時々、夢に見るひとがいる。
「接続は、訓練したときと同じだ。ただ、胸部の装置が加わった分、心拍の抑制力が働くから…少し感覚は変わるかもしれない」
「分かった」
容姿も声も分からない。
ただ、そこにいることだけは何故か分かる、奇妙な夢。
「ヴォイドゲノムエミュレータの使用法についてだが…」
ローワンの声が、鼓膜を揺らしながら透明な風のように通り過ぎて消えていく。
脳ミソをいじくったせいか、最近はうっすらと意識が遠退いて、ふと我に返ることが増えていた。
意識が遠退いている間、眠っているように記憶のないときもあれば、ぼんやり夢を見ているような心地になるときもあった。
その度に見るのが、顔も名前も分からない誰かだった。
「───ダリル?」
「…ん、え?」
「また、か?」
「あぁ、ちょっとボーッとしてただけ。
いよいよだと思ったら全然眠れなくてさぁ」
「……頼むぞ、君一人で重要な戦力になるんだ」
「誰に向かって言ってんの?
任せてよ、僕は皆殺しのダリル≠ネんだから」
誰かは、いつも寂しそうな表情(かお)をする。
目元の下がり方だとか、口角の微かな歪みだとか、具体的には分からないけれど、自分はそのひとを知っているってことだけは分かった。
どんなものか分からないのに、自分に覚えのある表情だって分かるんだ。曖昧で変な話だろ?
そのひとは、寂しそうな顔をして、何かを言うんだ。
言うのに、唇が動いたような気がするのに、声が聞こえない。何を言ったのかも分からない。
何もかもあやふやすぎて、普段なら苛つくはずなのに、この夢を見たあと僕は、必ず悲しい気持ちになる。
胸の奥でうじうじ固まってる何かが、夢を見る度に身体中を支配しようと小さく抵抗しているような、そんな感覚。
それも、この巨象のような機体と同調しているときだけは真っ白に忘れられた。
じくじく疼く膿んだ傷の痛みも、心臓の奥の奥の何もない空間に追いやってしまえるんだ。
ただ、そのひとを恋しく思うような、僕自身が寂しいと思うような、空虚に満ちた物足りなさが、胸の中の取っ掛かりに引っ掛かって取れない。
あ、まただ。
また、あのひとが僕を呼んでる。
「ダリル?」
「…………」
あれ?おかしいな。
なんでだろう、今日は隣にいる。
いつもは、向い合わせで少し遠巻きに僕を呼ぶのに。
、 きてえ?
なぁに?聞こえないよ。
おかしいな。いつもは分からないのに、今日は聞こうと思えば聞こえる気がする。
すれ ゃ だよねぇ、あんた結局誰なの?
僕のなんなの?
なんで、そんなに寂しそうにしてるの。
お いだ てなんかよくわかんないけどさ、あんたが寂しそうにしてると、僕も変な感じになるんだよ。
誰を待ってるのか知らないけど、もう少し笑ったりとか、してみたら?
待たせた人間だって、笑って出迎えられた方が安心するだろ。
そういうものじゃ、ないの。
たし、 ま くねえ?なに?
聞こえないよ。
から、 れ で
ばいばい「────!!!」
ふと、今まで死骸だったものがぶわりと息を吹き返すようにして、僕は呼吸した。
視界に映るのは、まっさらで透明なそこにいるあのひとじゃなくて、心配げに僕の顔を窺うお人好し眼鏡。
「大丈夫か?」
「………っ、……はぁ、はぁ…」
「ぴくりともしないから…。
やはり不調なのか?一時的にでも代理を…」
「っるっさいなぁ!!」
がつん、とコフィンのひじ掛けを殴り付けた。衝撃が、骨を伝って腕、肘、肩そして脳へ、順繰りに伝染していく。
僕はまだふぅふぅと肩で息をしていて、今にも喉の奥から野犬の唸り声でもしそうだった。
「いまさら代理もなにもないだろ!?ここで生き残ったってどうせ死ぬんだから!」
「ダリル少尉…、」
「余計な心配してんじゃねぇよ!あんたはあんたの職務を全うすりゃいいんだよ!」
甘ったれたこと言ってんなよ。
僕にはもう、未来なんてないんだよ。
この任務を引き受ける前から、僕の死罪は確定してて、巻き添え食らいそうになってたあんたを遠ざけただけにすぎないんだ。
別に後悔なんてしてない。死刑台で死ぬよか、戦場で殺れるだけ殺って死に花さかせるのも悪くないと思っただけだ。それでいいんだ。
だからいまさら、余計な気遣いも心配もいらないよ。
僕のことは放っておけよ。これで貸し借り無しだ、後腐れなくおさらば出来るだろ。
「…なぁ、ダリル」
「……なんだよ」
興奮がある程度収まって、ふぅと息をつきながら答えれば、情けない表情で僕を見るそいつがいて。
「…………物凄く、今更なんだけど」
「はっきり言いなよ、焦れったいなぁ」
「やっぱり、君には持っておいてほしいから、勝手だけど…ね」
差し出された拳。手を出して、と言われて、握り締めていた手のひらを広げると、拳の中のものが、そっと手の上に落とされた。
黄色いセロハンのキャンディーだった。
「?なにこれ」
「…やっぱり思い出せないか。
でも、大切に持っていてほしいんだ。これは、彼女の願いだから」
「…彼女?誰だよ?」
「ううん、いいんだ。ただ、君には忘れないでいてほしいだけだよ。
きっと、君の中の何処かに、欠片だけでもまだ必要としている自分がいるはずだから」
「……わけわかんない」
大体、女の知り合いなんて僕にいたっけか?
出撃前に何かを飲食するのは自分の流儀では無かったので、キャンディーは手のひらの中で転がすだけになった。
持ってろっつったって…まぁ、脳で直接操縦するゲシュペンストに搭乗する限り、邪魔になりはしないけど。
ふと、その時モニターから妙な音がした。頭に残るような不協和音がして、ローワンと一緒になって振り返ると、そこには結晶の矢がそこらじゅうに突き刺さり、建物も船も人も、どこもかしこも暗い青紫色に反射した光景が広がっていた。
今回、国連軍による嘗ての東京爆撃について各国の激しい糾弾があったことが理由で、奴らはここ日本に核や爆弾は落とせないことになっていた。つまり、制圧には歩兵とエンドレイヴその他銃器しか用いれないわけで、主力だと思われた海上の上陸部隊が一瞬で殲滅されたとあらば、その威力もまた格段に落ちるだろうと思われた。
『──大勢は決した。時間までここを守りきれば我々の勝利だ。
全エンドレイヴ、出撃。ゴースト部隊、起動!』
茎道大統領の声がスピーカーから響き渡る。同時に、ゴースト部隊を起動するモーター音のようなものがそこここで上がった。
ゴースト部隊にオペレーターは必要ない。現状、コフィンでオペレーターとしての任を務めることになっているのは僕だけだった。
代わりにダァトとかいう組織の見張りみたいな奴らがうじゃうじゃと詰めているだけだった。まぁ、見張りにこんな人数必要ないから、多分各種機器のオペレーティングに用いるだろうけど。
脳波を測定しゲシュペンストに届ける小指の爪ほどの小さな吸盤を適切な箇所に装着しながら、未だにはっきりしない表情で自分を見下ろす上官を目線だけで見上げた。
「頼むよ、ダリル少尉」
「……ねぇ」
「ん?」
「あんたさ、なんでまだここにいるの?
逃げようと思えば逃げられたんじゃないの?」
首から繋がれた管は、新型機用の通常よりも大きいコフィンの背面に繋がっていた。首筋から脊椎を通って脊髄を介し直に脳と機体を接続するためのものだ。
いよいよ自分もホンモノの化け物になったな、そう思うと、何処か安心している自分に気付く。
こんな自分が人間なはずがない。
人間ならば、愛し愛されて然るべきだ。僕は、殺すだけだ。一方的だ。
あいつと同じ化け物になれた自分を、誇りにすら思えた。
あれ?あいつって誰だっけ。
僕のとは違って、目の前の上官の首はすっきりとしたものだ。
せっかく繋がった首の皮、またギロチンの下に置くようなことしないで、さっさと去就するなり何なりして逃げればよかったのに。
すると、ローワンは少しだけ微笑って言った。
「……待ってるから、かな」
「?誰を」
「まぁ、それだけじゃ、ないんだけど。
君こそ、なぜなんだ?あんなに恙神涯に反抗していたのに、どうしてモルモットに志願するようなことを…」
僕は、虚を突かれたように目をぱちくりと瞬かせてから、不敵に笑って見せた。
「さあね」
「さあねって…」
「あれだよ、ほら。悔しいじゃん?ヴォイドって奴にやられっぱなしなのって。
それに…死に方ぐらい、自分で選びたいしね」
「死に方って──」
「ほら、下がれよ!」
片手で奴の胸板を押し退けた。思ったよりも優しい手つきになって、ローワンはとんとひとつ後退しただけだった。でも、それで十分だった。
棺桶≠フ蓋が下がっていくのを、ぼんやりと見上げながら、僕はふと思い出したように言った。
「……なぁ、ローワン。
僕とあんたってさ、昔、会ったこと………いや、いいや」
言い終わる頃には、視界は曇りガラスで出来た蓋に覆われていた。
「んじゃあ行こうか、ゲシュペンスト!」
す、と瞼を下ろしながら、機体を起動させる。僕のものではない鋼鉄の巨躯なる肉体がうち震えるのを感じた。
手のひらに握りこんだキャンディーの感触が遠ざかる。
ほんの一刹那、視界がゲシュペンストのものに変わる瞬間に、誰かの面影が瞼の裏に写ったような気がした。
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