狐を知っていますか、サーシェ



ターミナルの3階、誰もやって来ないそこで、私は膝を抱えていた。

広がるガラス窓、見える海は黒く暗く濁っている。これも、アポカリプスの影響だとでも言うのか。


「……いぬ科の哺乳動物、3文字…ですよね」


誰かに言ったわけではない。
左手に握ったセロハンを、窓から差し込む夕日に翳した。

紫色のそれ。
深緑のは、あのセーフハウスに置いてきてしまった。…ううん、嘘界さんが拾って持っていってしまった。


あのあと、私達はセーフハウスに迎えにきたアルゴという葬儀社の幹部のひとに連れられて、ウォール内の港付近にある船舶ターミナルへとやってきた。
彼は始め、私に対し銃を向け、歯噛みした。

「てめぇか、旦那を…ッ!!」

私が春夏さん達を人質にとったと思ったらしい。
私は何も言わなかった。何も言わずに、銃に向かって一歩踏み出した。


「違うわ!」


なのに、私を庇ったのは、春夏さんだった。


「あんたわかってんのか!?こいつはGHQの殺戮兵士だぞ!!」

「この子は私達を守ってくれたの!!だから味方よ!!」

「わっかんねぇだろそんなの!!」

「春夏さん、いいよ…」

「良くなんかない!」


どうして、春夏さんはこんなにも私のためにしてくれるんだろう。
言葉を交わしたのだって、さっきの今が初めてだというのに。


「私だって元はと言えばGHQ側の人間よ、だからなんだって言うの!?」

「…………ッ、」

「この子は私と同じなの…、同じなのよ…!」


アルゴは銃を下ろした。
私が彼らに唯一出来るのは、これ以上干渉しないこと。

だって、傷付けてしまう。
誰のそばにいたって、私はきっと誰も幸せになんて出来ない。



なんで先に行くの?どうして置いてくの!?
一緒にいるって言ったくせに!!ずっと一緒だって、愛してるって言ったくせに!!



死神は、死を与える神様。

幸せは与えられない。

痛くて、苦しくて、つらくて、寂しくて、切なくて、
そんな気持ちしか、与えられない。


だから、いいの。

死神は独りぼっち。
それが普通。
当たり前なのだから。


狐はね、サーシェ。

子が独り立ちするのではありません。
親が、子を捨てるんです


日本語の勉強の一貫で、日本語で書かれた絵本を読んでいたときのことだ。
タイトルはごんぎつね=B泥棒と間違われた狐が、猟銃に撃たれて死んでしまった話。


すてられる?

そうです。昨日の夜、つい先程。それまで仲睦まじく親子を演じていた狐の両親は、ある日突然子に向けて牙を剥き、威嚇をし…子を突き放すのです


可哀想だと思う以上に、胸が痛くなった。
そうか。捨てられちゃうんだ。

捨てられて、やっと大人になって。
なのに、ごんは撃たれて死んでしまう。

きっと、私も同じ道を辿るのだろう。


ここで問題です、サーシェ

え、

この時、狐の親はどう思いながら子を捨てるのでしょうか?国語の問題ですね

………きらいになる?

貴女は昨日まで大好きだったキャンディーを突然嫌いになりますか?

ならない


即答した私に、彼はほくそ笑みながら肩を震わせた。そうですねぇ、私も突然スウィーツが嫌いになったりはしません。可能性はなきにしもあらず、ですが。そう言って。


貴女にはまだ難しい問題でしたね。答えを教えてあげましょう

こたえ…?

答えは…────、



***



「桜満博士は、どうして彼女を?」



隣の車椅子の少女、篠宮綾瀬に言葉を掛けられて、春夏は開いていたケースを閉じた。


「サーシェちゃんのこと?」

「はい。…アルゴは、あなたが彼女を庇ったと…」

「えぇ、そうね。そういうことに、なるかしら」


綾瀬は、少し複雑な表情をしていた。
元々葬儀社自体も、寄せ集めの組織だ。こだわるほど結束が固いわけではない。
アルゴは義理堅いというか、そういったものにこだわる型の人間だからこそ、同志の仇を前に怒りが爆発したのかもしれなかった。

しかし綾瀬は、そういうことを理解した上で、心を許した仲間と共に生きるために戦っていた。
事故で足を失い、人生をも失いかかっていた彼女に、再び人生を与えた男のためならばと、我が身を省みず戦いの日々に明け暮れた。

自分のように、根っからの戦士ではなく、イレギュラーでこの世界に踏み込むことになった人間がいてもおかしくはないと思っている。
ただ、サーシェは違う。死神と謳われるほどに迷いなく命を奪い、屍の上に立つ。エンドレイヴとさえ対等に渡り合う。
生まれつき兵士としての才能を兼ね備えているような彼女が、今更になって組織を寝返ったことに、綾瀬は疑問を抱かずにはいられなかった。


「私ね、サーシェちゃんと直接言葉を交わしたのは、本当に今日が初めてだったの」

「はい」

「だけど、ある日彼女の武装スーツの設計を任されることになって」

「…えぇっ!?」

「ふふ。びっくりしちゃうわよね。あの子の知らないところで、戦うあの子を一番サポートしているんだもの」


春夏はある日、嘘界──当時は彼が少佐になったばかりだった──に、自分の私兵のための専用スーツを作ってほしい、と頼まれたのだった。
しかし、彼女は一度断ろうとした。自分はセフィラゲノミクスの研究員だ。遺伝子学者故に、生物学には精通していても、服飾なんてもっての他だったからだ。

ところが、参考データとして彼から受け取った彼女の身体的能力の高さには目を見張った。
体格は一般女性のそれより華奢で、それでいて背は高く、筋肉の質も良い。だが、春夏が驚いたのはそこから先だった。
たったこの程度の筋肉量で、彼女はエンドレイヴ用重火器やサブマシンガン、大型の銃を手足のように扱うのだという。おまけに、跳躍力・瞬発力・機動力・腕力・握力・筋持久力・肺活量その他諸々に目を通してみても、その能力の高さは他に類を見ないほどの好成績だった。
人間の可能性を最大限まで引き伸ばしたような才能の持ち主。春夏は彼女の存在に心底驚かされた。

そして、何故そこで嘘界は普通の事務課に行って備品の調達を頼まなかったのかという問題に答えを見出だした。

邪魔なのだ。一般兵装では重量・動きやすさ・耐久性全てにおいて彼女に遅れを取ってしまう。煩わしさを生んでしまう。
よりその才能を発揮できるようなスーツでなければ、彼女はいずれ自らの持ち味を活かしきれないまま戦死してしまうだろう。そういった嘘界の懸念を、春夏は汲み取った。


だから春夏は、研究の合間にスーツの設計に取り掛かった。
より動きやすくするためには、最小限の重さ・厚みでなければならない。且つ、そこに防弾・防火・防寒対策を施す必要がある。
よって春夏は、全身を包むタクティカルスーツと身体の要所を保護する防具とで分けることで、彼女の才能を発揮できるようにした。筋肉の働きを促進する伸縮性、大きな跳躍力に比例して大きくなる着地の負担に耐えるための弾力性など、所々に工夫を施したそれを嘘界に見せると、「まるで生きたエンドレイヴのようだ」と漏らされてしまった。

それはスーツのみに関して言った言葉ではなかった。彼女は、心を見せないのだ。表情も、声色も、何一つ変わらない。嘘界曰く、目の色は変えますよ、ごくたまに≠ニのことだった。

姿と性格が相俟って彼は彼女をそう表現したのだ。死神サーシェ、その二つ名に相応しい空っぽな人間なのだと、春夏は思っていた。


「守りたいと思えるものが、やっと出来たのね」


自分も、愛する息子のためならばと幾多もの命を無下にしてきた。
大切なものに対する真っ直ぐさや、不器用で無感情なところ。自分と彼女は、きっと何処か似ていて、何かが同じなんだと春夏は思うようになった。


「だから、あの子にだって、自分の意思で生きる価値があるはずよ。
組織に促されるままにただ命を摘むだけじゃないんだって、今の彼女を尊重してあげたかっただけ」


初めて面と向かって話をして、春夏は自分の予想がただの思い過ごしだったと知る。
彼女は、誰よりも真っ直ぐで、誰よりも優しくて──そして、誰よりも不器用なだけだった。
空っぽなんかじゃない。きっと、自分が彼女を知るよりずっと前から、その胸の中には強い心があったのだろう。

死神なんて名ばかりで、あの子はちゃんと人間なんだと、他のひとにも知ってほしかった。
天才だと慕われながら誰よりも遠ざけられて、孤独に感情を抱えながら死んでいった、自分の愛する人を重ねるようにして。




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