頭の中は真っ白だった。


「……ばかじゃないの、」


もう、涙も出やしない。
沈んだままの気持ちを抱えながら部屋に戻れば、そこはもう真っ暗で。
虚ろな眼差しで室内を見渡しても、息をしている彼女は何処にも見当たらない。


行ってしまったんだ、彼女は。


崩れ落ちるようにベッドに座り込む。
ぼんやりと映る視界には、あの夕焼け色の髪も、深い海色をした瞳だって見つからない。


また裏切られた。

結局、僕を愛してくれるひとなんていなかった。


ずっと一緒にいるって、約束したのに。

愛してるって、言ったのに。


心の内の万華鏡は、もう何も幻想を見せてくれない。
真っ暗闇しかないそこから、僕を連れ出そうとしてくれる手も、もう何処にもない。

何も映し出さない万華鏡は、やがて僕の心を頑なにする鉄壁となり、もう誰も寄せ付けないようにと、防衛線を張る。


繋いでたはずなのに、この手は空っぽだ。


「……うそつき…、」


僕に笑いかけていた柔らかい笑顔が、歪んで霞んで見えなくなっていく。
手のひらに残ったぬくもりも、彼女を抱きしめたときの感触も、もう何処かに消えてしまった。


「うそつき……
僕のこと、置いてくくせに…
愛してなんか、いなかったくせに…

うそつき、うそつき、うそつき…」


だけど、不思議だった。

パパの時は、憎悪が膨らんで、殺意に変わって、弾けてしまった。
なのに、どんなに憎んでも、どんなに裏切られたと思い込んでも、殺意は生まれない。

ただひたすらに、悲しみが涌き出すだけ。


「愛してくれないんでしょ…
僕を置いていくんでしょ……」


ただ思うのは、置いていかないでという、子供の嘆き。


「一緒にいてよ…ねぇ……」


来年もその次も、僕の誕生日を祝ってくれるって、言ったんだ。
パパの代わりじゃなくて、自分自身が祝いたいからと、言ってくれたんだ。

なのに。



「……やだぁ……っ」



なんて情けない声だろう。

頭の奥の冷静な自分が、ぼんやりと自分を眺めながら言う。

ぐずぐずになって泣き出してしまいたくなって、顔を両手で覆った。
瞬間、涸れてしまったと思った涙が、また溢れ出す。


こぼれ落ちていく視界にひとつ、黄色が見えて、僕はおそるおそるそれに手を伸ばす。


キャンディーだ。

あいつが、一番お気に入りだと言っていた、レモン味。

僕の、レモン味。


「ふざけるなよ…っ!」


こんなもの、置いていって。

置き去りにされたキャンディーと、裏切られた自分が重なって、胸が苦しくなった。


そんなに僕を惨めにしたいの?

馬鹿なことしやがって。


つらくなるだけじゃないか。


ダリルくんは、レモン味


思い出全部置いてって、この場所から出ていって。

何がしたいの。変わるんじゃなかったの。

逃げたんだろ、全部。
僕からも、人殺しからも、全部、全部。


漸く沸き起こってきた憎悪。
それをぶつけるように、手に取ったそのキャンディーを、ゴミ箱に投げつけた。


「お前なんて、大っ嫌いだ!!」


叫んだ。胸の内が抉れるように痛んだ。

これでいいんだ。
これで、変に期待しなくて済む。
もしかしたら、なんて思わないでよくなるんだから。


僕は皆殺しのダリル。
あいつが居なくなるのなら、僕はその死神の名だって背負ってやる。

愛も希望も何もかも、撃ち砕いてぶち壊してやる。


「アハハッ…、ハハハハ…ッ!」


自然と笑いが起こった。
なんだ、理解してしまえば簡単なことだった。
単純じゃないか、僕があいつを捨てただけなんだよ。

だから、僕は何も惨めじゃない。
惨めなのは、僕に捨てられたサーシェだ。

僕は、もとのダリル・ヤンに戻っただけじゃないか。
あいつに毒されたから撃てなくなっただけだったんだよ。


これでいいんだ。

これでいいんだよ。


笑いが止まらない。
同時に、涙も溢れて止まらなかった。




ダリルくんへ

急に、勝手言ってごめんね。
でもね、私ちゃんと君のこと、愛してるからね。
必ず戻ってくるから、その時まで君が、寂しい思いをせずにいてくれますように




***

「さて……」


何処に行こう。


飛び出してきたは良いものの、素直に葬儀社に出向いたって元は敵なんだから殺されてもおかしくない。
残党掃討をこなしていたから、大体の潜伏場所は把握できないこともないけれど、やっぱり情報不足だし、仲間の仇である私を受け入れてくれるとも到底思えない。

セフィラゲノミクス社はGHQの息が掛かっているし、極力関わりたくない。下手に刺激して連れ戻されるような事態になるわけにはいかない。


国連みたいな大掛かりな組織に掛け合えるような立ち位置に私はいないし、私個人の行動として出来そうなことは、国内の民間事業でGHQに反対しているひとたちのところへ協力させてもらうことくらい。
かといってデモ隊に混ざるわけにもいかない。言葉でなく、きちんと行動に移せる企業じゃないと。
一応GHQに所属している身として、私に出来ることはあるはず。今のGHQは最早武力行使でしか対等に渡り合えない。言葉じゃもう通じない。あそこに攻め込めるだけの武力と大掛かりな組織を抱えた企業…葬儀社は壊滅状態だから、期待できないとして…


「…………」


本当、独りじゃこの程度だ。

いつもなら、情報収集してそこから絞りこんで的確な指示を出してくれるのは嘘界さんが担当だった。
指揮官として行動の目安を教えてくれるのはローワンだったし、ダリルくんはなんだかんだ言いながら楽しそうにミッションをこなしていた。

所詮私は下ッ端の歩兵で、命令されて実行するくらいしか自分の力じゃ出来ないんだ。分かっていたくせに、自分のあまりの無力感に悔しくなってくる。
頭を振って、くだらない思考を振りほどいた。


「(余計なこと考えてる場合じゃない)」


出来なくたって、やるしかないんだから。

ふと、顔を上げると、街のビル群の隙間からも見えるほど高く聳えるウォールがあった。
嘘界さんに背中を後押しされて、セイシュンとやらを味わうため潜入したウォールの内側、天王洲第一高校。
あれきり休みがちになって、仕事もろくにこなせなくなっていたから、管轄外とはいえ中の様子が気になってはいる。先日議事堂がついに飲み込まれたとニュースで流れていた。

学校はまだ無事だろうか。
シュウは、いのりは。

それに、祭。元気かな。まだ、皆生きてるかな。

私が撃てなくなったのは、平凡で戦えもしない彼女の明るさにふれたから。
私が人殺しだなんて思わないままに、怪我の手当てや、お礼のお礼にクッキーをくれたりした。

普通に生きてたら、こんなふうだったのかな、って。そう思わせてくれた。私に、普通の大切さを、日常が続く有り難みを教えてくれた。


殺し殺されが日常だった私に、命の重みを、大切なものを守りたいと思う感情を、教えてくれたんだ。


皆も、じっとしているだけじゃないだろう。
きっと、何か行動を起こすはず。茎道さんだって言ってた。あれから一週間…だとすると、もうそろそろ何か変化があってもおかしくない。

そこで私は、はた、と気付く。そこには、生徒会長が居なかったか。彼女があの学園祭を取り仕切っていたのではなかったか。
彼女の名前は供奉院亞里沙。供奉院グループの長の孫娘。確か、供奉院グループ主催の船上パーティーをGHQに対する反逆行為として狙い打とうとしたミッションがあったはず。ダンさんの数々の暴挙は、彼亡き今もしっかりと脳裏に焼き付いている。

あのしぶとい企業がパーティーを邪魔されておしまいにするはずがない。きっと、水面下で何かしら策を講じているはず。
裏社会に通ずるパイプがあるとこちらでは有名なあのグループなら、いつか世界をも味方につけてGHQに立ち向かうかもしれない。

話をする価値はあるだろう。怖いひとなら、嘘界さんのお付きで慣れてる。
うまく喋れるかは分からないけれど、行くだけ行ってみよう。


端末の地図アプリを開いて、供奉院家の屋敷目指して歩き出す。
この先の未来が、ただ結晶化して沈黙するのではなく、また皆と一緒に手を繋げる世界であると信じて。







たとえ、今は歩く道がバラバラだとしても。
きっといつか、また一緒に歩ける日を思って。


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