本当、こんなときに学園祭なんて、どうかしてる。


忙しなく動き回る生徒たちの波を、舌打ちしながら避けて歩く。
最初の仕事は、楪いのりと桜満集の生存確認、その次は天王洲第一高校に避難した人物のうちリスト外の人間を排除すること、今は葬儀社メンバーの監視。ころころと任務内容が変わるミッションだ。
まぁ、理由なんて聞かないでも仕事はできるけど。逆に知りすぎたことで処理される人間がいるくらいだ、黙ってこなした方が賢いときもある。一応ローワンに聞いたけど、やっぱりあいつも聞かされてないみたいだった。


『様子はどうだ、少尉』

「様子も何も、お祭り騒ぎ状態だよ。こんなの放置しとくわけ?物資の無駄じゃん」

『まぁまぁ…これもなかなか経験出来ることじゃないから、』

「楽しめってか?ケッ、こんなのやかましいだけだっつーの」


どいつもこいつも、能天気な阿呆ばっかりだ。
毎日命の駆け引きが日常である軍人の僕にとって、こんな生ぬるい環境は煩わしい以外の何物でもなかった。
武器も持ったことないような、何かあったら逃げ惑うしか出来ないような、屑の集まりだ。こんなところに馴染むなんて、ヘドが出るよ。

僕がそばにいてもいいと思ったのは、あいつだけなんだから。


「そういえば、サーシェは?」

『えっ?』

「ちゃんと休んでるよね?僕が看てないんだからあんたがしっかりしてよ」

『あ、あぁ。大丈夫だ、任せてくれ』

「………こっちに寄越してないよね?」

『……あぁ、』


半端な返事が返ってきたことにやれやれやっぱりかと息をつく。ったく、あいつは…本当自分の身体なんだから無理しないで自己管理しろよって話なんだけど。
見付けたら取っ捕まえて説教のひとつでもしてやらないと。全く、ローワンも本当あいつには甘いんだ。嘘界も嘘界で放任主義だし。


「あっそ。じゃあ監視戻る」

『あ、あぁ。分かった』


携帯端末の通信を切って、くるりと振り返り辺りを見回す。
この辺りには楪いのりも顔無しのやつも見当たらない。
教室の方だろうか、と方向転換をした瞬間、視界に映り込んだ女。

生徒の中では一際目立って高身長、すらりと伸びた手足が棒のように下がっている。眼鏡を掛けていて、ダークショコラの前髪を耳にかけてピンで止めていた。


見るからに怪しい。


あいつっぽい仕草があったら声をかけてやろう、と一人の生徒に目星をつけ、その周囲に監視対象者を探す。これなら仕事もしてることになるからね。
人混みに紛れながら、なるべく平行線を怪しまれないように歩く。

あ、女子生徒に声をかけられた。
何かを手伝うように言われたのか、ふらりと後をついていく背中。
装飾のために紐を渡す手伝いを頼まれたらしい。風船が取り付けられた紐の片側を持って、廊下の天井に取り付けるため脚立に足をかけた。


「すげー背高いな」

「モデルみてぇ」

「可愛くね?俺結構好みなんだけど」


脇で下種どもの囁きが聞こえたけど、今のところは無視しといてやる。
もしこの女がサーシェだった暁には、お前らの眉間に風穴開けてやるからな。

女は天井に手を伸ばすと、予め取り付けられていたフックに紐を結びつけ始める。
風船が案外重いのか、うまく紐が持ち上がらず結べないで時間がかかっているようだった。


「うわぁ!危ねぇぞ!!」

「避けろーっ!!」


不意に後ろから叫び声がして、振り返ると真横を勢いよく台車が滑っていった。
どうやら立て掛けていた大きな荷物が台車に倒れて、そのまま走り出してしまったらしい。向こうでは荷物を立て直している。

僕ははっとしてもう一度女を振り返った。叫び声にいち早く反応した周りの生徒は廊下の端々に避難していたものの、脚立の上にいた女は気付くのが遅く逃げ遅れていた。

「危ない!!」

誰かがそう叫んだと同時に台車が脚立に突っ込む。勢いよく転倒した──のは、脚立だけだった。女は、そこにいなかった。
様子を見ていた生徒は皆きょろきょろとしてしまっている。ほんの少し間を置いて、すたんと床に着地する音。


「ふぅ…転んだら、危なかった」


間違いない。

こんな状況で、ムーンサルト決めながら華麗に着地出来るのは、ここでお前くらいしかいないだろ!


「大丈夫!?」


僕はわざと大きな声でそう言いながら女に駆け寄ると、思い切り突き飛ばした。
バランスを崩してどてん、と尻餅をついたそいつを抱き起こす。


「え、あ、」

「黙っておとなしくしてろ」


挙動不審な目の動きに本人だと判断した僕は、今度はぼそりと小さく呟く。
変装したサーシェはかちこちに身体を固めて吃驚している。ちょうどいいや。


「だ、大丈夫ですか!?すみません!!あの、怪我は…」

「大変だ、頭を打っている!」

「えぇ!?」

「僕が保健室まで運ぶよ、心配はいらない、ちょっと瘤になってるだけだから!君たちは作業を続けて!」

「え、あ、はいっ!すみません、ありがとうございます!!」


さっき原因となる荷物を倒した男子生徒が駆け寄ってきた。
今更なんだよこのくそったれ。こいつが運動神経だけは抜群だったから良かったけど。命拾いしたなこの野郎!次は気を付けろよ!!

僕は我ながらクサい演技をしたまま、サーシェを横抱きして立ち上がった。
軽っ。ちゃんと食事取ってるよね、こいつ。嗚呼、歩兵一の精鋭の准尉でも、病院で過ごしてりゃ筋肉も落ちるか、そりゃ。

保健室の場所なんて知らない。サーシェを抱き抱えたまま、僕は校舎の外まで急ぎ足で出た。








「お前本気で僕を怒らせたいわけ?」


ばれてしまった。

ちょくちょく作業のお手伝いをして回っていたら、突然のハプニングに思わず癖で宙返りを決めながら避けてしまった。
おそらくずっと観察されていたのだろう、駆け付けてきて何故か突き飛ばしてきたのはよくよく見れば変装したダリルくんで、オーバーな演技をしながら無理矢理その場を離脱させられた。

自分で歩けるから大丈夫だよ、と言っても彼は答えてくれなくて、抱っこされたまま校舎の外、人のいない体育館裏まで連れてこられると無造作に降ろされ、叩き付けるように壁に押し付けられた。掴まれた手首がぎりぎりと締め付けられて痛い。


「ねぇ、何してんの。来るなって言ったよな」

「…………ごめん」


ダリルくんはどうやら本当にご立腹のようで、私が懸念していたような怒鳴り声こそ上げなかったけれど、鋭い眼光が痛くて目を合わせられない。
ぐ、と押し付けられた手首も肩も痛い。吐息が触れ合うような距離で、地の底を這い回るような低い声を出されて。フラッシュバックしたのは、あの日の羽田だった。


「まだちゃんと治ってないんだよな?」

「………そんなこと、」

「ないんだよな?」

「………」

「どうせ嘘界の奴が強制退院させたんだろうけどさぁ、」

「…………はい」

「ねぇ、なんで来たわけ」


こんなにダリルくんを怖いと思ったのは初めてです。
詰め寄ってくるダリルくんが怖くて、緊張して、心臓がどきどきし始めた。身体中がむずむずして、頭に血が上ってきているのがわかる。
ダリルくんの片膝が、絡まるように私の足の間に進んでくると、迫っていた端正且つ般若のような怒り顔がいなくなって、代わりに首筋にじくりと痛みが走った。


「痛、」


呟いても、痛みは止むどころかじわりじわりと増してくる。
感触的に、ダリルくんが私の首の皮に噛み付いているようだった。本気で噛んでくるから本気で痛い。ぷつり、と音がして、生暖かいものが流れてきたそれを、生ぬるい何かがぬるりとさらった。


「っひ、」


どくどく、早まる鼓動に合わせてとくとくと流れ出る血液を、今度は温かくて柔らかい唇が傷口に吸い付いてきて、むず痒くなる。
そこではっとして、力づくで彼を離そうと腕に力を込めるけど、本気のダリルくんの腕力にはあくまで女の私が敵うはずもなく。みきりと嫌な音を立てた手首そのままに、私は震える声を漏らした。


「やだ、ねぇ、ダリルくん、」

「………」

「やめて、ウイルス移っちゃう、」

「………」

「やだっ、離して…っ!」


壁に押し付けられていたのが、急に引っ張られてその腕の中に収まる。
きつくきつく抱き締められて、胸が潰れるような心地に私は息苦しくなる。これ以上ないほどに心臓が暴れている。ダリルくんから離れようと暴れる私の心のように。
ダリルくんはもう一度首筋に唇を寄せると、今度は血液を吸うのではなく、きつく首の皮に吸い付いた。ちくりと痛みが走って、生ぬるい吐息が首筋から耳元に這い上がってくる感触にぞくりと背筋が粟立った。


「ねぇ、分かった?」

「え…、」

「僕がついてくるな、ってあれほど言ったのが」

「…………」

「これ以上悪化するようなこと、あってほしくないから言ってんだよ。見てわかんないの、もうただのウイルスじゃないんだよ」

「………」

「建物も、動物も結晶化するように変異してるんだ。万が一お前の中のウイルスまで変異したら、どうなるかわかったもんじゃない」

「………はい」

「ねぇ、言うこと聞いてよ…馬鹿」

「……ごめんなさい」


私は、ダリルくんのそばにいれたらそれでよかった。
だけど、ダリルくんはそのずっと先まで見越して、私に来るなと言ってくれていたのだ。
私の血がダリルくんの中に巡ることを考えたら、頭が真っ白になって、怖くなった。せっかく感染していないのに、彼までをも結晶化の危機に巻き込むことになってしまう。


「……ごめんなさい…ごめんなさい、」

「ん、分かったならもういいよ」

「…ダリルくん、血、」

「あ?…これくらい大丈夫だろ、別に僕はお前から移るなら構わないと思ってるし」


腕を解いて解放してくれたダリルくんは、私の血でうっすら紅く滲んだ口元を指先で拭った。
未だに、私が感染したことに責任を感じてそんなことを言うんだ、彼は。


「そんなこと、…言っちゃやだ」

「ん?」

「……移ってもいいなんて、言わないで」


ダリルくんは、何も言わずに私の偏光グラスを取ると、静かに瞼にキスを落とした。

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