赤茶色の睫毛が、ふわりと開いて、数回瞬いた。

その影から深い海色が覗く。
緩やかに左へと動いた瞳には、よく見知った栗色の髪の青年が写った。

青年は、菱形と長方形を重ねたような特徴的なフレームの眼鏡をかけたまま、くたりと俯いていた。腕を組んでいるその姿は、黒いTシャツを着ている。いつも彼が士官服の下に着ているものだった。
白い士官服は、適当に畳まれて彼の膝の上に置いてあった。技術武官の証である大尉格のベレー帽は、そのてっぺんでずり落ちそうになっている。

起き上がると見えたのは、窓から覗く月明かり。だけどそれも、少しずつ白みがかってきていて、朝が近いことを知らせた。
少女は、またあの薄い青緑の検査服を着させられていた。袖口から覗く右二の腕には、包帯が巻かれている。

少女は、左手で目を押さえながら、回想した。自分は何故ここにいるのか、と。

ルーカサイト計画。城戸研二。爆弾。楪いのり。コントロールコアの破壊。恙神涯。縛られて運ばれてきた少尉。オウマシュウ。脳髄に響いた、少女の声。

そこから先の記憶が、全く無かった。


けれど、皮膚の下を這い上がってくる悪寒の感触は覚えていた。
気持ち悪い。足元を掬われるような、引きずり込まれるような。
心臓を食い破って飛び出してくる、自分の奥底深くに眠っていたもの。

かたかたと震え出す肩を抱きしめて、身体を丸めた。
かちかち音をたてる歯、瞠目する視界にはあの赤い血のような瞳がフラッシュバックする。


「……サーシェ…?」

「……………ぁ……、」


少女の様子がおかしいことに気が付いたのか、目を覚ました青年が彼女の顔を覗き込む。
大丈夫か、と声をかけながら、その震える背中を撫でようとして──少女に手を叩かれた。

少女は、一瞬目を見開くと、小さくごめん、と洩らし、そのまま更に身を縮こまらせて顔を伏せた。


「……ひとりにして」


元来世話焼きである青年は、放っておく気にもなれず、しかし特にしてやれることもないことを悟ると、心配そうに小さな身体を見つめ、そうして立ち上がった。


「何かあったら、すぐ連絡しろよ」


こくりと頷いたのを確認すると、青年は膝の上に置いていた上着とベレー帽を手に、病室を出ていった。


少女は、怯えていた。



***





「ねぇ、死神は?」


アンチボディズは、昨夜のルーカサイト計画破綻によって謹慎命令を出されていた。
一応皆士官服姿で出勤し、トレーニングに励む者もいるが、大概の奴等は仕事もないので休憩室にたまっている。処罰を言い渡されるまでは、やることもなければ普通の兵たちの邪魔になるため、不用意に動けないというのが現実だった。

とはいえ、現状としては早いところテロリストの対抗戦力に継ぎ足したいもの。そういうわけで、アンチボディズの事実上リーダーである嘘界少佐が、直々に茎道局長と共に長官──僕のパパに、交渉に行っているところだった。
僕も例に違わず謹慎命令を受けた身で、つまらないと思いつつ本部まで足を運んだ。とりあえず出勤義務だけでも果たさないと、パパの命令でもあるんだから。

暇潰しに、今日くらい死神の相手をしてやろうかと思っていたところ、少し眠そうに目元を擦っているローワン大尉を見つけ声をかけた。


「あぁ、ダリル少尉。おはよう」

「何、寝不足?」

「ん…まぁ、ちょっとね」

「ふぅん…で。死神知らない?いつもの休憩室にも居ないんだけど」


そう言うと、ローワンはぱちくりと瞬きをして、あぁ、とぼやくように呟いた。


「今は行かない方がいいと思うよ」

「は?なにそれ」

「昨日、倒れただろう?一応、腕の怪我の処置も必要だったから、軍用療養施設に運んだんだけど…なんだか、様子おかしかったから」

「…様子がおかしい…?」

「明け方までそばについてたんだけどさ、なんていうか…怖がってる?ひとりにして≠チて言われて。触ろうとしたら叩かれたし」

「なんかいかがわしく見えるようなことでもしたわけ?うぇっ、これだから汚い大人は」

「ものすごい誤解だやめてくれ」


それでも「今はそっとしといてやってくれ」と念を押すローワン。興醒めした僕は、八つ当たりに一発そいつの肩を殴り付けてから通路の反対側へと歩き始めた。


本当は、昨日見たものについて、少し話してみたかった。

子供が「帰り道に虹を見たよ」と親に報告するみたいに、なんとなく、言ってやりたくなった。
あいつは、前僕にそういう話をしてたから。暇潰しだよ、別に、あいつだからって拘ってるわけじゃないし。
ただ、綺麗だと思ったのは、本当だったから。

あいつは、僕に話して、聞いてくれるから。
僕に興味を持ってくれるから。

珍しいやつだから。
少し、気になるだけだ。











暇だったんだ。うん。暇でしょうがなかったんだ。

何故か誰に咎められるわけでもないのに、自分に言い訳をしている僕。目の前には、ボーンクリスマスツリーから少し離れたところにある軍人のための療養施設。
なんだか、散々くっついて周りをうろちょろされてたから、急にいなくなって調子悪い。こんなにペース乱されてるってのも、嫌な感じだけど。

ぐるぐる掻き乱されるような、よく分からない感情を抱えたまま、扉に近付いた。自動扉が開く。
その時だった。
どん、と右肩に衝撃が走る。痛、と思うより先に、身体がよろめいて、何処見てんだよと怒鳴りつけてやろうと思ったところ、遠くに消えていく夕焼け色に目を見張った。


「…ぇ、」


僅かな声が洩れる。
死神だった。
施設を飛び出して行ったあいつの背中をぼんやりと眺めていると、看護師が一人出てきて、あぁとため息をついた。


「行っちゃった…」

「あんた、あいつの担当?」

「っえ、あ、ヤン少尉!何故このようなところに…っ」

「質問に答えなよ、今聞いてるのは僕だよ」

「ぁ、はいっ、私がメノーム准尉の担当看護師です」

「あいつ、どうしたわけ?」

「はぁ…身体に異常はないか、検査をしようとお話を持ち掛けたところ、そんなものいらない≠ニ仰って…そのまま飛び出していってしまわれて」


なに、それ。

あいつ、検査を拒否するようなやつだったっけ。


いまは、休む時間なんだよ。ゆっくり落ち着いたらいいと思う


なんだか、様子おかしかったから


確かに、変だ。
逃げるように走るなんて。
あの、いつものったりしてて俊敏な動きなんて戦闘中しか見せないようなやつが。


よく分からないけど、逃げられたら追いかけたくなるというもの。
勝手に敷地外まで飛び出されて何かあっても、見掛けた身としては気分が悪い。

普段はこんなふうに誰かの心配なんてしないけど…少なからず、僕もあいつには興味を持ってるの、かな。


考えるのはやめよう。

少し前に見えなくなった後ろ姿を探して、僕は走り出した。



***



案外すんなりと死神は見つかった。
24区もなかなかに広いから、骨が折れるかと思ったけど…


目の前に広がるのは、蒼い大地。
奴の瞳。

さざ波と一緒に、潮風が吹き上げてくる。



「そんなとこで何してんだよ」



ぴくりと肩が跳ねた。

そろりと僕を振り向くその顔は、いつものような無表情じゃなかった。
驚きと戸惑いがない交ぜになったような顔をしていた。新鮮だと思った。

死神は、ボーンクリスマスツリーの裏側の人気のない海浜、コンクリートが切り落とされたように断崖になっている陸のその下、テトラポッドの上にちょこんと座り込んでいた。


「少尉…?」

「うわ、しかも裸足じゃん。お前がそっから落ちようが何しようが勝手だけど、一応謹慎期間なんだからおとなしく病室で寝てろよ、いつもみたいにさ」


じ、と僕を見つめると、返事もせずにまた海の方へ目を向けた死神。
無視されたのがなんだか異様に腹立った。こんなやつ追いかけなきゃ良かった、ほっといたって腹へったら帰ってきただろうに。


もう帰ろうかな。夏日が眩しく、肌に痛かった。もう真夏だ。いくら白いとはいえ士官服は長袖だ。こんな格好でこんな陽射しの下にいるなんて、暑くて敵わない。
べたつく潮風にも嫌気がさして、踵を返したところで、波の音に混じった呟きが耳に入り、首だけで死神を振り返ると、死神はテトラポッドの上で立ち上がり、僕を見上げていた。


「何か言った?」

「………ぃ、」

「えぇ?聞こえないけどー?」

「………」


すると、ぴょんと跳び上がった死神。僕の横に着地するなり、目を細めて言った。睫毛に縁取られた海が、不安げな暗闇を交えてくるりと光る。


「一緒に、いてもいい…?」


よく、わからなかった。
わからなかったけど、なんだか、いつもと全然違う死神が、こんな弱々しいこいつが珍しかったから。
好きにすれば、と言った。ありがと、と掠れた小さな声音が、僕の鼓膜を揺さぶった。



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