僕は、弓を構えて大きく引いた。
僕の考えが正しければ、きっと───

良く知った雰囲気を纏うゴーチェに、正面から相対すると、殺気を孕んだ怒号がつんざくように響いた。
それと同時にミサイルが撃ち込まれる。僕は、手元に集約してきた淡い蒼の燐光を一瞥すると、ミサイルに向けてそれを放った。


すん、と静かな音を立てる空間。
空中で静止したミサイルを、ゴーチェの首を巡らせてくるくる見渡しながら、オペレーターは不思議そうな声を漏らした。


『……、…Why…?』

「やっぱり」


ルーカサイトを消し去った、サーシェのヴォイド。僕が直接引き抜いていないのに突如現れたそれに驚いていたとき、涯は、「イヴの選定だ」と言っていた。僕はその時よくわからなかったけれど、僕の気持ちに答えるようにして、皆を守れる──即ちルーカサイトを消滅させることが可能なヴォイドを、誰かが僕に使え≠ニ言ったのだけはわかった。

涯は言った。サーシェのヴォイドの効果は、消失=B在るものを無きものとし、その対象を光の粒子にして消し去る。言わば、なかったことにする@ヘ。
彼女の一瞬で感情を押し込める暗い夜の海のような瞳を思い出させるような力だと思った。

だけど、久しぶりに顔を見た彼女は、大分印象を変えていて。
透き通った消えてしまいそうな雰囲気を纏っていたのに、透明だけれど芯のある強さを持つようになっていた。
深みがわからない、海底のような冷たい瞳は、真っ直ぐ僕を見つめても、柔らかくあたたかな光を宿すようになっていて、嗚呼、変わったなと、そう思った。


心の底から、あの頃のままで時間を止めたいと思うほどに


消えることなく、蒼の光を纏いながら動きを止めたミサイルを見上げて、僕は確信を持った。


「サーシェの今の力は、一時停止=c…時間を止める力だ」


心の有り様で、ヴォイドも変わる。つまりそれは、サーシェの中で、心を消し去りたい≠ニいう思いよりも時間を止めていたい≠ニいう思いの方が強くなったということだ。
眼前に迫っていたそれを、手で思い切り別方向へ向きを変えると、ミサイルが震え出し、時間が戻る。でたらめな弾道で走り出したそれは、適当な距離まで飛ぶと、落下して道路で弾けた。

永遠に時間が止まることはない。それはきっと、サーシェが未来を望んでいるから。過去の一時を心から欲しながら、大切な人とその先も在りたいと願うから。


触れた右手から伝わるぬくもり。彼女の心の、あたたかさ。
前回引き出したときは、拒絶するような冷たさだったのに。人は、変わるものなんだと、改めて思い知らされる。

僕も、変わった。たくさん、たくさん。
でもきっとそれは、当然のことで、誰も変わらずには明日へ進めないのかもしれない。


ゴーチェは、残弾のなくなった銃を放り捨てると、手の部分を展開し、パイルバンカーを突き付けてきた。
すかさずゴーチェに向けて矢を放つ。一瞬金に色を変えたそれは、夕焼け色の光になって機体を包み込んだ。
全ての機能が停止し、身動きの取れないゴーチェから視線を外し、ビルに叩きつけられたバギーを振り返ると、皆なんとか這い出したようで無事だった。


「谷尋、」

「使えよ、集。これが、お前に出来ることなんだろ」

「うん。……ありがとう」


谷尋の胸元に右手を翳して、白銀の螺旋が尾を引く光の中に手を入れる。なるべく優しく引き抜けば、原石のような粗い結晶が剥がれ落ちて、何もかもを切り裂く谷尋の鋏が現れた。
パイルバンカーが仕込まれたゴーチェの右腕を半ばから切り落とす。すると、止まっていた時間が戻り、オペレーターが絶叫した。
どうやら、何かに干渉をされるまでの間の時間を止めることが可能らしい。

一際大きく弓を引いて、ゴーチェの背景に映る東京タワーに向け燐光の矢を放った。真っ直ぐ空間を突き進み、溶け込むようにタワー全体を覆った淡い蒼の光。調子外れな音声が止み、辺りにはいのりの澄んだ歌声だけが響く。

僕は、右手に谷尋の鋏、左手にサーシェの弓を持ったまま、ヴォイドエフェクトを利用して空中を駆け上がった。光の円盤が足場となって、次々と出現する。
撃ち込まれたミサイルを今度は鋏で切り裂きながら避けつつ、レーダー塔の屋上に辿り着いた。

ずうっと、僕の背中を押すように勇気づけてくれた、歌声の発信源が、そこにいる。
化け物なんて言ってしまったこと、謝らなくちゃ。君が、僕のそばで、ずっと支えてくれていたこと、ありがとうって言わなくちゃ。


「いのり……」


手元から、ほどけるようにしてヴォイドが螺旋に姿形を変えていく。各々の心へと帰っていくのだろう。
在るべき場所へ。大切な、ひとりひとりの思いが、抜け落ちてはいけないパーツとして。


いのりが、ふと歌うのをやめて、僕を振り返った。
泣きそうに細められた紅の瞳が、僕を視界の内に捉えて、ゆらりと光を滲ませる。

ごめん、そう言おうとして、一歩踏み出しかけて、
───踏みとどまった。彼女の後ろに映る空間が捻れて、ばくりと開いた。おどろおどろしい空間の歪みが其処には見えていて、そこから浮き出るようにして少年が現れた。
右手には、僕のものと同じ輝く刻印。いのりの胸元が発光し始めて、僕は悟った。──いけない!


「あなたにはがっかりですよ。王の器を得ながら、いつまでも虚ろなままで……だから、ここでお別れです」


引き出されたいのりの心≠ヘ、今までとは少し違う形をしていて、僕にはそれがどういうことを意味するのかわからなかった。
ただ、ヤバい。そう感じたのだけは分かる。僕の手元には、いま、武器になる谷尋の鋏も、奴の動きを封じるサーシェの弓も、何もない。

いのりを抱えたまま、ふわりと浮いている少年の白いコートが棚引いて、すぅと振り上げられた心の形≠ノ目を奪われる。


「さようなら───オウマシュウ!!」


襲い来るだろう痛みを予測して、咄嗟に僕は、ぎゅうと瞼を閉じた。



***



顔無しがモニターから消えて、僕は憤慨するように息を吐いた。ため息なんかとは違う、荒い息遣いに、うっすら喘鳴が重なる。

しゅる、とほどけた螺旋が、横たわるサーシェの胸元に消えていく。その螺旋も、顔無し同様ノイズが入って見えて、全貌は見えなかった。
横たわったまま、起き上がる様子のないサーシェを見下ろして、僕は息をつまらせる。


『……おまえ、なにしてんだよ……』


死んで、ないよな。
息、してるよな。

カメラアイが反応して、モニターにはサーシェの生命反応が表示されているにも関わらず、不安になる。


一瞬の静寂。耳障りな音声もいつの間にか止んで、さっきまでちらちらと降り積もる雪のように響き渡っていた歌声も、聞こえなくなっていた。


『………サーシェ…?』


切り落とされたゴーチェの右腕を、思わず伸ばした。
幾らか軽減されているとはいえ、ずくずくと痛むそこは、僕の胸のうちの痛みによく似ている。

じわり、サーシェの左腕から、赤い染みが漏れ出た。

『!』

血だ。傷が開いたんだ。
そういえば、壁に向かって突き飛ばしたとき、ひどく痛そうに顔を歪めていた気がする。

まさか、あのとき?
僕のせいで?


ぐるぐる、巡る思考。嗅いでもいないのに、硝煙と血の乾く臭いが混ざったのが鼻腔に広がって、吐き気がした。
いやだ。いやだ、いやだいやだいやだ…っ!僕は、また、またこの手で、大事な誰か≠手放そうとしてるの?

そんな負の感情に追い打ちをかけるように、またあの気味の悪い音声が流れ始めた。システムが復旧したらしい。先程よりもキャンサー化の進行が早く、建物からも結晶体が突き出したりし始める。
すると、サーシェの左腕、傷口があっただろう箇所から、紫色の結晶体がみきみきと生え出した。
え、なんで?ワクチンは?──僕が、壊した。足りなくさせた。こいつは、残りのワクチンを、僕に譲って、だから…このままじゃ、全身がキャンサー化して…塵になって消えてしまう。そんなの、そんなのいやだ!

僕は素早くまだ肘から先のあるゴーチェの左腕を伸ばして、サーシェを優しく拾い上げるように掴み上げた。右腕を沿えて、抱えるような姿勢のまま、足裏のローラーを全速力で起動させる。


「おい、ローワン!!サーシェを、何処に連れていけばいい!?」

『!』

「何処まで行ったら助かるんだよ、ねぇ!!死なせたくないんだよッ!!!!」


早口で捲し立てながら、宛がなくとも、とにかく東京タワーから離れるように機体を進める。
死なせてたまるか。こんな後味悪いまま、塵になって消えてくのを見てるだけなんて、そんなことさせるもんか。

ずっと掴んでるものだと思ってた、パパの手のひら。気付いてなかっただけで、それはとうに振り払われていて、もう手の届かない場所へ逝ってしまった。
だけど、サーシェは違う。まだ、僕が掴んでる。離させやしない。もう、取り零したくない。僕が掴んでる限り、死なせるもんか!


『───……東京から離れるんだ、音が聞こえないところまで!』

「だから何処だよ駄眼鏡!!」

『エンドレイヴの遠隔操縦システムが届く域までだ!いいからとりあえず走れ!!』

「走ってるよ!!…っふざけんなよ、」


こんなので、死なせるかよ。

おとなしく逃げときゃ良かったんだよ、ばかやろう。
死んだら、一生恨んでやるからな!




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