僕は走った。

サーシェを実際に抱いているのはゴーチェだったけど、確かに僕はそこで息をして、精一杯足を動かしながら走っていた。

たまに流れ弾が飛んできたけれど、身を盾にして走った。
あのときは出来なかったけど…───僕には、いま、鋼鉄の肉体がある。盾だってなんだって、やってやる。

「っ!」

右肩にミサイルが命中して、軽減された爆発の衝撃波と熱が僕自身の身体にフィードバックする。熱くて痛い、だけどこれくらい、どうってこたない。生身で戦場に乗り出すこいつに比べたら、こんなの。

早く、早く音のない場所へ。
最初は棘のように隆起して生えてきていた結晶は、サーシェの腕を覆うように形を変え始めていた。
完璧に結晶化してしまったら、肉体の分子構造が崩壊して、そこはもう肉体として機能しなくなる。何か少しでも大きな衝撃を受けただけでへし折れ、崩れ落ちるただの結晶体になってしまう。

利き腕を失ったら、こいつは二度と銃を握れなくなる。本人が望んでも、握らせてもらえなくなる。そうなったら、軍にこいつの居場所は無くなってしまう。
それ以上に、こいつを構成しているすべてのうち何かひとつでも欠けてしまうなんて、そんなの、僕が許さない。僕が阻止してみせる。

大分長いこと走って、音が遠くにうっすら聞こえるだけになった。それでもまだ、ほんの少しずつ結晶化は進行している。最初は傷口だけだったのが腕全体にじわりじわりと広がり始めている。
僕は、前方に寂れた病院の地下駐車場への入り口を見つけて、一か八かでゴーチェを滑り込ませた。向きを変えて後ろ向きに背中から入る。封鎖されているらしい入り口のシャッターを背面で叩き崩しながら、ゴーチェの首を巡らせて周囲の確認をしつつそのまま地下への坂を下った。腰に鈍い痛みを感じて顔をしかめる。
地下なら電波は届かないはず、だけどGHQの回線が通っていてスピーカーから音がダイレクトに流れでもしていたら、今まで音を避けるように逃げてきた時間が水の泡になる。

入り口から一番遠い最深部まで機体を進めて、膝を折り身体を屈めるような姿勢で一息つく。急激に高められたゲノム共鳴での深いシンクロによる精神疲労が尋常ではなかったものの、しんと静かで、スピーカーから漏れる自分の荒い息遣いしか聞こえないことに安堵した。
手のひらの上で未だに目を開きそうにないサーシェを見下ろした。震えるように呼吸を繰り返している。


『……っ、は、…はぁ…』


ヘルメットの中、頬をいくつもの汗が伝っていくのを感じた。
お前、運が良かったよな。僕がエースパイロットじゃなかったら、あんな全速力で後ろ向きに突っ込めないし、そもそも握らず掴んだままって難しい握力の操作も出来なかったかもしれないんだから。ほんのちょっとでも操作を誤っていたら、肋骨一本どころかこの手で息の根を止めてしまっていたかもしれない。

結晶化の進行はなんとか抑えられたようだ。結晶が生えてきたときに突き破られてびりびりに裂けているジャケットの袖が痛々しい。
どうやら廃病院だったようで、回線は切られているらしかった。エンドレイヴの遠隔操縦システムは電気とはまた仕組みが違うので、地下へ入ってもある程度なら自由がきく。ここに入って正解だったようだ。


息を整えると、そっとコンクリートの床にサーシェを下ろす。ゴーチェの手のひらから微かに感じていた温もりも、一緒に。


『……起きろよ、』


いつも、あれだけ寝てんだからさ。作戦中くらい寝てないで起きろよ、ばか。


『…………ねぇ、』


友達に、なるんでしょ。
友達って、なにすればいいの。僕、わかんないよ。教えてよ。
この間のパズルゲームも、特訓してまた僕にリベンジするんでしょ。どうせ勝てないだろうけどさ、やるって言ったからにはやろうよ、やるんでしょ、ねぇ。
まだ、ハロウィーンもクリスマスもまだだよ。来年だって僕の誕生日、祝ってくれる約束でしょ。

まだまだずっと、一緒にいるんだろ。
もう、約束破らないでよ。


ねぇ、ねぇ。
早く、目を覚まして。

まだ、僕、何も言ってないよ。
お前に、伝えてないじゃん。

お前だけは、一緒にいてよ。
約束、守ってよ。


汗とは違う温かい滴が、僕の頬を伝っていった。



***



月が、空高く昇って、宵の街を照らしていく。

葬儀社は壊滅した。
大方殲滅され、幹部格の奴らは逮捕されたと聞いた。
リーダーの恙神涯は死に、六本木は根こそぎ消滅したらしい。

交通網は勿論封鎖され、生存者は区画内の避難施設で夜を過ごしている。
病室の窓から覗く荒れ果てた東京の一角。荒廃した六本木を思わせるような変わり様だ。たった一晩で、こんなにも変わった。


月明かりがしんしんと照らし出す惨状を暫く見つめて、僕は目をそらすように病室の中へと視線を移した。

治療機器に繋がれたサーシェが、ベッドで横たわっている。


「怪我しすぎなんだよ、間抜け」


僕が知る限り、半年間でこいつは3度入院していることになる。
それも、この間入院してから一週間も間を開けずに、また。

一通りの騒ぎが漸く静まってきた頃、僕のゴーチェの機体位置をGPS感知して派遣された救急車が、サーシェを迅速に運んでいった。
僕は駐車場を出て、機体を倉庫まで走らせてから接続を断ち、やっとの思いでコフィンを出た。だけど、ギリギリの切迫した精神状態が長く続いたせいか、不覚にも倒れてしまったらしくそれ以降の記憶がない。
目を覚ますと、院内の仮眠室に横にされていた。飛び起きて、サーシェの所在を聞いたあと、真っ直ぐ病室へ向かおうとして…やめた。エンドレイヴスーツのままだったから。急いでシャワーを浴びて着替えると、髪を乾かすのもほどほどに早足で此処へ来た。まだ、暫くは目を覚まさないと言われたけれど、朝まで付き添うことに決めて、それからはずうっと、ベッドの傍ら、椅子に座ってサーシェの寝顔を覗き込んでいた。


着替えさせられただろう薄い灰色の治療服が寒そうで、布団を被せ直してやる。
布団の端からはみ出た左手のひら。人間の皮膚の色をしているそこに、ひどく安心して、そっと触れた。優しく握っても、握り返してくることはない。でも、その体温はサーシェがまだしっかりと生きているということを僕に知らしめてくる。


レベル2だそうだ。
一度結晶体が剥がれ落ちた跡があったらしい。一度進行したものが何らかの要因で一時的に回復し、また進行した。だから、±0でレベル2。幸いにも、ワクチンを打って2週間ほど、早い人は1週間もあれば完全に回復するらしい。
ただ、ウイルスを全て殺すことは現段階の治療法では無理なので、またいつ発症するかわからないという不安は拭いきれない。


「……サーシェ、」


ごめんを、言わせてほしいんだ。
今回のことは、ほとんど僕のせいで引き起こされたと思ってもいいくらいだから。

ありがとうって、伝えさせてよ。

僕のそばにいるって、もう一度言ってよ。

ひとりにしないで。






2/3

[prev] [next]
back



「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -