「はぁ?」
「ね、お願い」
そんな可愛らしく頼んでも駄目だろう、やっぱり。
顔の前で両手のひらをくっつけて、だめ?と小首を傾げるサーシェ。
僕は暫く唇を一文字に引き結んだまま黙り込んでいたが、
「ダリルくんとがいいの」
「分かったよ、もう」
折れた。つくづく僕もこいつには甘い。
やったぁ、と口元を綻ばせるサーシェ。そんな顔されて、断るほうが無理な話だ。
「楽しみ、明日の学園祭」
お祭りは初めてだから、一緒に回ってほしいと言われた。
元々避難所である学校に送られてくる物資に余裕が見られたからと催されたイベントだ、そこまで豪華なものでもない。だのに、サーシェがここまで張り切るのには理由があった。
生まれてから一度も、祭りと呼ばれるものに参加したことがないのだと言う。
軍内でも、最低限の祝い事としてクリスマスは飲み食いを兼ねたパーティー擬きをするけれど、ここまでばか正直に解放感に満ちて騒いだりはしない。
普段あのメガストラクチャーから外出することも少ないサーシェは、準備段階から既に屋台や喫茶店の看板を見て目を輝かせている。
「(あの駄眼鏡、こういうこと言ってたのか…?)」
なかなかない機会なんだから、と。もしやサーシェのことを言っていた?
言った本人は特に他意無さげではあったものの…まぁいいや、考えるのめんどくさいし。
「ダリルくんが一緒だったら、準備のお手伝い回ってもいい?」
「そんなに混ざりたいわけ?」
「うん。裏方ってなかなか経験しないでしょ、」
「……あんまり危ないのは駄目だぞ、さっきの二の舞になるからな」
「はーい」
間延びした返事が返ってきて、早速と言わんばかりに彷徨き出しそうなそいつの襟首を掴んで引き止める。
近くで見ていないと危なっかしくて仕方ない。
「あと、僕と一緒に動くんなら尚更気は抜くなよ、お前のミスで僕の素性までバレたら責任取れないんだからな」
「うん」
「本名じゃなくて…、人前では僕のこと真坂≠チて呼ぶこと」
「マサカ?」
「お前は?仮名ないの?」
「えーっと…」
「あっ、エリさん!」
不意に高い女の声が響いて、ぴこっとサーシェの肩が跳ねた。ゆっくりそちらを振り向くと、栗毛の二つおさげの女子生徒がこちらに手を振りながら向かって来ていた。
エリさん?こいつにはそう名乗ったのだろうか。
「良かったぁ、見つかって!」
「……えっと、どうしたの?」
「あっすみません、お邪魔しちゃいましたか?」
「……別に」
サーシェのそばに立つ僕を気弱そうな瞳が見上げてくる。今の今まで気付かなかったなんて、こいつ目見えてんのか?それとも気付かないくらい頭悪いのか?
学園祭の主催の生徒会の奴らにしろ、騒ぎに乗じて浮かれ気分で準備する他の生徒にしろ、此処は頭沸いてるような奴しかいないんじゃないのか。脳ミソまでバイ菌にやられちゃってるわけ?
「すみません急に。えっと、さっきのお返しがしたくって!」
「いいって言ったのに」
「お返し?お前なんかしたの?」
「届かなくて困っていた荷物を降ろしてもらったんです!こっちの方は?」
「あぁ、えっと、…マサカくん、だっけ?」
「疑問系にするな。あんた、名前は」
「校条祭です」
一言一言楽しそうに表情を変えて話す、メンジョウハレ。サーシェは、知ってるとでも言いたげに表情を変えずに名前を聞いていた。
それにしても、荷物取ってもらっただけでお返しだなんだって、随分律儀な奴だ。何か裏でもあるんじゃないのか?つい勘繰ってしまうのは軍人の性か、それともこの女の仕草がそうさせるのか。
「私、喫茶店でケーキ出すことになったんです!他にもクッキーとか、色々。もし良かったら、エリさんにも味見お願いしたくって」
「へぇ。何味があるの?」
「ケーキは、チョコと、プレーンの2種類、パウンドケーキなんです。クッキーは普通のとチョコチップのと、チーズ風味!」
「チーズ?クッキーなのに?」
「美味しいですよ!食べに来てくださいっ」
「もらっていいの?」
「ぜひっ!あ、マサカさんもどうですか?」
「僕はいい」
「そうですか…、良かったら明日お店来てくださいね!」
こっちです、とメンジョウハレに連れられてサーシェは味見しに行ってしまった。上機嫌そうに足取りが軽やかに踊っている。
さっきまで変に騒々しかったのが二人していなくなってしまったお陰で、変に静かになってしまった。
…って、残念がってる場合じゃないぞ、僕。あ、いや、残念がってるわけじゃないけど。
遊びに来てるんじゃない、少なくとも僕はいま任務中だ。自分の仕事をこなさなければ。
とりあえず、暗く人通りも少ない体育館裏通路からまた校舎内に戻ろう。そう決めて踵を返したとき。
「きゃっ」
「Ouch!」
短い悲鳴と共に誰かにぶつかった。思わず英語で反応してしまってから、慌てて日本語に頭を切り替える。さっき女がいたときまでは日本語だったのに、随分気が緩んでしまっていたようだ。
何とぶつかったのかと見やれば、それは大きな段ボール箱の塔だった。否、積み重ねられたそれを持った少女だった。此処の制服を身に纏っているが、回りの生徒よりも一回り幼く見える。飛び級の制度って日本にあったっけ。
「いったいなぁ、怪我したらどうすんのさ。気を付けろよな」
「あー、ごめんごめん!でもちょうど良かった、はいコレ」
「わっ、なんだよ!」
「はいコレも!」
「おいっ!」
軽々しく持っていたそれは、渡されると中身が変わったんじゃないかと疑うほどに重たくて、思わずへっぴり腰になる。
なんとか体勢を整えていたそこに、これまた重たい紙袋まで追加されて、またよろめいた。オペレーターである自分は最低限の訓練しかしないから体力がある方とは言わないけれど、にしても重すぎる。こいつ、こんなちんちくりんのくせに何処にそんな力があるんだ?
「なんで僕がこんな野蛮な仕事を…」
「君ってば、もやしっこだなぁ。男の子のくせに。どうりでひょろひょろなわけだ」
「るっさい!馬鹿にすんな!」
「おーおー、威勢はいいねぇ。じゃあこっちまでヨロシク!」
「この…っ、」
徐染許可さえ降りていれば、お前なんて一発であの世なんだからな!
あいつはノリノリでお菓子の味見に行ってるのに、なんで僕はこんな目に遭ってるんだろう。
頭がくらくらするような気分で、僕はもう一度その重たい荷物を抱え直した。
掲げた正義は誰の為(僕は此処に、明日は何処に?)
「はいっ、お疲れ様。これで機嫌直しなさいな」
疲れきった僕のそばには、楽に腰を降ろせるベンチすらなく、仕方ないからハンカチを敷いた地べたの上に座り込んだ。こんなとこ、ばっちくてそのままじゃ座れもしない。
じんわり汗をかいて嫌な心地に表情を歪めながら呼吸を整えていたら、さっきのちんちくりん女がヘンなもの片手に僕を見下ろしていた。さっきまで見下ろしていただけに無性に腹が立つ。
「なんだよそれ」
「お駄賃」
「いらないよ、そんなばっちい食べ物!」
「人の好意は素直に…っ、
受け取りなさぁい!!」
「うわぁっ!やめてぇ!!」
「おーっほっほっほ!」
妙な高笑いを上げる女に、汚い赤色をしたソレを口に押し込まれた。がりっ、と歯が嫌な音を立てる。
甘ったるすぎるそれに胸焼けしそうになって、僕は逃げるように立ち上がって人込みに紛れた。
また体育館裏の通路まで行くと、手摺に身を預けて嘆息した。全く、なんなんだあのちんちくりん!
そういえば、途中でこれと同じものを準備している屋台があった。リンゴアメ…だっけ?
「………あいつ食べるかな、」
嗚呼、僕もこの変な空気にやられたのかもしれない。
浮わついた気分を鎮めるために、また胸焼けするような甘ったるいそれに、舌を這わせた。
普段サーシェが僕にくれるキャンディとは比べ物にならないくらい甘さがしつこくて、僕は思わずべぇと舌を出した。
「あっま!」
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