愛、という形を、私は知らない。


「……♪もう、あなたから愛されることも──…、」


楪いのり。私の心に、変化をくれた歌姫。
あの日、頬の皮膚を突き破って這い出てきた結晶を、繊細な歌声で削ぎ落としてくれた彼女。
彼女がいなければ、私は今頃、口も聞けぬ結晶に成り果てるどころか、形すら残さず塵になって消えていたかもしれない。

あのときの歌声が、頭を離れなかった。


「必要とされることも ない──」


泣くのを堪えながら歌うような音色が、痛く心に染み渡るのだ。
踞って泣きべそをかく私の心を掬い上げるように。彼の元へとひた走るバギーのアクセルを踏み込む私の足を、支えてくれるように。

いのり。あなたの歌が、また聞きたいよ。
聞いたら、私のこのもやもやした気持ちも、綺麗に浄化してくれるのかな。


「音痴、直ってない」


む、と口を閉じて、病室の扉を振り返ると、医務室から帰ってきたダリルくんがそこにいた。
瞳は、いつもの綺麗なすみれ色ではなくて、日本人特有の暗いブラウンになっていた。ほとんど黒目。
彼のきらきら輝く光の粉をまぶしたようなブロンドにそれは、ひどく似合っていなくて…何処と無く異色だった。

音痴だと言われたことが悔しくて、口をすぼめて小さく呟く。


「似合ってない」

「知ってる」

「………」

「あー、いってー…やだね、こんなもの普段から眼球に乗せるなんて。視力落ちるといいことないってホントだな」


良く良く見ると、彼の目元は赤くなっていた。白目自体も充血していて、ダリルくんは目元を押さえながらまたひとつ呻き声を上げた。


「痛いの?」

「目ン玉に異物突っ込んでんのと同じだからな。ぅあー…カメラアイをぶん殴られたみたいに痛い」

「大丈夫?」


痛みを解すように目を瞼の上からぐしぐしと擦るダリルくん。擦りながらベッド脇まで来ると、いつものパイプ椅子を引っ張って来て座った。
だらりと頭を垂れてベッドに顔を押し付けているので、そっと頭を撫でてあげた。髪を染めるのはまた後日らしい。


「えっと…、

痛いの痛いの、とんでけ…」

「ん…?」

「小さい頃、ローワンが教えてくれたおまじない。子供騙しだけど…」


ふ、と顔をあげて、作り物の黒い眼差しが覗き込んでくる。
もう一度、彼の赤く腫れた瞼を指の背でそうっと撫でながら繰り返す。彼は、黙ってそれを受けていた。


「………くなった」

「ん?」

「すご。痛くなくなった」

「え?ほんと?」

「ほんと」


目をぱちくりさせながらぽつりと言ったダリルくん。瞳の色は暗くても、それを縁取る睫毛は髪の毛と同じ金の色をしている。
彼の瞼を撫でた私の指を取って自分のものと絡めながら、子供のように無邪気に笑った。


「魔法みたいだ」


私はその言葉になんだか嬉しくなって、口元を綻ばせた。
死神の魔法に喜んでくれるなんて、ダリルくんくらいしかいないよ、きっと。


「学校、楽しみ?」

「はぁ…?ヤだよめんどくさい。学校とかウザいし」

「そう?」

「なんだよ、お前行きたいの?」

「……ちょっと」

「来るなよ」

「………………うん」

「間が長い」


学校。私は、行かなかったけど…確か、勉強をしたり、友達を作ったりするところ。ローワンが言ってた。
私にとっての先生は、多分ローワン。彼は、何も知らなかった私に生きるために必要なだけのことを全部教えてくれたから。
私にとっての友達は……、ダリルくん、かな。

あれ、ダリルくんって、友達?


「ねぇ、ダリルくん」

「んー」

「ダリルくんは、私の友達?」

「……違うの?お前が、なろうって言ったんじゃん」

「うん、言った」

「どうしたんだよ、急に」

「……友達って、何をしたら友達?」

「……は?」

「友達って、なんだろう」


お前何言ってんの、と言いたげなじと目が睨み上げてくる。
私が返す言葉もなく首を傾げると、ダリルくんはまたベッドに頬をくっつけて横を向いたまま、絡ませていた指を軽くほどいて爪を撫でたり、指の骨の筋にかけてを指の腹で辿ったりと手いじりを始めた。


「親しい関係のことを、友達って言うんだって。ずっと一緒にいたり、もっと親しい関係のことは、家族って言うんだって」

「ふぅん、」

「ローワンが言ってた」

「お前の知識は全部ローワン情報だな」

「だって、」

「知ってるよ、言わなくても。……サーシェ情報はないの」

「私、の?」

「お前が、生きて暮らして感じた、情報。お前が読み取った情報」


私の持ち得る知識は、全てローワンによってもたらされたものだと思っていた。
嘘界さんは、教えてくれるというより、私を観察して楽しむひとだから、私が答えを見つけるまであまり教えてくれたりしなかった。

そっか。私が見て、感じたもの。それが、私の、私だけの知識。


「……ダリルくんは、」

「え?…うん、」

「すきなひと」

「ぶっ」


何かを口に含んでいたわけでもないのに、驚いたのか吹き出したダリルくん。
そのままベッドに突っ伏して震えている。笑ってるのかな、耳が赤い。


「……、続き、は」

「うん。えっと、それで、…大切なひと」

「………」

「私のこと、私の、中身…綺麗って、言ってくれた。だから、特別なひと」

「……うん」

「あとは…あげたクマ、大事にしてくれてる」

「っだからそれは、」

「ちょっと怒りっぽい」

「悪口かよっ」

「それで、…寂しがりの、甘えん坊さん」


赤面しながら顔を上げたダリルくん。それを言ったらまた赤くなった。今度は恥ずかしいのかな、また突っ伏した。

ここのところのダリルくんは特にそうだ。ずっと私のとこにいる。
利き手が使えず不自由なことは、手伝ってくれるし。話し相手にもなってくれるから、飽きないし。
それに、ダリルくんが持ってきてくれるキャンディやお菓子は特別美味しい。

ダリルくんと過ごす時間は、あったかくて、嫌なこと忘れて、安心できる。ローワンとはまた違う、優しいひととき。
ダリルくんを見ると、ここのところ、少し心臓がどきどきしている。なんでだろう。
ダリルくんが微笑うと、私も嬉しくなって微笑う。ダリルくんが悲しかったり、つらいことがあった、と話すときは、私の胸の奥もつんとして痛い。

これは、私がダリルくんと同じって意味なのかな。ダリルくんと私の心音が重なるから、どきどきと強く早くなるのかな。


「……わかんないや」


囁くように呟いたそれを、彼は聞き取れなかったのか不思議そうにちらりと見上げてきた。
なんでもない、と首を振ると、あっそ、とまた唇を尖らせた。ダリルくんの癖だ。
あ、まただ。心臓が、とくん、って鳴った。これは、ダリルくんの好きなところを見つけた合図。
私の中で、ダリルくんの知識が増えると高鳴る鼓動。

こればっかりは、原因がわからない。こういう気持ちのこと、なんて言うのかな。
あとでローワンと二人のときに、聞いてみよう。



***



サーシェの部屋の洗面台の姿見で自分の身形をチェックする。
それっぽいものを着ると、自分も案外それらしく見えるものだ。外見は大分違うけれど。

3日間付けたり外したりを繰り返しながら慣らしたお蔭で、今じゃコンタクトレンズをつけるのも手慣れたものだ。
鏡を見ながら、瞼を指で抉じ開けると、そこにもう片方の指先に乗せた色のついたレンズを、眼球の表面の薄い涙の膜に浮かべる。あっという間に、あいつがすみれ色と呼ぶ僕の瞳は、人工的に作られた虹彩の色へと変わった。
根元から毛先まで純黒に染まった髪の毛先を指でいじる。自分が黒髪になったのは昨日の晩のことだが、未だに鏡で見たときの姿に慣れない。
簡単に整髪料をつけた手で前髪を掻き上げると、いつもの僕より少し印象が変わる。ここにだて眼鏡をかけるわけだから、あいつはなんて言うだろうか。
支給された新品の制服に袖を通し、安っぽいネクタイを締める。嗚呼、これだから安っぽいのは嫌なんだ、滑ってうまく結べやしない。
なんとか準備を整えると、黒い喪服のようなブレザージャケットを羽織る。内ポケットに小型消音拳銃を忍ばせて、部屋を出た。


潜入時には、GHQ本部との通信回線と学校周辺のネットワークしか繋がらないらしい。つまり、電話は本部との通信にしか使えないということ。
だから、ギリギリまであいつに会ってから行くかどうかを迷った。

だけど、会ったところで、何を話せば良いのだろう。行ってきます、なんて言えない。なんでかは、分からない。
これはただの任務だ。済んだら、すぐ戻ってくればいい。…寂しくなったら、ローワンにでも八つ当たりしよう。命令が出たら人間をぶち殺すことで発散してもいい。

サーシェの部屋の扉を閉める。主無き部屋の入り口を見つめながら、僕は呟いた。


「……すぐ、戻るよ」



(形にならぬ想いは胸にしまったまま、)


封鎖区域内の指定場所まで僕を護送するハンヴィーに乗り込む。なんだか、落ち着かなくて、手首につけたままのバングルを指でいじる。あいつ、なんでクマなんだよ。持ち運べるわけないだろ。
僕とは別で、ファントム部隊というのが先に潜入しているらしい。なんでも、アンチボディズの特殊攻疫部隊で、ロストフォート事件の後に結成されたとかで、知り得る情報が少ない。まぁ、軍の部隊なんてそんなもんだけど。

それの増員だろうか。
一人、僕の向かいの席に座る、細身の男。あまり見覚えのない兵装に身を包み、無表情でいる。Phantom──幽霊の名を背負うだけあって、薄気味悪い奴だ。
やや俯いているため、僅かな明かりを反射したゴーグルの内の瞳の色までは窺えなかった。


……あいつ、おとなしくしてればいいんだけど。



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