「そろそろ潮時ですかねぇ」



ぽつりと、明日の天気を問うような口調で溢されたその言葉に、ふと顔を上げる。
現局長は、またいつものように携帯をカチカチといじりながらだらしなく椅子に腰掛けている。テーブルに乗せていた踵をストンと落とすと、椅子を回転させて俺に向き直った。


「何がです?」

「あの子ですよ」

「……あの子?」


ほぼ答えはひとつしかないものを、敢えて問い返してみれば、にぃと口元を歪ませ微笑む上司。義眼がぎょろりと動いたような気がした。


「サーシェですよ、ローワン君。

君も、とうに気付いてるでしょ?」

「…………薄々とは、」

「いやぁ、僕としてもつらい心境ですよ。娘のように可愛がってきた少女の胸中を思うとね」


嘘臭い困り顔で額を押さえ「はー困った困った…」と続ける局長の声は、何処と無く弾んでいる。
何が困った、だ。この上なく楽しんでいるくせに。

俺のそんな視線に気付いて、ちらりとこちらを見やってからにやりと微笑う局長。
俺は、胸中を探るような視線から逃れるようにベレー帽を目深に直した。


「あの子はもう撃てませんよ」


頬杖をつきながらにっこりと唇を三日月に歪めて微笑う局長。
ここ数週間の彼女の様子を思い返せば、それを裏付けるような体調の変化しか思い起こせなかった。


「素晴らしいですね、青春の化学反応とは」

「……弱くなった、とでも?」

「いいえ?人間としての芯に新たに一本、確かなものが加わっただけですよ。
ただ、それを加えるためには今まで中心を支えていた芯と差し替えなければならない。だから、少しつらいですけどね」

「………局長、おそらくは、」

「えぇ、そうでしょう。

少尉も、そろそろですかねぇ」


人の道を外れるようなことは、沢山してきた。
だけど、自分や局長のような大人は、それを選んで自身の意思でここまでやって来た。

彼女たちのように、生まれながらにして選ぶこともできずにこの道を進んできた子供は少ない。
欠如していた人間らしさや、感情の大元が生まれたり補われたりしたって、何らおかしくはない変化なのだ。

ただ、彼女たちは少し、大きくなりすぎた。
此処での存在意義を見失うことは、おそらくは、彼女たちの人生の死を意味する。

必要とされることで生きてきたあの子達は、自分自身の力で立つことがまだ、出来ない。


「……処分ですか」

「何を言うんです。起きて当然のことを導いてやったまでですよ、そうでもしないとあの子達、ちっとも成長しないままマンネリ化しそうでしたから」

「………親切ですね」

「君は本当に素直だ」


言葉では、まるで人生の先輩として手伝ってやったかのようだが、実際は戸惑い歩く先を見失う少年少女を愉しそうに微笑って見ているだけ。
言葉とは裏腹に苦々しい顔をした俺に、局長は愉悦に満ちた微笑を浮かべてみせた。


「これからが楽しみですねぇ」


世界と共に破綻していくのか、それとも。

この世を破滅へと導かんとする俺に、少年少女を明日へ導く資格も、術もないことは、確かだった。



***



「ごめん」


ふと、腕の中で声がした。


「何が?」

「ごめんね…」


寝言だろうか、と長い前髪に隠れた顔を窺えば、そろりと瞼が押し上げられた。
半開きの瞳にはまだ夢とうつつの境目が混ざって映っているように思える。


「どうしたんだよ」

「全部」

「?」

「全部、私の、せい……」


落ち着けるように背を擦ってやっても、ぼんやりと遠回しな言葉しか言わないサーシェ。
抱き起こして、座りながら落ち着いて話せるように、頭を撫でてやる。誰かに優しくしたことも、されたこともないような僕じゃ、撫でて抱きしめるくらいしか、こいつを安心させてやれる方法を知らない。


「悪い夢でも見たのか?」

「……………」


ふるふると首を小さく横に振るサーシェ。
僕にはさっぱり分からない。一番わかってやりたいのに、わからないんだ。

これがローワンなら、分かるのかな。
それとも、わからない?

どちらにせよ、きっと僕よりも上手な安心のさせ方を、あいつは知ってる。


「………まもれないの」


掠れた声で、弱々しく吐き出された言の葉。
僕はそれを、聞き逃すことがないようにと耳を澄ませる。


「傷つけて、奪うだけ。……最初からそう」

「………」

「大切なひと、奪って、傷つけて、また奪って…何も、守れない」

「…………」

「最初はそれでもね、良かった。守るものなんて、自分の命くらい、だし…」


誰が死神だなんて、言っただろう。


「もう、違うの。

私ね、守りたいの」


こんなに一生懸命で、苦手なくせに考え込んで、不器用で。


「守りたいから、誰かの守りたい≠壊すのが、怖いの」

「………うん」

「やっと…やっとね…、出来た居場所なの…
大切な家族なの…守らなきゃ」


大人は、こう言うだろう。

守るために殺しなさい

違う。サーシェの中の守るは、そうじゃない。
誰かの犠牲の上で守るんじゃない。誰かの幸せも守りたいと願ってる。


お前は本当に、不器用だよ。


「大丈夫」


そっと抱き寄せた身体。随分と細くなったものだ。

腕の中に閉じ込めて、囁く。


「僕が代わりに守るから」


何も見なくていいように。
何も聞かなくて済むように。

僕がそばにいる。だから大丈夫。
お前はもう、何も考えないでいいんだよ。

僕が全部壊して、お前を悩ませる何もかも、消してみせるから。

葬儀社も、桜満集も、みんなみんな。


「だから、ほら、マカロン食べよ」


ぎゅうと一際強く抱きしめたら、サーシェは僕の背に手を回して、



「違う」



言った。


「違うよ、ダリルくん」


あんなに虚ろに翳っていた海色が、芯のある輝きを取り戻している。
どく、と僕の内側が脈打ったのを感じて、僕は息を飲んだ。


「違う、って…?」

「このままじゃだめ」

「だめ?」

「変わらないと。

私たち、変わらなきゃいけない」


変わる?

サーシェは、何を言ってるんだ?


「今のままじゃ、守れないの。壊して、傷つけて、おしまいなの」

「じゃあ、どうやって…」

「変わるの。変わらなきゃ、守れないの。
此処にいたら、きっと変われない」


独り納得するように、変わらなきゃ、変わるんだと繰り返すサーシェ。
僕には、サーシェが何を言っているのか相変わらずさっぱりだった。
頭が真っ白になって、何も言葉が出てこない。


「たくさんね、考えたの。どうして撃てないんだろう、って。
そうしたらね、大事なことに気がついた。今まで知らなかった大切なものを守りたい気持ちが、誰かの大切なものを傷付けようとする気持ちの邪魔をするんだって。

撃てないままで、私はどうしたいんだろうって思ったの。そうしたらね、また撃てるようになりたいって気持ちよりも、大切なものを守りたい気持ちを大事にしたいって思ったの。
だからね、私、変わらなきゃって思った。死神の自分とさよならしないと、ごちゃごちゃした気持ちが邪魔して大切なものまで見えなくなっちゃうから」


サーシェは、何を言ってるの?

変わらなきゃ?もう、変わったじゃないか。
本当なら、人間味が増したサーシェの心に、あたたかい気持ちになるはずなんだ。
なのに、なんでだろう。ひどく嫌な気持ちになる。これ以上言わないでくれと願ってしまう。


「ダリルくん、私、」

「なんで!?」


気が付けば、自分は声を荒げていて。


「僕が、僕がいるじゃん!なんでお前はそうやって、自分ばっかりって、」

「え…?」

「なんで?なんでだよっ!!」


錯乱する僕を、冷静に見つめる僕の存在には薄々気付いていた。
どこまでも子供な僕は、何も見えないようにと自分で殻を作った。殻の内側は、綺麗なものでたくさんだ。醜い外界を見る必要は何処にもない。
綺麗だから、一緒に見ようよ、って手を引いて中に入れた女の子は、「こんなニセモノいやだ」って言った。「外のホンモノを見に行こうよ」って、逆に手を引かれた。
殻の内側しか知らない、知りたくないとごねた僕を、彼女はいつも慰めるように傍にいてくれた。

僕は、綺麗なものを見すぎて、幻想に浸っていたのかもしれない。


「なんで…っ!?」

「ダリルくん、」

「なんで先に行くの?どうして置いてくの!?
一緒にいるって言ったくせに!!ずっと一緒だって、愛してるって言ったくせに!!」


僕が縛り付けた鎖をほどいて、彼女は歩き出す。
立ち止まったままの僕を置いて。


「僕が居なかったら、ひとりぼっちのくせに!!

飯も食えなきゃ眠れもしないくせに!!なんでだよ!?」

「それでもね、」

「……っ、なんでぇ…っ」


ぼろぼろと眦から落っこちていく雫を見て、サーシェから視線を外した。

怖かった。真っ直ぐに、彼女を見れなかった。


「ひとりぼっちでもいいの。
ご飯だって、食べれなくてもいい。眠れなくたっていい。

この呼吸が、心臓が永遠に止まるそのときまで、私に出来ることをしてみたいの。
何も出来なかった、って後悔したくないの」


サーシェは、弱くなったんじゃない。
僕がいないと何もできないほどに弱り果てて、やっと僕を拠り所に選んでくれたんだと思い込んでいた。
きらきらの万華鏡に映り混んだ幻を、僕はまた見ていた。


胃が食べ物を拒絶するほど、人肌がないと眠れないほど、自分に負担をかけながら彼女は、精一杯の最善策を考えていたんだ。


不器用なくせに、どこまでも真っ直ぐで、素直にひとを思えて。



「私、GHQ辞める」



僕の面目丸潰れだよ、バカ。



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