私は、走っていた。


広い広い空港のロビー。日本人は防疫のため国外に出ることを禁じられているとはいえ、国内旅行は嘗てと同じように盛んに行われている。故に、空港も普段ならばそれなりに人がいただろう。しかし、今日ばかりは違う。空港内は静かなものだった。
GHQ最高司令官ヤン少将が、ある物をこの国で入手し、急遽それを本国に持ち帰るということで、私達はそれを厳重に警護するよう命令されていた。
私は生憎、一昨日嘘界さんの護衛として足を運んだ任務先で利き腕に怪我を負ってしまい、銃撃兵としての職務をこなせる状態ではなくなってしまったため、今回はダリルくんのサポーターとして彼の身辺の手伝いをすることが仕事だった。

一応本部を出ての任務なのできちんと白服に着替えようとしたのだけど、包帯が引っ掛かって動かしづらかったため、所轄のリーダーであるダンさんに私服でもいいかとお願いしたところ、あっさり許可が出た。
やることがやれれば問題ない、服装は個性を生かせる大事ななんとかかんとか…、最後らへんはなんと言っていたか、聞き取る気がなかったのでわからないけれど、とりあえず良いってことだろう。

黒のミリタリージャケットに黒のダメージジーンズ姿で、一人、誰もいない空港内を彷徨く私。普段任務先はちゃんと軍服着るから、違和感丸出しなんだよね。でも、気にしない。
エスカレーターを駆け上がって、ロビーの2階を探しても、目的の人物は見つからない。あんまり無茶な動きをするなと言われているから、時間がかかってしまう。


未だ、自由に動かすことは叶わない左手。握れないので、腕で抱えるように持つ、2つの無針注射器。


ワクチンD?

あぁ。内線で嘘界少佐の指示があるから、それまでは打たずに持っておけ。あと、これはヤン少尉の分だ

ダリルくんの?

渡そうと思ったが、さっきから姿が見えないんだ。渡すついでに、ミッションの時間が近いから呼び戻して来てくれないか



「もー…どこ、」



空港に特別に設えたオペレート室から出て探し始めて、早15分。大分前から、広い上に見つからないせいで空港内を駆けずり回っている。
今日はまだ、彼の顔を見ていない。空港への移動も別々だったから。本部を出る前にエンドレイヴパイロットはスーツに着替えていたようだったから、更衣室にはいないだろう。じゃあ、あとは何処を探していない?
ローワンは特令で別行動だからオペレート室にはいないし、嘘界さんは長官が乗る輸送機の準備の指揮に回っている。歩兵は外の警護に当たっているし、空港内にいるのはエンドレイヴのパイロットやサポートオペレーターだけで、その誰もがオペレート室で来るべき時間を待っている。他に聞ける人もいない上に、二人がいない今、頼れるのは自分だけだった。
このだだっ広い空港内を一人だけでたった一人を探すために縦横無尽するのは、歩兵の私と言えどなかなか骨が折れる。もう残り時間も少ない。一度考えてみよう。立ち止まって、呼吸を整えながら彼の行きそうな場所を思い浮かべてみた。


景色を見てる?…違う。空も海も見えるロビーにはいなかった。

これだけ時間が掛かってるということは…誰かに会いに行った?
彼のサポートオペレーターであるローワン?…ローワンが不在なのは、彼が一番に連絡されているはずだ。それはない。

じゃあ……────



「っ、エレベーター、」



管制塔がある方向へとりあえず走り出す。耳の通信機から、ローワンの代理のサポートオペレーターからまだかと連絡が入る。もう少し待って、と伝えて、注射器が落ちないよう腕に力を込めながら一生懸命床を蹴った。


ダリルくんは、長官に──お父さんに会いに行ったのかもしれない。


彼は、長官の息子であるにも関わらず、今回帰国に同行しなかったのだ。いや、させてもらえなかった、のかも。
なら、出発前に、見送りを兼ねてもう一度話したいという気持ちもあるだろう。私が、嘘界さんやローワンに来ちゃだめと言われたら、必ずそうする。


管制塔に繋がる通路のある場所まで走ると、遠くにグレーのエンドレイヴスーツが見えて、足を緩める。すると、彼の向こうに見えるエレベーターの扉がふ、と開いた。


「─────」


足を止めた。

見てはいけないものを見たような気分だった。
長官が、女の人と、キスをしていた。がりがりの細っこい私と正反対の、むちむちと肉々しい、いつも長官と鬱陶しいほどべったり一緒にいる、女秘書だった。
生々しい、かぶり付き貪るようなキス。舌を絡めるそれは、とても挨拶で交わすキスではないことを窺わせる。

静かな通路内に、長官の声がやけに響いた。ダリルくんの名を呼び掛けて───やめた。秘書に、制される形で。
扉が閉まる直前、秘書の口元が優越に歪むのが見てとれた。勝ち誇った微笑み。アレが、あの人のホンモノ。

扉の閉まる音が、いつまでも響いているようだった。


いつも、見たいものばかりが見えるわけではなかった。

見たくないものの方が、たくさん見てきた。


ほら、今も。

あの光景を見た、彼の背中。


誰よりも、小さく見える。

置いてきぼりを食らった、幼いこどものように。



なんて声をかけたら、いいんだろう。

気まずさとか、同情は微塵もないのに、どうしてこんなにも言葉が浮かんでこないんだろう。
私は、いつもどうやって、彼に声をかけていた?


は、と手元の注射器に視線を落とす。
そう、だ。これを、渡せば。

声をかけるのが怖くて、彼から気付いてくれないかと、わざと足音を立てて近付く。
振り向いて。振り返って。そんな扉、見ないで。お願い、見ないで…。


がしゃん。大きな音を立てて、エレベーターの扉に叩きつけられたヘルメット。歪んだ扉から、ブザー音が耳障りに響く。
近寄るなと、背中が語りかけてくる。ぴたりと、足を止めた。

泣いてるのだろうか。

震える小さな背中。
鳴り止まないブザー音。

彼の心が、壊れる音。


ぱきり、空気が割れる。

割れたそれは、ばらばらと崩れ落ちていく。


私は駆け出した。



「さわるなッ!!!!!」



ぱんっ、と乾いた音を立てて、伸ばした右手がはたかれる。
じんじんと焼けるように熱く痛むそこ。こんなの、痛くも痒くもない。彼の心に、比べたら。

喉が壊れそうなほど、お腹の深い深いところから吐き出された拒絶の声は、鋭いナイフのようで、それでいて───今にも割れてしまいそうな、ヒビの入った薄氷のような、危うい繊細さを含んでいて。
そんな、そんなの。悲鳴にしか聞こえないよ。

心の奥が、軋んだ気がした。私は、痛くない。いま痛いのは、彼だ。


「……ダリ───」

「さわるなって言ってんだろ!!!!!」

「っあ!」


今度は、強く肩を押され、突き飛ばされる。壁に叩きつけられ、左腕からは注射器がばらばらとこぼれ落ちた。
勢いで打ち付けた左腕の傷が開いた気がする。さっきとは比べ物にならない、焼けつくような痛みが走った。

からから、と足元に転がっていった一本を、彼は踏みつけた。
何度も、何度も。ヒビが入って、大破して、中の粉末薬が散らかっても、踏むのをやめない。


見ていられなかった。



「ダリルくん!」



もうやめて、とは言えなかった。

だから、両手で彼の手のひらを包む。
俯いて、必死に振り払おうとする彼。しっかりと握って、離さない。


「やめろ…」

「ダリルくん、」

「やめろよ…」

「ダリルくんっ」

「離せよ!!汚いんだよっ、お前ら、みんなみんな…っ!!」


傷が痛んで、血が滲む感触がしても、握って、離さない。
声が、手が震えてる君を、放っておけるわけ、ないじゃないか。


「離せ…っ!」

「………」

「……っ離せよ…!」

「………」

「…………離してよ…、」

「………」

「…………ねぇ…っ、」

「ダリルくん、」

「…………っ」

「あの、………あのね、」

「…………、」

「ダリル…くん、えっと、


………友達に、なろう」


自分でも、頭がいっぱいいっぱいになって、何が言いたいのかわからなくなっていた。
だけど、でも、ただただ、伝えたい気持ちばかり溢れてきて、言葉にならなくて、嗚呼、なんてもどかしいんだろう。

言葉を無くして、ぼんやり私を見るダリルくん。
光を宿さない、暗く陰ったすみれ色が映る。


「あの、えっと…、うまく言えないんだけど……
私と君の関係を友達って呼ぶのかも、よくわからないけど……わたし、私ね、もしまだ、君の近くに居られてないなら、そばにいきたい。君の隣にいたい」

「…………」

「ダリルくんと一緒に、また話したり、笑ったり、時々喧嘩したりして、まだまだいっぱい、一緒にいたい」

「…………」

「だから、だからね、わたし、死神だけど、殺ししか出来ない汚い人間だけど、君の隣にいてもいいかな。一緒に、これからも過ごしちゃ、だめかな」


暗い瞳は、色を変えようとしない。
ぼんやり、私を視界に捉えていないのもわかった。私のその向こうを見てる。



「ねぇ…、ダリルくん、」

「離してよ」

「っ、」

「薄汚いんだよ。お前も、あいつらも、みんな、みんな───」



なにひとつ届いていなかった。

ぽつりと落とされた声は、どこまでも感情を感じさせなくて。
何処を見ているのかすら分からなかった。

まるで、前の私を見ているようだった。
そんなのやだ、と思った。
ダリルくんは、万華鏡なんだよ。たくさん表情を変えて、きらきらくるくる、瞬かなきゃ。
そんな顔するの、私だけで十分だ。

私が笑うようになったかわりに、君から表情が消えてしまうくらいなら。



私は、強く唇を噛んで、彼の手を離すと、転がっていたもう一本のワクチンを、その手に握らせた。


「………………」

「渡した、からね」

「……なに、これ」

「ワクチン。嘘界さんの指示があるまで、打っちゃだめ」



真っ暗な瞳で、言葉少なで、表情を変えることもない。

私は、与えられてばかりで。
彼の何も、救えなかった。

ううん。救えなくてもいい。
少しだけでも、あたたかい気持ちにさせてあげたかった。



真っ暗闇で、閉じ籠るのは、私だけでいいんだ。





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