まり掛けで遊びにも行きたいな。

サーシェと一緒にいると、普通じゃない僕らが普通になれる気がして。
ふつうのしあわせを、ふたりで分けあうように手を取り合ってさ。

こんな時間を、ゆっくり少しずつ過ごしていきたいんだ。
また会いたい、一緒にいたい、いくつもの願いが叶ったいま、また欲張ってそんなことを願ってしまう僕。それでも、叶えてあげると笑う君の隣だから、僕もまた笑顔になれる。
笑顔になりたいと、思えるよ。









猫とからむ二人を書きたかったものですから。

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