「おや、早かったですね」
扉のスライドする音を聞いて振り返ると、モニターだらけのこの部屋の入り口に立って、ぼんやり薄明るい光に照らされて浮き上がるように見えたのは、自分の一番の私兵だった。
プレゼントした制服を早々に着替えて、いつもの武装スーツに身を包んだその子は、髪の色はショコラブラウンに染めたままでじっと自分を見つめてきている。
「……何か言いたげですねぇ」
「……あの、嘘界さん」
「なんです?」
「仕事、ください」
「はい?」
「休暇、もう終わりでいいんです。何か、そう…───
人を殺す仕事、させてください」
「……ふむ。そう来ましたか」
椅子の背凭れに深く寄りかかって、手招きをすると、かつかつと小さくブーツの音を立てて近付く少女。
海色の瞳の奥には、何やら動揺と不安と戸惑いとが入り交じった複雑な感情が見てとれる。
またこの子は、面白い。
「学校はどうでしたか?」
「……楽しかったです。人生初のお祭り」
「何を食べたんです?」
「えっと…、クッキーと、リンゴアメと、ベビーカステラ、ワタアメ…あとは、クレープと、お好み焼きと、たこ焼きも食べました」
「良いですねぇ、ちょっと食べたくなってきました」
「………それで、仕事は、」
「まぁ落ち着きなさい。少し話をしましょうか」
「………はい」
普段は任務直前まで寝ていて、用意もばたばた済ませるこの子が、今はホルスターに気に入りの拳銃をフル装備して、予備弾も過不足なくしっかり用意していて、何やら殺る気満々な様子が不思議だった。それでいて、面白い。
「……ふむ。椅子がないですねぇ」
「立ってます」
「そう言わずに。…嗚呼、座ります?」
「え…」
「どうぞ?」
ぽんぽん、と自分の膝の上を叩けば、暗い色を宿していた瞳が、少し真ん丸になる。本当に、感情が表に出やすくなったものだ。
暫く逡巡したあと、小さく「失礼します」と呟いて、ちょこんと膝の上に腰を下ろした。浅く座るものだから、腰に腕を回して引き寄せてやると、甘えるように寄りかかってきた。
「懐かしいですねぇ。昔はよくしてましたっけ」
「あの頃は、まだサイズも小さかったので」
「年のわりには小さかったですね」
「十分に食べれてませんでしたから」
「いやぁ、大きくなりましたねぇ」
「……嘘界さん、親みたい」
「ふふ。親同然でしょう、とっくのとうに」
「はい」
似合わないショコラブラウンの髪を指で鋤くように撫でてやると、くすぐったそうに肩を竦めた。いつまでも反応は幼い頃から変わらないものだ。
「青春は、楽しめました?」
「……難しかったです」
「そうですか」
「私、馴染めなくて…ぎこちなくしか、ひとと接すること、出来なくて」
「えぇ」
「ダリルくんにも怒られちゃうし、わがまま言って、困らせてばっかりだし」
「ダリル君の困っているのは照れ隠しですよ、大丈夫」
「でも…」
「…何か、あったんですね。話してご覧なさい」
しょんぼりと小さくなる背中を見つめていると、薄明かりの中に小さな小さな瘡蓋と痕を見つけた。
成る程、大体は読めましたね。潔癖を装った内なる獣は、親同様手が早いということですか。
「こわく、なったんです」
「はい」
「ダリルくんにかじられて、ウイルスが移ったらって」
「……」
「ダリルくん、私の心配するのに、自分のことは適当なんです。私には色々言うのに、私の言うこと、聞いてくれない」
「そうですねぇ」
「……それで、うまくいかないのが、不安で…
何かあってほしくなくて、でも、私に出来ることって、分からなくて」
「………」
「なのに、普通の同世代の中に混じったら、自分が自分じゃないみたいで」
「と言うと?」
「お喋りが、楽しかったんです。話して、お手伝いして、お礼にクッキーもらって…あの子達の普通はあそこで、私の普通の裏返しで、」
「………」
「羨ましく、なったんです。最初からあれが当たり前な、あの子達が」
それからも、少女はぽつりぽつりと言葉を漏らした。
産まれてきたことを両親に祝福されて、愛されて育って、支えられて、武器や狂気とは無縁で。
それでいて、小さな世界に埋もれて満足出来ずに、何かを求めて、それとなく転がっている幸せに気付かずに生きていることが。
羨ましく思う自分が、怖いのだと。
「捨てられて、日常は生きることで精一杯で、優しさなんて知らなくて、嘘界さんに拾われて初めて世界を知って、」
「はい」
「もう、何がなんだか分からなくなってしまって…」
「……ふむ」
「だって、私、この日常で満足してたのに。生ぬるい日常に触れただけで、高望みしそうになって、そのくせ追い掛ける自信はなくて、」
「……つまり?」
「人を殺したいんです。殺して、死体の山に立って、自分の足元を見直したいんです」
「……成る程」
「自分のあるべき場所は、そこじゃないって。一時の夢うつつに、存在意義を見失いかけている自分を、律したくて」
「そういうことでしたか」
この子は、話すのが下手だ。
渦巻く感情に慣れなくて、自分を掴めなくて、ずっと堂々巡りをして、何とか現状を脱出するためにとりあえず行動に移す。
感情の整理が下手だから、気持ちを吐露するのも一苦労かかるし、ましてや自分で手一杯のそこに他人が絡むと、余計にこんがらがって考えていられなくなる。
直感と本能的欲求に任せて生きていた頃の癖が抜けないんでしょう。考えて整理して行動に移す、人間的姿勢が難しくて仕方無い。
けれども、少女は人間だ。生きている。
休憩はすれど、立ち止まって諦めることは許されない。それは進化への道を閉ざすこと、死を意味するからだ。
苦しんでもがいて、そうしてやっと先を見出だして踏み出していく。それが出来なければ、これから先何度も道を諦めかけるだろう。
「サーシェ」
名を呼べば、ショコラブラウンの影から海色が覗く。
始めは玩具だった少女も、今は己が意思で生きる道を辿る一人の人間だ。
「よく聞きなさい」
「はい」
「貴方は人間です」
「はい」
「生きています」
「はい」
「変わることは、必然なのです」
「…はい」
「いいんです、それで。自分を見つめ直すことは大切ですよ、けれど、自分に囚われすぎてもいけません」
「……え、」
「新しきを知ってこそ、人は大きくなります。僕くらいになったら、もう自分を固定しても構わないですが、貴方はまだまだ成長過程でしょう?」
「………」
「変わっていいんですよ、サーシェ。過去という皮から脱け出すことは、酷く億劫になりがちですし、不安になるのもわかります。
ですが、さなぎを出たときにしか分からない世界もあるんです。羽根を持ちなさい。知ることを望むんです」
可能性の塊よ、君にはまだまだやれることがある。
「後悔は最後でいいんですよ。今を生きなさい。
未来も過去も、後からついてきます。貴方は貴方として現在に生きなければならないのだから」
「……嘘界さん」
「はい?」
「難しくて、2割しか理解できてません」
「良いですよ、今はそれでも」
「すみません、賢くなくて」
「いいえ?まだまだこれからです」
可愛い可愛い我が子のようなこの少女は、嘗て自分の片目を奪った。けれど、もうそれを咎めるようなことはしない。
片目と引き換えに手に入れた出会いは、自分の興味関心を惹かれる絶好の機会だった。
試すようなことも、玩具として扱ったこともあった。しかし今は違う。人は変わる。自分にとって少女は、しっかりと自我を持った人間だ。
少女が選び取る未来を想像するのが楽しくて仕方無い。
悩みもがき、その先に待っている未来をどう塗り替えていくのか。その可能性はどう活かされ殺されるのか。
「だから人間は面白いんですよね」
ぽむ、と少女の頭に手を置けば、少女は自分を振り返り見上げてきて、小首を傾げて見せた。
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