世界を震撼させたロストフォート事件から、一週間と少し。



「サーシェ、入るぞ。
ここにダリル少尉来てな───

あぁ、やっぱりいた」

「おはよ、ローワン」

「うん、おはよう」


ノックをして入ったそこには、起き上がって右手で端末を操作しているサーシェ、そしてその膝元に頭を乗せるようにして眠るダリル少尉がいた。
挨拶の言葉とともに、声を抑えるようジェスチャーされたのを見て、足音さえ立てないように気を配る。


「昨夜、よく眠れなかったんだって」

「そうだったのか」


随分と表立って懐いたものだ。いや、まぁ前までもよく一緒に行動してはいたけれど。
あれはどちらかと言うと友情のそれだった。お互いに少し遠慮しながらも相手を気遣う素振りが、初々しく感じられる友人関係だった。
いまのそれは、まるで恋人にでもするかのような甘ったるさを感じさせる。以前にも増してべったりだ、少尉は職務さえなければずっとこの病室に入り浸っている。

すやすやと幼子のように気持ち良さそうに眠る少尉の顔色を窺えば、確かにうっすらと白い肌に目立つように隈が出来ていた。
端末を傍らに置くと、右手のひらでそうっと少尉の頭を撫でるサーシェ。その表情は、もう慣れたように柔らかい。


「左手はどうだ?」

「ん、平気。結晶はもう目立たなくなった」

「そうか、」

「いまは一応様子見。一度結晶が剥がれてから再結晶してるから、もしかしたらまた発症するかもしれないって」

「嗚呼…成る程」

「慣れてきたけど…やっぱり、利き手使えないのは、不便」


サーシェが端末で眺めていたのは、どうやら観光スポットらしい。
東京に限らず、観光名所として知られている奈良・大阪・京都、その隅には沖縄の海の写真も映っていた。


「観光?」

「ん?…あぁ、私が遊びに行きたいって行ったら、ダリルくんが見るだけで我慢しろ≠チて」

「まぁな…安静状態じゃ外出許可も降りないだろう」

「ほとんど治ってるのに」

「まぁまぁ」


でも、この海は綺麗、と沖縄の海の写真をピックアップし、全画面表示にするサーシェ。
端末の電子画面に浮かび上がる沖縄の海は、確かに澄んでいて美しい。アポカリプスウイルスの驚異なぞいざ知らず、穏やかなものだ。


「奈良も行ってみたい」

「奈良?仏閣か?」

「んーん、鹿。せんべいあげるの」


「鹿はくさいからやだって言ったじゃん」


ふと、その時会話に割り込むように3人目の声がして、俺とサーシェはぱちくりと目を瞬かせた。
声の主を振り返ると、彼は不機嫌そうに目元を擦りながらむくりと顔をあげた。


「なんだよ、ローワン。邪魔するなよ…」

「ああ、すまない」

「せっかく寝てたのに」

「あ、ダリルくん。キャンディとって」

「ん」


少尉の手元付近にあったロリポップキャンディの袋を指して、サーシェが呟く。
彼も、もう慣れたようにぐちぐちと文句を呟くことなくそれを手に取ってやった。

利き手が使えず不自由なサーシェの代わりに、キャンディの包みを剥がしてやる少尉。
そのまま、手にしたそれをサーシェの口元まで運ぶと、


「あーん」

「ん、」


「…………。」


こんなにも、べったべたに甘い関係だったろうか、この二人は。

無意識と取れる様子で当たり前のようにサーシェにキャンディをくわえさせた少尉。サーシェも、いつもの通りだと言いたげにナチュラルに唇を開いた。

ずっと軍人生活が長いせいか、このような恋人の風景に免疫がなく、自分だけが赤面してしまった。
そっぽを向いて顔を隠すも、サーシェには気取られてしまったようで「ローワン?」と心配そうに声を掛けられてしまった。


「あ、あぁ、いや、なんでもないんだ」

「そ?」

「んで。何か用?」

「あぁ、そうだ、少尉に用があったんだ」

「は?僕…?」


怪訝そうに眉根を寄せる表情は見慣れたいつもの少尉の顔で、なんだか変に安心してしまった。
気づかぬ間に二人が変わりに変わって、自分の知らない二人になってしまったような、若干取り残されたような感触が襲ったのだ。

咳払いをして、気を取り直す。


「ダリル少尉、次の任務を頼みたい」

「ん。何」

「潜入捜査だ」

「………は?」


中指の先で銀縁の眼鏡を押し上げて、その1枚隔てた向こうに見える少年少女を見つめた。


「潜入?何処に」

「封鎖区域内だ」

「え……」

「大丈夫だ、危険はない」

「あんなところ入ってどうするって言うのさ。葬儀社はもう壊滅したんだろ?」

「主格の恙神涯は死んだ…参謀の四分儀と城戸研二は逮捕、他の殆どのテロリストはその場で結晶化したか殲滅された。違うの?」

「あぁ、その情報に間違いはないよ。
ただ、これで終わりじゃない」


二人は首を傾げて顔を見合わせる。


「ダリル少尉には、天王洲第一高校の生徒として潜り込んでほしい」

「はぁ!?僕が生徒っ!?」


少尉は素っ頓狂な声を上げると、何故かサーシェを横目に見つめた。
サーシェがそれに気付いて振り返る頃には、視線を逸らして渋々といった体で「……ミッションの詳細は?」と言った。

命令に素直なあたりは、おそらく自分の立場を理解してのことだろう。
自らの手でGHQ長官のヤン少将──彼自身の父親を殺めたことで、後ろ楯もなく以前とは違って好きなように振る舞うわけにはいかないのだということを、彼は分かっているようだった。

もう、彼はそこまで子供でもなかった。


「葬儀社の幹部の楪いのり、それと桜満集の生存確認がまず第一の目的だ」

「ふぅん、あいつか…」


歯をきしりと鳴らせて笑った少尉。彼にとって桜満集は、何度も苦渋を舐めさせられてきた因縁の相手でもある。
一方サーシェは、横で複雑そうな表情をしていた。僅かに唇を噛み、眉を寄せながら視線が彷徨いて落ち着かない。
サーシェは、ロストフォート事件のとき、桜満集とその友人の生徒たちと共に羽田へ戻ってきた。桜満集にまたあのよく分かっていないゲノム兵器を明け渡し、そしてダリル少尉の乗ったゴーチェを破壊させた。
本来ならば反逆罪として拘置所行きとなるところだが、当時の長官が表向き殉職した上、現状としてGHQを取り仕切っている茎道局長に顔が利く嘘界少佐の我が儘ということもあって、サーシェは養療施設で休養を取るのみという形に落ち着いた。
なんとなく彼女が気まずくなるのもわかる。彼女は彼らとしっかり面識があるわけだし、本来敵であって味方ではないところを協力した上に、こちらの計画の邪魔をしてしまった罪悪感や、裏切り行為による立場の揺らぎなども重なって、落ち着けなくなるのも致し方無い。

俺は、サーシェの頭を一撫でしようとして────
ダリル少尉が、サーシェの頭を撫でた。


「何ヘンな顔してんの」

「ぇ、」

「余計なこと考えてないで、いまはそれ、早く治すことだけ考えてろって」

「………ん、」


くしゃりと髪を撫でる少尉。唇を尖らせて拗ねたような表情をしつつも、その目には過去にも幾度か垣間見た優しさが滲んでいて。
俺は、持ち上げかけた手をまた膝元に戻すと、続きを話すため唇を開いた。


「それ以降は現地で説明する」

「りょーかい。いつ?」

「少し手配が遅れてるものがあって、時間が掛かってるんだ。おそらく、3日後くらいになる」

「分かった」


「………ねぇ、」


不意に、サーシェが声を上げる。
ぽつりと溢すような声音にそちらを見やると、サーシェは不安げな表情でまたぽつりと呟いた。


「……どのくらい、」

「ん?」

「どのくらい、かかるの。潜入」

「分からないが…長引けば2〜3週間掛かるかもしれない」

「3週間も…」

「あくまで目安だけどね」


しゅん、と寂しそうに項垂れたサーシェにフォローするよう付け足したが、あまり効果は無かったようだ。
此処のところ少尉が入り浸っていたわけだから、いきなり、それも長期間会えなくなるのはやはり寂しいのだろう。

すると、ぱっと顔を上げて、明るい眼差しでサーシェは言う。


「わかった」

「なんだ?」

「私も一緒に「駄目」……え、」

「駄目に決まってんじゃん。お前、まだちゃんと治ってないんだから」

「こんなの、変わらない。もともと完治出来る病気じゃないし」

「駄目。サーシェは留守番」

「…………。」


少尉ではなくサーシェが我が儘を言うなんて珍しい。
しかし、それも少尉本人によって却下されてしまった。

サーシェは、少尉の真似をするように唇を尖らせてみせた。
からん、と歯に飴玉が当たった音が響いた。



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