この世界は、偽りの虚像だ。
本物は、何一つない。
本物を探して、私は生き続ける。
私の存在理由は、きっとそれだけなんだ。
幻に焦がれるのはもう疲れた。
私は、私の思うように生きよう。
高い高い、廃ビルの屋上。
その上の、今はもう使えない汚染された貯水タンクの上にぽつりと独り、女が立っている。
いや、彼女が短い水色のスカートを履いていなければ誰も彼女が女≠セと分からなかっただろう。
華奢な肢体にはあまり凹凸が目立たない。
短くざんばらに切り揃えられた無造作な髪型からも、女らしさは感じられなかった。
今はなきスカイツリーの代わりに立ち聳える嘗ての首都の名所、東京タワーの照明が怪しく町を照らしていく。
彼女の髪は、タワーの照明に照らされ金混じりの夕焼け色を煌めかせた。元は色素の抜けた赤毛なのだ。
初夏の夜とはいえ、まだ肌寒いにも関わらず、彼女はタンクトップにスカート、それにロングブーツだけと至ってシンプルな服装をしていた。
ポケットから色つきセロハンに包まれた飴を取り出すと、セロハンを剥がして指先でつまみ、タワーからの光にそれを翳した。
「…今日は、イチゴ味」
ぱくり。口に含むと、飴の味特有のやけにしつこい甘味だけが舌先を這い回る。
僅かな甘酸っぱさが喉を焼くようにかけ降りていく。
「───あまい」
作られた甘さ。
それは、まるで今のこの国のことを指すようで。
作り物ばかりの世界から自分を遮断するように、彼女はその深い海色の瞳をそうっと閉じた。
本物は、どこにあるんだろう。
***
いつになく、今日は朝からここ24区─嘗てのお台場である─は忙しない動きを見せていた。
昨晩、セフィラゲノミクス社の…なんだったか…重要機密?が、突如現れたテロリストたちに盗み出されたらしい。
奪還に使われた量産型軍用エンドレイヴ─通称ゴーチェは三機とも破損、その上ミッション失敗でこちらには損失しか無かったらしい。
相手は旧型エンドレイヴ─ジュモウ一機のみでの迎撃。にも関わらず、引けを取るどころか鮮やかにこちらのゴーチェを組み伏してしまったようだ。
私が知っているのはここまで。アンチボディズ責任者で当時不在だったグエン少佐はこの大失態を返上すべく第三中隊を駆使して血眼になってテロリストを捜索中らしい。
私は何処の部隊にも所属しない謂わば「必要なときだけ使われる」私兵のようなものだった。上司直属の部下である故に、他の部隊長が私を使いたいときは上司に申請を通し許可が降りて私に命令が降らなければならない。
しかし、命令さえ降ってしまえば私は一時的にその部隊長の指揮下に入らなければならない。要するに、ミッション中だけ私を指揮する権利をその隊長に譲るのだ。
プライドの塊のようなグエン少佐はそのようなへりくだった姿勢を見せることはなかなかない。よって、私は今回の捜索に駆り出されずに済んだ。
まぁ、私のスキルは戦場で生きるのであってテロリスト捜索班に配置されても何ら役に立たないと言うのも事実だ。
つまり、私はいま、暇だった。
(ローワンは情報解析で忙しそうだし…他の人もなんだか忙しそうだ)
お偉方は今回の事態の収集に努めているし、下士官達はいざというとき前線で普段以上の成果が出せるようにと訓練に勤しんでいる。
何せ相手はテロリスト。それも、思った以上に頭がいい。
自分の力量を傲っている訳じゃない。今だけ普段以上に頑張ったって、成せる結果はいつも通りだ。くだらない自尊心のために時間を無駄遣いしたくはない。
なにもしないわけではないけれど、いつも通り過ごせばいい。いつも以上に頑張る必要性を、私は知らない。
舌先で棒つきの飴を転がし弄んでいると、休憩室にあまり見知ったことのない隊員が入ってきた。新人かな?
「……また、休憩中ですか。准尉」
「うん。トレーニングはあと2時間後」
「あなたはいつもそうだ。実力者と評価されているくせに、堕落した姿ばかり。下の者に示しがつかないとは思わないんですか」
「……きみは真面目なんだねぇ」
「!」
「適度に諦めを持って力を抜いた方がいいよ。せんぱいからアドバイス」
「…っメノーム准尉…!」
「やだなぁ。サーシェでいいよ。上官にも下士官の子達にもそやって呼ばれてるから」
「…いえっ、自分は…」
「私は、あんまり気にしないけどさ。きみのためだから言っておこうか」
「は…?」
「上官に注意ってのは、相手見て判断しなよ。中には機嫌損ねただけで殺すやつもいるからさ」
「……っ!!」
さああ、と青ざめて、彼はべこりと頭を下げるなり休憩室を走り去ってしまった。まだまだ若いね。17の私が言えた台詞じゃないか。
見たところ19か20過ぎ程の生真面目な青年兵は、何処と無く私に敵意を向けていた。その反抗心故に、私の機嫌を損ねたら鉛玉一発くらいぶちこまれるとでも思っていたんだろうか。
この年で上官の私兵という立場、その評価、実力。そして、普段の態度。変なやつ、と可愛がってくれる人ばかりじゃない。
特に年上で私より階級が下だと、妬んでくる人だって少なくないのだ。
まぁ、気にしすぎるほどのことでもない。興味ないし。
暇潰し程度に捲っていた雑誌にも飽きて、ぱたりと閉じると、備え付けの簡易ベッドに横になって薄い毛布を被った。
少し昼寝しよ。昨晩は警報のサイレンでよく眠れなかった。
ふ、と瞼を閉じると、じんわり染み出してくるように睡魔が私を襲い、包み込んだ。
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