「ローワン」


ふと、久しぶりに聞いた声がした気がして、ゆるりと振り向けば、ほんの少しだけ顔色が良くなったサーシェがそこに立っていた。


「あぁ、サーシェ。
もう、調子はいいのか?」

「大丈夫」

「どうした?」


じんわりと、滲むように微笑んで、何を言うでもなく歩み寄ってくるサーシェ。
白いタートルネックセーターに黒いジャケットを羽織って、まるで何処かに出掛けるような格好だ。


「何処か行くのか?」

「うん、ちょっと」

「あぁ、少佐…じゃなくて、局長…でもなくて、嘘界長官が、いつものベーグル屋で期間限定のパンプキンマフィンが売ってたって」

「美味しそう、買おうかな」


作戦指令室で立ちながらモニターをいじる俺のすぐ傍までやってきて、ぴったり視線を合わせながら言葉を交わす。
やっぱり何処か、様子がおかしい。部屋に籠って、ダリル少尉しか部屋に入れなかったのに、急にどうしたのだろう。


「ねぇ、ローワン」

「ん?」


見下ろす夕焼け色は、俯くと顔を上げようとしないままに口を開いた。
力なく俺の白服の袖を掴む仕草が、まだ幼く、ここに来たばかりの頃のサーシェを思い出させた。これは、サーシェの寂しいときの癖だ。


「ローワン、好きだよ」

「え?」

「ローワンだいすき。ずっとずっと」

「え、…あ、あぁ、ありがとう…」

「ローワンは?」

「えぇ?」

「私のこと、すき?」


掠れた声が、なんだか泣きそうに聞こえてしまって、仕方なくて。
不器用で、真っ直ぐにしか進めなくて、誰よりも頑張り屋なこの子は、きっとまた新しい一歩を踏み出そうとしている。
それには、独りじゃ怖くて、背中を押してと、俺に懇願しているのではないか。そう思ったら、まだまだ小さな子供のままなんだなと思えて、同時に懐かしく、愛しく思う。


「好きだよ」

「ほんと?」

「あぁ、だいすきだ」

「ずっと?」

「うん、ずっと」

「変わらない?」

「信じられない?」

「…うぅん…、」


落ち着かせるように、優しく小さな身体を抱き寄せる。
ぽす、と額を俺の胸板に付けて、ぎゅうと抱きついてくるサーシェ。

ここのところは、新型機に付きっきりで、甘えさせてやれなかったからなぁ。小さく苦笑いをして、さらさらの髪を鋤くように頭を撫でてやる。


「……ローワンは、さ」

「うん?」

「私が、悪いことしたら、怒るよね」

「んー…一概には言えないけど、悪いことの種類にもよるかな」

「種類?」

「まぁ、怒りはしても、嫌いにはならないよ」

「……ならない?」

「あぁ。
俺はずっと、君の味方でいるよ」


ありがと、と小さく呟かれた声。聞こえるか聞こえないかのそれの代わりに、白服を掴む手の力が強まった。

暫くして、顔を上げたサーシェ。合わせるように腕の力も緩めてやれば、身体を離して何やらジャケットのポケットを漁り始めた。


「ローワン」

「ん、」

「あげる」


手のひらに握らされたそれは、サーシェお気に入りのロリポップキャンディー…ではなく、俺が以前よくやっていたセロハンに包まれた形のキャンディーだった。
味は、サーシェがいつもくれるメロン味。なんでも、俺はメロンだとかで、ちょくちょく相応しい味をプレゼントされる。


「ありがとう」

「ローワン、それ、食べちゃだめ」

「…えぇ?」

「持ってて。大事にね」

「はぁ…」

「私が帰るまで。ちゃんと、持ってて」


柔らかく微笑んだサーシェは、キャンディーを握った俺の手を両手で包むと、そう言った。


「なんでだ?」

「なんでも」

「………」

「お守り、だから」

「…………」

「私が、もし帰って来なかったら、食べていいよ」

「何処まで出掛けるつもりなんだ…」

「うん、ちょっとね」

「調子が良いなら、今日は一緒に夕飯食べようか」

「いいね」

「嫌がるかもしれないけど、少尉も誘ってさ」

「嘘界さんは忙しい?」

「かもね。まぁ、声はかけてみるよ」

「あのね、私うどん食べたい」

「うどん?分かった」

「食堂のもいいけど、ここからすぐのところに美味しいお店あるよ」

「じゃあそこにしようか」


嬉しそうに微笑うサーシェの頭を撫でてやる。
サーシェは、もう一度俺にハグをすると、ぱたぱたと落ち着きない足取りで部屋の扉の方へと駆けていく。ドアがスライドして、また走り出そうとしたサーシェの背中に声をかけた。


「なるべく早く帰ってくるんだぞ」

「………はーい」

「いってらっしゃい」

「…いって、きます」


俺は足音が遠く聞こえなくなるまで閉まった扉を見つめた。
手の中のキャンディーの存在を確かめるように、手をやんわりと握る。


「……ちゃんと、帰ってくるんだぞ」


キャンディーをポケットへしまうと、さてどうやって少尉を誘えばいいのやら、と考えながら俺は作業に戻った。








「…………っ、」


ひどく痛む胸元を押さえた。
これは、嘘をついた罪悪感。


嘘ついてごめんね。
約束守れなくてごめんね。

私が戻ってきたら、皆で一緒にご飯食べよう。


不意打ちすぎるいってらっしゃいは、ひどく私の心を抉った。

逃げるように出てきてしまった。もっと、もう少し、あのひとのぬくもりに触れていたかったなぁ。


「………次は、嘘界さん」


泣いちゃだめ。泣いちゃだめ。
涙も出ないくせに、弱音吐くな。


やること、ちゃんとやってから出ていかなくちゃ。


長官室直通のエレベーターに乗り込むと、私は深呼吸をした。




***




「おや、サーシェではありませんか」


部屋に入れば、案の定彼は職務なんて放棄して携帯をいじっていた。
くるりと椅子を回してから携帯を閉じると、頬杖をついて私を見る。


「体調はもう良いのですか?」

「はい」

「それは良かった」

「あの、嘘界さんにお願いがあって」

「なんでしょう?」


歩み寄りながら言うと、椅子を引いて膝をぽんぽんと叩かれた。
いつもならほんの少し遠慮するのだけど、今日ばかりは甘えてさせてもらおう。

背中に彼の気配と感触を感じながら、心底その赤錆色に瞳を射抜かれずに済んで良かったと安堵した。
いま彼に目を見つめられたら、きっと上手に嘘を言えなくなってしまっただろうから。


「お休み、もう少しもらえませんか」

「休暇ですか?」

「有給じゃなくていいんです。居ても、お仕事出来てなかったし」

「まぁ無理は禁物ですよ」

「もう少ししっかり休んで…、ちゃんと訓練出来るまで回復したいんです」

「そうですねぇ」


さっき閉じたばかりの携帯を開いて、話し半分にクロスワードをまた始めた嘘界さん。相変わらずボタンを押すのが速い。


「サーシェ、貴女に質問です」

「はい」

「自分の力だけで生活すること。また、本来の意図からはなれた方向に動いていくこと。縦6文字。さてなんでしょう?」

「………分かりません」

「答えは独り歩き≠ナす」


カチカチカチ、と嘘界さんがキーを打ち込んでいく。
この旧式端末の入力音も、暫く聞けなくなる。そう思ったら、心臓の奥がちくりと痛んだ。


「貴女も、もう独り歩き出来るようになりましたか」

「え……?」

「独り歩きの元の意味は、ただ独りで歩くこと=Bそこから転じて、自律することや、物事が勝手に動いていくことを意味するようになりました。
歩くのでしょう?独りで」

「…………」

「僕の手元を離れて、貴女自身の意志で、僕の意図に囚われずに踏み出すのでしょう?
歓迎しますよ僕は。よくぞここまで大きくなりました、お父さんは嬉しいです」

「お父さんって…」

「おや、嫌ですか?それとも、パパ呼びの方がお好きで?」

「そうじゃないですよ、もう」


ふざけあえる時間も、もう暫くはないのに。
そこまで感付いてるくせして、本当、嘘界さんは意地悪なんだ。

このまま一緒にお話してたら、留まってしまいたくなる。志が揺らいでしまう。
そう思った私は、早々に彼の膝を降りて、ポケットからキャンディーを取り出した。


「嘘界さん、プレゼント」

「おや、キャンディーですか?僕のグレープ味」

「はい。でも、食べずに持っていてください」

「ほう。何故また?」

「お守りです」


モニターのライトにセロハンを透かして見る嘘界さん。さすがは勘で色々やってのけた実績がある人だ。
でも、まだ気付かないでほしい。気付いても、見ないでほしい。


「私が、休暇から戻ったら、食べてください」

「おあずけですか?我慢は苦手なんですけどねぇ…」

「我慢してください」

「はいはい」


きし、と歯を見せて微笑う嘘界さん。彼はきっと、私が何をするつもりなのか、何故休暇希望なんて出したのか、もう分かっている。
分かってて、私を手放そうとしている。いらないって突き放すのとは違う、見送られるような感覚に少し鼻の奥がつんとした。


「ちゃんと元気になってから戻って来てくださいね」

「はい。じゃあ、失礼しました」

「はい、ではまた」


扉がスライドして、閉まる。

これで、大切な人とのお別れは、終わった。
もう大丈夫。もう、あとは行動するだけだ。


お気に入りの拳銃が入ったホルスターと、最低限生活が出来るだけのお金をデータ移籍した端末、護身用のサバイバルナイフ。
ポケットに入れたキャンディー3つと、思い出だけ抱えて、私はここを出ていくよ。




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