「早速だが、潜入のために君には日本人に近い変装をしてもらう」
「………どんな」
ローワンの言葉に返事をしたのは、僕ではない。サーシェだった。
「まず、髪は目立つから黒染め。潜入の際にはカラーコンタクトも入れてもらう。少尉の瞳の色は特別珍しいからね」
「ふぅん、黒染めね」
「コンタクトレンズは慣れるのに少し時間が掛かるから、このあとにでも医務室に行って貰ってきてくれ。話は通してある」
「あいよ」
「あとはそうだな…現時点ではそのくらいだな。天王洲高校の制服は直前にならないと用意出来ないし…だて眼鏡、今からつけるか?」
「どっちでも。全部本当は直前のがいいだろ、僕が半端な格好で彷徨いたらそれこそ怪しまれる」
「そうだな。今日のところはコンタクトに慣れるだけにしておこう」
「フツーの職務は?」
「最近は封鎖区域の監視と暴動の取り締まりくらいしかない。君が出動するほどでもないと思うが、トレーニングは欠かさないように。
必要があればすぐ出動命令が出るだろうからね」
「あっそ。つまんないの」
僕が頬杖をつきながら話を聞いて相槌を打っている間、隣でサーシェはじっと押し黙っていた。
話の邪魔をするようにからころからころとキャンディを転がしてわざと音を立てている。
瞳は、いつもの眠たそうなものとは違う意味で細められていた。
「じゃあ、俺はまだ仕事があるから。
サーシェ、早く好くなれよ」
「…ん、」
「少尉、頼んだぞ」
「分かってるよ」
椅子から立つ音がして、サーシェから視点をそっちにやれば、ローワンが立ち上がって病室の扉まで移動していた。
簡単な挨拶だけ残して、忙しそうな一応上司はそっと病室を出ていった。
「ふぁ〜あ」
熟睡していたところをあいつの登場で邪魔されたから、実はまだ少し眠い。
いつも眠そうにしているのはサーシェで、ちょっと拗ねるようにしているのはいつもの僕で、まるでこれじゃ正反対だ。変なの。
「いつまで拗ねてんだよ」
「……だって。ダリルくん、素直に引き受けたから」
「命令なんだから従うのは当たり前だろ」
まぁ、ダンみたいなやつの命令は従いたくなかったけど。かなり不本意なものばっかだった。
サーシェがちょっと好き、と言っていたダン大佐も、あの騒ぎで殉職したそうだ。否、嘘界のやつが射殺した。本人に聞かされたのだ。
「ふあ……、やっぱ無理。もうちょい寝てから行こ」
「……ねぇ、ダリルくん、」
「ん…?」
「ダリルくんは、どうしてここにいるの」
一瞬、心臓が大きく跳ねた。苦しくて、息がつまった。
どうして。そんなこと、聞かれたこともなければ考えたこともなかった。
強いて言うなら、パパがいたからだろうか。
パパの背中を追い掛けていたら、ここに立っていた。それだけで、嗚呼、確かにエンドレイヴを操縦するのはゲームをしているみたいで楽しいけど、ただそれのためにいるわけじゃない、はず。
だって、パパはもういないんだから。ううん、僕の勘違いだ。きっと、あの日あのとき、10年前ママが塵になったあの日、パパも一緒に塵になってしまっていたんだ。
だって、パパはもう僕の知るパパじゃなかったから。
なら、今の僕の、ここにいる理由は?
理由?そんなもの、
「知らない」
「………」
「僕は、皆殺しのダリルだ」
「………」
「ここにいて、当たり前だろ」
じゃなかったら、どうやって。
何処で、どうやって生きろっていうの。
昨日は、封鎖区域でも元は郊外に近いような地域の暴動の制圧に出動した。
暴動と言っても、葬儀社のようなまともな目的があってのものじゃない。ただ単に、現状が続くことに辟易した一般市民が暴力で騒ぎ立てただけの話。
早くここから出せと喚くそいつらを、僕はゴーチェのガトリングガンで撃ち抜いた。重度のキャンサー患者で徐染対象、という上の判断だった。そんなこと、一切無かったのに。
かつて僕は、同じようにフォートの住民を素手に銃を握って直接殺めたことがあった。でもあれは、フォートの住民は非登録民であって、もはや戸籍上存在しないとされる人間たちだった。
しかし封鎖区域内はフォートとは違う。戸籍上きちんと存在する人間ばかりだ。そいつらを、フォートの奴らと同じように殺す。これが指す意味はただひとつ、既に死んだものとするためだ。
僕だって、よく分からなかった。ついこの間、新しく局長に就任した嘘界のやつが、面白半分に命令してるのか、それとももっと上のやつの策略なのか。
それは、僕が知る必要なんてないのかもしれないけど。
昨夜は、よく眠れなかった。
パパが死んだことを───
僕が、パパを殺したことを、夢に見た。
もうずっと、僕は自宅に戻っていない。
パパが生きていた頃の時間に返るようで、ひどくつらかった。
パパの帰りをずっと待っていたこと。パパとディナーを一緒にしたくて、でもいつも帰ってこなくて、独りで食べたこと。
パパの部屋にそっと入ってみたら、ママの写真が一切無くなっていたこと。
思い返すだけで生きた心地がしないのに、どうやってあの場所に踏み込めると言うのだろうか。
数日は、独りで眠りにつくことも出来なくて、サーシェがベッドで眠る傍ら、ベッドについた腕を枕にして椅子に座ったまま眠るなんてことが続いた。
いまは、本人が入院していて空っぽなサーシェの寮室を借りて眠っている。でも、すぐに独りが怖くなって、起きて一番にサーシェに会いに来る。
サーシェは、サーシェだけは、僕を受け入れてくれた。
ロストフォート事件で何かが変わってしまったのは、僕だけじゃない。サーシェもそうらしかった。
何も言わずに、ただ寄り添ってくれる。頭を撫でてくれる。優しく抱き締めてくれる。
サーシェの心音を聞くと、ひどく安心して、ひどく切なくなった。馬鹿みたいな話だ。僕は、サーシェの心音を聞いて初めて、他人にも命が通っていることを実感させられたのだ。
「良かっ、た。私と、おんなじ」
いまも、そう。ほら、存在理由を見出だせない不安を隠したことに気付いてくれた。
結晶が落ちた腕を動かして、ほのかにあたたかい左手のひらが僕の右手を包む。
「私は、死神サーシェ。だから、ここにいる」
僕らは、異名にすがりでもしないと、怖くて恐くて、足元すら見直せない場所まで来てしまったんだ。
「……当たり前、だよね」
「うん。当たり前」
「おかしいことなんて、」
「なんにもないよ」
「……ダリルくん、」
「ん、」
「ずっと一緒ね」
「ん」
「ずっと、ずっと一緒にいてね」
「うん」
「約束だよ、」
「約束な」
「うん」
「サーシェ、」
「なぁに、」
「愛してる」
「私も、愛してる」
僕らは、手を繋いでいないと、息をすることも出来なくて。
お互いの体温がなければ、怖くて目を開くことも出来ない。
だから僕らは、お互いがお互いを裏切らない絶対の合言葉を交わす。
僕らの間にしか通わない、他人じゃ駄目なもの。他人からのものでも、到底かなわないくらい、がんじがらめに強いそれ。
僕とサーシェは、両手のひらを重ねて指を絡ませると、額をくっつけた。
愛言葉を交わすと、僕はキャンディの棒をくわえるその唇の端に、僕の唇を押し付けた。
睫毛が触れ合うような距離で、僕らは、お互いのぬくもりにしがみつくようにして、暫くずっとそうしていた。
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