ご飯が食べれなくなって少したった頃。
まだ部屋に籠りきりになる前、私はろくに仕事もせず施設内をふらついていた。
いつもは睡眠に当てていた時間、眠れなくなったおかげで暇になってしまったから。
かといって、拳銃もまともに握れない状態じゃ何も出来ない。撃てない自分を周囲に晒すより、また仕事をしない人間だと辟易されたほうがましだと思った。
その日も、そうやってぼんやりと施設を回っていた。
ダリルくんは職務中で、確かその日は訓練で一日セメタリーに籠りきりだった。
施設の中に、撃てた頃の自分を探した。
でも、ぼんやりとしか思い出せない。だってそうだ、撃てた頃の私は、心を押し殺して、何も見ないようにしてた。
ローワンと初めて出会った通路の曲がり角。
嘘界さんに連れられて歩いた色んな部屋。情報資料室はよく彼について出入りしていたけど、未だにここの情報量には圧倒されがちで手に取ることも躊躇われる。
何回も問題を起こして、暫く立ち入りを禁止された地下工房。
皆で過ごした休憩室。おやつを食べたり、嘘界さんやダリルくんとゲームしたり、ローワンには言葉の勉強を教えてもらったりした。
コフィンが並ぶセメタリーに続く通路を通り過ぎた。
オペレーターでもサポーターでもないのに、ダリルくんやローワンがいるからって入り浸ったな。
角のエレベーターで3つ降りて、少し歩いたところにあるのが射撃場。
ダリルくんに射撃をレクチャーしたこともあったっけ。毎日のように訓練に来ていた此処が、いまは怖くて入り口にも近付けない。
ぐるりと通路を一回りして、長官室直通のエレベーターの前を通り過ぎる。
少し行くと、普通のエレベーターが4つ並んだところに出る。左から2つ目のエレベーターは偶数回に止まるもの。6階まで上ると、すぐ正面は食堂だ。
ご飯は、食堂のものか、ローワンが残業のあとに時々作ってくれる簡単なものなんかをよく食べた。
お菓子は施設の外の海浜公園によく来る売店や、すぐ近くの街で買ってきて、ローワンや嘘界さんと一緒に食べるの。
小さく息をついて、胸元を押さえた。
見つかるのは、撃てる自分じゃない。
皆と過ごした思い出。大事だと思える、嘗ての日々。
心を押し殺す自分じゃない。
少しずつだけど、心を開ける時間が、感情を解放できる空間が、そこにあるだけ。
もう、戻れない。
そればかりが、胸のうちを締めて苦しくなる。
行く宛もなくふらふらと施設内を歩き回る。
私の知らない部屋や施設はまだまだたくさんある。
いつしか私は、自分の部屋に戻ろうとして知らない廻廊に出ていた。
さっき乗ったエレベーターを間違えたのかな。どうやってここまで来たのかも覚えてない。
誰かに会えれば、帰り道も分かるだろう。そんなぼんやりした気持ちのまま、足を運ぶ。
暗く長い通路を歩いていると、小さな話し声がした。
すぐそばの扉からだった。道を聞いてもいいだろうか、と思い耳を澄ませる。
「えぇ…後は期が熟すのを待つばかりです」
「我らがアダムが復活した今、最早この計画を妨げられるものは何もない…」
多分、この声は茎道さんだ。
なら、ここは茎道さんの執務室だろうか。でも、誰かと話してる。
誰だろう、声は随分若く聞こえるけれど。
「あと数日もすれば、彼らは行動を開始するでしょう」
「ウォールが学園を飲み込むまで、そう長くもない。リークされた情報によれば、行動開始は1週間後だそうだ」
「恙神涯はいい手駒をお持ちですね」
恙神涯?彼は、ロストフォートのときに死亡したはずじゃ?
彼がいまも行動を続けているとしたら。いやでも、彼は葬儀社のリーダーで、私達の敵であるはず。
今の口ぶりじゃまるで、恙神涯の手下がGHQに利益をもたらしてるみたいだ。
「もうすぐ、世界は終焉を迎え、人類は次なるステージへと進化を成し遂げる。シュウイチロウ、あなたはその進化の貢献者となるのですよ」
「…そう思えば、長かったこれまでの日々も懐かしく思えるというもの…」
「GHQ内にもダァトの人間が配備され、順調にイヴの復活へと近付いていますよ。
感傷に浸るのはそれからにしましょう」
確かに、ここのところ施設内でも見ない顔の人間を見るようになっていた。
初めて見る制服に、皆同じバイザーで目を覆い隠しているのだ。制服の違いは部隊によって異なるものだから、ロストフォートの後に結成された新部隊だろうかと首を傾げていた。
だけど、それだけじゃない。
明らかに白服の人間が少なくなっている。
知り合いの上司も見当たらないし、日に日に白服の代わりにスーツの人間が増えていく。
白服の人間がスーツに衣装替えしたのか、まるまる人間が入れ代わっているのかはわからなかったけど、何かが変わっていくのはなんとなく感じていた。
「進化のその先の未来を祝うときこそ、我ら人類の願いが成就する」
「全ての人間は結晶と化し、そこに永遠の思考を獲得する…
玄周、俺の勝利を今こそお前に示してやる」
は、と息を吸い込んだ。そして、気配がこちらを向いたのを感じて、私は走った。
盗み聞きしていたのが、バレてしまう。いや、もうバレたかもしれない。
何処に繋がるのかも分からない通路を、走って走って駆け抜けた。
頭の中のごちゃごちゃしたもの、全部走りながら振り払って、左手をぎゅっと握り込む。
全ての人間は結晶と化し、そこに永遠の思考を獲得する。
つまり、GHQがいまやっていることは、やがて世界を終わらせる。
人は皆キャンサーの塊になって、言葉も聞けず、意思をもって行動をすることもなく、ただそこに佇む結晶になる。
だめだよ。そんなの、だめ。
ねぇ、それじゃあ、皆と居れない。
ずっと一緒にいるの。
皆と、いたいのに。
永遠に結晶?なにそれ、なにそれ!
やだよそんなの、そんな姿でずっと一緒にいたって、意味ないのに!
皆と一緒に、変わらない毎日を過ごしながら、こうやって葬儀社や反対勢力と戦いながら月日ばかりが経っていくんだと思ってた。
年を取って、大人になって、昔よりもできることが増えて、私を生かしてくれた嘘界さんやローワンにいつか恩返しをするんだって、そう、なんとなく思ってた。
ずっと一緒にいたいって思ったよ、思ったけど。
私が望むずっとは、時間が止まったらいいのに≠チて気持ちは、こんなことじゃなかったのに。
それからは、一生懸命考えた。考えて考えて、時々キャンサー化して皆が散り散りになっていく夢を見て、怖くなって、眠れもしなくなって。
私の勝手なエゴでもいい、皆に生きていてほしい。そんな、意思も行動も許されない物質になるなんて、そうなるって分かってて何もできないなんて、私、嫌だよ。
嘘界さん。
私を拾って、生きる場所をくれたひと。
ローワン。
無知な私に、世界を教えてくれたひと。
ダリルくん。
空っぽなままの私に、感情を晒け出す術をくれたひと。
皆がいなかったら、私はきっと生きていなかった。
ひととして、息をしていなかった。
皆が命を繋いでくれた。皆のあたたかい手のひらが繋ぎ止めてくれたから、戦場から生きて帰れた。
そのぬくもりさえ感じられなくなってしまうのだとしたら、私は。
死んだらそれまでなのでやっと生きる意味を見つけたんだ。
私が守るべき世界は、あのひとたちと過ごす日常だから。
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