時間が経つのは早いもので、一通り見て回って、度々休憩を挟んでいたらもう夕方だ。
ダリルくんは本部に経過報告をするために一時抜けている。私はそんなダリルくん待ち。
さっきまで食べていたリンゴアメがなくなったかわりに、今度はワタアメをもらってきてぱくついている。ふわふわで、口に入れると溶ける瞬間が最高に美味しい。
早く食べないとアメが溶けてべたついてきてしまうので、黙々とワタアメに顔を埋めるようにして頬張っていると、ダリルくんが戻ってきた。
「おかえり」
「げ、またなんか食ってんの?」
「ワタアメ」
「ワタアメ…?」
まくり、と反対側から一口かじられたワタアメ。ダリルくんは不思議そうな顔をして口の回りを舐めた。
「何これ。溶けたんだけど」
「そういうお菓子」
「ふぅん。甘いの好きだねお前」
「うん」
ダリルくんが緩く口角を上げた。なんだかちょっと嬉しそうだ。
「ローワン、なんか言ったの?」
「え?」
「嬉しそう」
「あぁ、命令が降りたんだよ。このあと、楪いのりのライブが行われるから、阻止するようにって」
「え?それって…」
「直にコフィンがこっちに来る」
「嗚呼───、」
蹴散らせ、ってことか。
「ずっと監視監視でうずうずしてたんだ、これでやっと動けるっ」
楽しそうに口角を上げたダリルくん。
そっ、か。じゃあ、ここも血の海に…、
「まぁ、生徒は誰一人撃つなって言われてるけどさ」
「え、」
「え?」
「あ、えっと、なんでもない…」
誰も、死なない?
ほぅ、と息をついている自分がいることに気が付いて、私ははっと目を見開いた。
どうしていま、安心した?ハレが、いのりが死なないって、どうして安心した?
私は死神なんだから。いつでも他人の命くらい摘める覚悟でいなくちゃ。
──どうして覚悟がいるの?覚悟しなくても、それが当たり前だったじゃない。日常だったじゃない。
駄目だ、おかしい。
やっぱりおかしい。
私の中の何かが、崩れてきている。
「サーシェ?」
「…っ、」
「大丈夫か?左腕、痛むの?」
「…ぁ、だ、大丈夫っ、なんでもない…」
「そう?」
ダリルくんに顔を覗き込まれたところで、思考が停止する。
頭を振って、どうもしていないから心配しないで、と否定した。
「あ、きたきた」
「………、」
「サーシェ、念のためコフィンに誰も近づかないように見張りしてて」
「…………」
「サーシェ?…おい、サーシェ」
「っ!あ、うん。わかった」
「ちゃんと聞いてたのか?」
「聞いてた、ごめんね」
学校から少し離れた廃墟に設置され始めたコフィンのもとへ、鼻唄混じりに歩いていくダリルくんの背中を見つめた。
早く、と急かされて、棒のように動かなかった足を無理矢理振り切って彼の隣まで走った。
駄目だ、こんなんじゃ。
こんなこと、誰にも言えない。
ダリルくんにも、言えない。
私、もしかしたら、
思考を遮るために頬張ったワタアメは、少し溶けてねばついていた。
ふわふわと柔らかいそれは、はっきりしない私の心の内のようで、胸中には暗雲が立ち込めるばかりだった。
せっかく久しぶりにダリルくんのホンモノの操縦さばきが見れるのに。
こんなに気乗りしないなんて、と私はそっとため息をついた。
***
コフィンの横に座り込んで、戦闘が終わるのを待つ。食べ終えたワタアメの棒をくわえながらうさぎのぬいぐるみを抱きしめて、端末に流れてくる映像をじっと眺めた。
ファントム部隊の人にお願いして、学校の方の様子を中継したのを私の端末に送ってもらっているのだ。画面の中では、機体番号を削り落として出自不明になったゴーチェが、トラックを縦横無尽に駆け回っている。
コフィンの中からはダリルくんの楽しそうな声。外部スピーカーと接続していないので、聞こえているのは私だけ。ハンデつきの戦闘とはいえ、しっかり楽しめているようだ。
模擬戦のときもそうだけど、私、ダリルくんがエンドレイヴの操縦をしているところ、好きだ。
活き活きとしていて、無邪気で、玩具を追い掛けるみたいに敵を追い詰めるの。子供っぽくて、誰よりも強くて、負けず嫌いで。
なんだか、ほっとするの。
私もダリルくんも、何か変わってしまったんじゃないかって思ってしまうと、余計に。
変わってない部分を見つめて、そっと息をついてしまうの。
ダリルくんも、私の中にそういうところ、見付けてくれてるのかな。
変わった私を見て、拒絶したりしない?
ダリルくんの撃った弾が、無機物に当たるのを見て安心してしまう私を、あなたは赦してくれる?
「っはは…あー、笑える」
コフィンの蓋が開いて、お腹を抱えたダリルくんが力を抜くように長く時間をかけて息を吐き出した。
はた、と気付いて画面を見ると、ゴーチェは爆煙をもうもうと上げながら大破していた。仕込まれた火薬が修復不可能になるまでゴーチェをばらばらに砕いたのだ。
これは多分、葬儀社のオペレーターに機体を渡さないようにするため。にしても、ベイルアウト寸前までは爆発の衝撃をその身に受けていただろうに、やっぱりダリルくんはすごい。
「どうしたの?」
「んー、こうも負け続きだとなんか逆に可笑しくて」
ヘルメットを取って微笑うダリルくん。なんだか、清々しい。
悔しさは当然あるんだろうけど、なかなか倒せない相手に憤慨するんじゃなくて…感心してる?
「どこも痛くない?」
「ん、スーツじゃないからそこまで感覚共有深くないし大丈夫」
コフィンから降りたのは制服姿のマサカくん=B
預けられていただて眼鏡を手渡すと、慣れた手つきでそれをかける。グラスの向こうに煌めくのは、きらきら光るすみれ色ではなく、作り物ののっぺりした漆黒の瞳。
「次こそ殺してやる」
にやりと唇を歪めて微笑う、いつもと違う横顔に、私はなんだか、取り残されてしまったような錯覚を覚えた。
「ん?」
「え、」
「どうかしたのか?」
「あ…、なんでも、ない」
無意識に、ダリルくんの着ているブレザーの裾を引っ張っていた。
慌てて手を離すと、ダリルくんは不思議そうに私の顔を窺ってくる。
「…なーんかさぁ、」
「うん、」
「さっきから、お前おかしくない?」
「っ!」
「やっぱり何処か調子悪いんだろ」
「あ、ううん、違う」
「誤魔化すなよ」
「ほんと。ほんとに、大丈夫」
ぶんぶん頭を振って否定するけど、ダリルくんの疑いの目はそらせないまま。
「……なら、いいけど。
ちゃんと言えよ?」
「うん」
踵を返して、校舎の方に戻ろうとするダリルくん。
追い掛けようと一歩踏み出すと、音楽が流れてきた。
「…………あっれ、」
「エウテルペ…」
「スピーカー壊したのに。替えあったのかよ、」
一緒にトラックに踏み込むと、鉄屑になったゴーチェの残骸が隅に追いやられていた。
朝礼台に装飾を施した即席のステージでは、華やかな衣装を身に纏ったいのりが、柔らかな歌声を奏でている。隣で、ダリルくんがちぇ、と唇を尖らせた。
見れば、最初に用意されていたスピーカーより少し小さなものが設置されている。スピーカーはもとあったものひとつではなかったようだ。
いのりの歌声が、私の心をほぐしていく。癒してくれる。
このもやもやを、消すことはない音色。
ふと、右手にぬくもりを感じて、手元を見るとそこには、繋がれたもうひとつの手のひら。
顔をあげると、真っ直ぐライブを見つめるダリルくんの横顔がそこにはあって。
何も言わない代わりに、指と指を絡ませるように手を繋ぎ直して、そして優しく握る力が強められた。
なんだか、不意に泣いてしまいそうな気持ちになって、私は思わず俯いた。涙なんて出ないけど、弱々しく彼に縋りついてしまいそうで、格好悪くて。
「………ありがとう、」
彼は、返事をしなかったけど。
きっと、気持ちは通じてる。
この手のひらを通じて、きっと想いは届いてる。そんな気がした。
「テレビが映るようになったって!」
男子生徒の明るい声がして、私たちを除いたその場にいた全員がわぁと歓声を上げる。
本部テントの方に駆けていったあの生徒は確か───ソウタ。
今までいのりのエウテルペのPVを流していた巨大モニターの映像が、一度砂嵐になり、そこにぱっとテレビの映像が映し出される。
『──その調査の結果、環状7号線より内側には、重度のキャンサー患者以外に生存者は確認されず、臨時政府とGHQは救助活動を打ち切り、今後10年にわたり完全封鎖することで合意しました』
繋いだ手が震えた。
私の手だった。
『我々は国際社会の懸念を払拭すべく、アポカリプスウイルス撲滅に尽力する所存です。
再生のための浄化……それこそがこの度、日本臨時政府の大統領に就任した、この私の責務と信じます』
どういうことだよ、と誰かが呟いた。
続けて、轟音が周囲から鳴り響く。
グラスを外して、暗がりに両目を凝らすと、そこには段々と立ちはだかるようにして昇っていく紅い境界線が見えた。
「なに、これ……」
思わず漏れた声は、周囲から響く怒号と悲鳴の渦に掻き消された。
不安になって彼を見上げると、その横顔は気に食わないのか不機嫌そうに歪められていた。
錆び付いた夜に(君が、遠いよ)
私と彼の目では、視えているものが違う。そんな気がして。
前までは、そんなこと気にならなかったのに。
今じゃ、こんなにも怖いよ。
どうか、この繋いだ手を、振りほどかないで。
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