「お前、料理なんて出来るの?」

「………………出来るよ?」

「なんだその不安な間は」

「ほら、病人はあっちで横になっててっ。キッチン立ち入り禁止っ」

「わっ、ちょっと、押すな!」


ダリルくんが案内してくれた厨房ほどの広さもあるキッチンの床に、米袋とレジ袋を下ろすなり後ろからそんな声が飛んできた。
正直、出来るかわからない、というところが本音ではあったけど、不要な心配はさせたくないし、立ってるのもつらそうな彼を変に巻き込みたくないというか、出来ることなら任せてもらって休んでいて欲しかった。
ぐいぐいとダリルくんの背中を押しながらキッチンから追い出すと、唇を尖らせながら拗ねたようにリビングのソファーに腰掛けた。ダイニングキッチンの向こうには、ダイニングテーブルとリビングが仕切られることなく広がって見えている。


「すぐ作るからね」

「別に、いいのに…
ていうか、お前エプロンは?」

「えぷろん?」

「調理服。え、知らないわけ?てことは持ってない?」

「………」

「はぁ……ちょっと待ってなよ」


気だるそうにもう一度腰をあげると、ふらりと廊下に消えていくダリルくん。広すぎて、その廊下が何処へ続いているのかも私にはわからない。
なんせ、普段過ごしているのは水場が備わっているだけのワンルームの寮室。あのメガストラクチャーの施設内の配置も、2年かけてようやっと覚えたような程度だ。

少しして戻ってきたダリルくんが、手にしていたものを私の胸元にぐいと突き付ける。それを受け取って広げると、シックなネイビーカラーの肩紐が付いた前掛けのような布だった。


「なに、これ?」

「それがエプロン。僕の貸してやるから、それ使えば?寧ろそれ無しに料理なんてさせないからね、不潔だし」

「どうやってつけるの?」

「……。ここに腕通して…後ろで腰紐結ぶだけだよ」


体調が優れないからか、いつもは怒鳴りそうなところでも素直に教えてくれた。無理をさせてしまっている気がして申し訳なかったけど、ちょっと優しいダリルくんが嬉しかった。
少しもたついていると、ダリルくんが後ろに回って紐を結ぶのを手伝ってくれる。なんだか、いつもはこんなふうじゃないから、少し照れくさく感じて仕方がない。


「ダリルくんは、料理するの?」

「しないよ」

「じゃあ、なんでエプロン持ってるの?」

「知らない」

「え?」

「あるだけで、使ってないよ」


すこし、寂しそうに呟いた彼の声が耳元に聞こえて。

その時は、何故彼が寂しそうに言ったのか分からなくて、私が答えあぐねていると、不意をつくように腰回りがぎゅうぎゅうと苦しくなって息を詰まらせた。


「っ、くるし…」

「変な詮索してないで、やるだけやったらさっさと帰ってよね!」

「う…ごめんなさい」

「ほら、」

「ありがとう」

「髪ゴムは?」

「あ、それはある」

「そ。くれぐれも食べれないもの作らないでよ」

「ひどいなー………がんばる」

「頑張らないとできないのかよっ」


いきなりきつく絞められたお腹を押さえている間に、一度緩めて結び直してくれたダリルくんがまたソファーに腰掛けた。
初めて見た寝間着姿の彼は、頬を上気させながらくたりと横になった。熱、上がっちゃったかな。無理させてごめんね。


「僕、寝るから」

「部屋じゃなくていいの?」

「僕が部屋戻ったら、お前場所わからないだろ」

「う」

「いいから、もう。早く作っちゃえよ」

「うん…」


ダリルくんが瞼を閉じたのを見て、彼の傍を離れる。「ちゃんと手洗ってからにしてよね」と最後まで抜け目がない。
端末を取り出して、レシピのページを出すと、キッチンの端にそれを立て掛けてから手を洗う。えっと…何々、まずは…お米を1合…、1合って何?


「大体でいいかな」


生米から煮込んで作るタイプのレシピだったので、まず鍋にお米を用意しようと、鍋を探すところから始める。
やけにすっきりしているというか、普段使いの食器が1枚もキッチンに並んでいない。埃とかを気にするダリルくんがそうさせてるのかな。
広いキッチンの戸棚や引き出しを色々と開けて適度なサイズの鍋を探す。多すぎても食べきれないだろうから、中くらいの鍋を取り出した。

ぴかぴかに輝くそれの中に、括弧書きでグラム単位のお米の量が表示されていたので、目分量で計ってお米を鍋に入れた。


「水は…これくらいかな、」


料理をすることに自信がないせいで、ひとつひとつの作業がやけに慎重になる。
ふとリビングを見ると、規則正しいリズムでダリルくんの肩が上下していた。ちゃんと眠っているようだ。あんまり時間をかけてしまうと、ソファーで寝ている彼が体を冷やしてしまう。少し急ごう。

また端末のレシピに目を移すと、私は鍋を火にかけた。




***




ひどく懐かしい夢を見た。

もう顔も朧気な、10年前にいなくなったあの人がいた。
いつ頃だっただろう。僕はあのとき、何歳だったっけ。


ママー、なにしてるの?

おやつを作ってるのよ、ダリル

おやつ!?なになに!?
ケーキ?クッキー?それともドーナツ?

ふふ、ダリルの大好きなショートケーキよ。
本当は明日のパパのバースデイケーキの練習でもしようかと思ったんだけど…パパ、明日も忙しくて帰ってこれないみたいだから

そうなの…?もうずっとだね、

しょうがないわよ、パパは偉いから。
だから、ダリル、ママと二人でケーキ食べちゃいましょ

……うん!


あの人は、普段からパパが雇った家政婦に家事を任せきりにしていて、料理こそしなかったけれど、ああしてたまの気紛れにお菓子を作ってくれたりした。
何かのパーティーの度に押し付けられる菓子類は、それなりに上質でしかし甘ったるいものばかりで。
あの人の作るお菓子は、少し形が歪で、味もやっぱり甘ったるかったけれど、それでも顔も名前も知らないようなやつにもらったものよりずっと美味しく感じて、大好きだったのを覚えている。

それでも、やっぱり、僕のバースデイケーキはシェフに作らせたものだけで、毎年のパパの誕生日のようにケーキを作ろうとはしてくれなかったけれど。


キッチンに立って作業をするあの人の背中は、あの人が作ったお菓子と同じくらい好きだった。
普通の家庭の、普通の風景を見ているようだったから。たったその一瞬だけの気紛れも、日常のようにずっと続いていくような気がしていたから。

いつか、僕が大きくなって、調理台に手が届くようになったら、一緒にキッチンに立って料理をするのも悪くないかな、なんて。
そうしたら、毎年のパパの誕生日にママがバースデイケーキを作るから、毎年のママの誕生日には僕がバースデイケーキを作ってあげるような。そんなふうになったら、いいのにな、なんて。

所詮、子供の戯言だった。


たとえ、たったの一度も家族全員で僕の誕生日を祝ってくれたことがなかったとしても。
そういう、普通の毎日が、欲しかったんだ。

僕の幼い頃の夢は、軍人なんかじゃなかった。
そんな大層なものじゃなかった。


パパとママと、僕の3人で。
一度でいいから、一緒にディナーを過ごしてみたかった。

それだけだった。





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