「ダリル少尉」

「なんだよ」


模擬戦を終えて、ヘルメットを外す。僕の傍らで端末をいじりながら数値の微調整をするローワン大尉が、突然口を開いて僕の名前を呼んだ。


「今日は、行かないのか?」

「何処に」

「サーシェの見舞い」

「っ!」


カァッ、と顔が熱くなった。目を細め、白けた視線を寄越すそいつ。またその手元の端末を放り投げてやろうかと思ったけど、あいつが「物に当たるなら私が喧嘩相手するよ」なんて平然と言ったのを思い出して、手を伸ばす気にならなかった。
ローワン大尉は正直苦手だ。お節介焼きだし、よく小言言ってくるし、何よりこうやって、言ってもいないのに分かって話をしてくるのが、いかにも頭のイイ奴って感じで気に食わない。こいつ、僕が昨日嫉妬でむきになって行かなかったのを分かってやがる。本当に、嫌な奴だ。


「サーシェが、寂しがってたぞ」

「はぁ?あいつが?…だから、なんだよ」

「このあとはもうやることないんだろ。行ってやるといい」

「……っあんたに言われるまでもないんだよ!!いちいち僕に指図しないでよね!!」


顔が赤いのがカッコ悪くて、ローワンに見えないようそっぽを向いた。もう、ばれてるだろうけど。

寂しがってる、なんて聞いたら。……行かないわけにいかなくなるじゃん。ほら、またそうやって誘導するんだ。僕、こいつ嫌い。


僕がいつまでも目を合わせようとしないのを感じ取ると、はぁとひとつため息をついて、ぱちんと端末を閉じた。顔を合わせる気はないけど、視線だけそちらに寄越す。


「いい加減意地を張るのをやめたらどうだ、少尉」

「意地なんて張ってない」

「ほら、そういうところ。たまには素直にならないと。いくら鈍感なサーシェでも、愛想尽かされるぞ」

「っ!…あんたに何が分かるんだよ!!」


愛想を尽かされる。その言葉に、敏感に反応した僕を、分かっていたような目で見つめるローワン。
そんなはずない、とは言い切れなかった。あくまでも仮初めの特別≠ナある僕が、いつまでもあいつの一番になれるとは限らない。寧ろ、いざとなれば捨てられたっておかしくないんだ。だって、僕は今まで、そういうふうにしかあいつと接してこなかったから。

目を背けていた事実。ローワンと、あいつの本当の特別≠フ近くに居ると感じる差、劣等感。もう闇雲に自分が一番だと信じられるほど、僕は子供じゃなかった。唇を強く噛む。


「キャンディ、持ってってやってくれ」

「っはぁ!?なんで僕が!!」

「君があげた棒がついてるやつ、気に入ってるみたいだったから」

「なっ…、」

「ローワン大尉、ちょっといいか?」

「え、あぁ。じゃ、よろしく頼んだよ、少尉」


苦笑するローワン。他のオペレーターに呼ばれて、そっちへ歩いていった。



「…………やっぱり、あいつなんか嫌いだ…」



頬の赤みが引くまで、暫くコフィンの中で小さくなっていた。



***



「……なんだ、寝てるのか」


前回やったキャンディと同じものをわざわざ用意して、紙袋に入れたものを携えて訪れた病室。静かに戸を開けると、そいつは横向きで枕に顔を押し付けるような形でまだ眠っていた。
こうして、すやすやと眠っているときは、女に見えないこともない。呼吸をするごとに上下する肩、震える瞼。

痛々しく腕に巻かれた包帯。あぁ、そっかこいつ左利きだっけ。
なんとなく、好奇心からか触れたくなって、包帯の上に指先をほんの少し這わせた。布の感触しかなく、厚く巻かれたそこから体温を感じることはなかった。


「ん……?」

「っあ、」

「……ダリルくん…?おはよう」


びっくりして、手を離す。サーシェは、眠たそうに右手で目を擦りながら起き上がり、ベッドの上で横座りした。


「……怪我は…」

「ん…?あぁ、これ。骨は大丈夫だから、一週間で治るって。だから、平気」

「そう、」


左腕を見せながら、ぽそぽそと小さな声で話すサーシェ。僕も何故か、それに負けず劣らず小さな声になる。

「なぁ、」

「んー?」

「キャンディ、いる?」

「!いるっ」

寝惚け眼でいたのが、ぱちりと大きく見開かれる。目は、疲れてないみたいだ。
紙袋を差し出すと、ありがとうと受け取って抱きしめるサーシェ。
袋から取り出して、大袋に入った色とりどりのそれに、海色をきらきらと輝かせる。口元があまり動かないから、笑ってるのか驚いてるのか分からないけど、喜んでいるらしいのは確かだった。


「……あ、ダリルくん、お願い」

「?なんだよ」

「これ、開けて。左手、まだうまく動かないから」


なんで僕が、とつい口に出してしまった。けど、仕方ないんだ。誰かのために何かをするなんて、今までしてこなかったから。してもらってばかりが、当たり前だったから。
それに、そんな些細なことも難しいほど、やはり怪我が重いことが分かったのもあって、手渡されたそれを受け取ったときに唇を尖らせた。全然平気じゃないじゃん、ばか。


「ほら」

「ありがとう。えっと…はい、」

「……、」

「いらない?」

「いらなくない」


袋を開けてやると、今度は嬉しそうに笑ったサーシェ。左腕で袋を抱くようにして、右手で選んだそれを、僕に向けた。オレンジ味。
キャンディは甘ったるくて子供っぽい味がするから、他のお菓子に比べて食べようという気にはならない。けど、サーシェが選んだそれは、何かを意味するようで、いらないと突っぱねづらいのだ。小首を傾げたそいつの手からするりと引き抜くように、キャンディを手に取る。


「僕はレモンなんじゃなかったの?」

「レモンは私が食べるの」

「ああそう……」


渡されたそれをじ、と見つめる。そう言っている間にもがさごそと袋の中を漁り、あったとレモン味のそれを取り出した。
暫く棒を握ってキャンディを見つめていると、ちらと僕の方を見てきた。何かと思っていると、遊ぶように手の中で棒を転がしている。言いたいことが分かって、しょうがないなとその手からキャンディを取った。封を切ってやる。


「ありがとー」

「ったく、ほんと不便だな」

「ね」


受け取ろうと伸ばされた右手が僕の手に触れそうになって、思わず避けた。あれ、と洩らすサーシェ。キャンディとサーシェの顔を見比べて、僕はひとついたずらを思いついた。

「む、」

ふに、と血色のいい唇が形を変える。口を塞ぐように、僕はキャンディをそいつの唇に押し付けた。キャンディをくわえようと口を開こうとする唇にまたキャンディを押し付ける。柔らかい感触がマシュマロのようで面白い。

「むーっ」

「あははっ、ヘンな顔!」

「ん、…ダリルくん、なんで急に意地悪するの」

「面白そうだったからだけど?」

「もう」


呆れた、とばかりに眉尻を下げるサーシェ。もごもごとキャンディを口の中で踊らせる。棒が、サーシェの唇の端から端に移動した。
そこで、僕はは、とした。ローワンのやつが、変なこと言うから。

いくら鈍感なサーシェでも、愛想尽かされるぞ

封を切ったオレンジ味のロリポップキャンディを一舐めして、レモン味とは違う柑橘類の匂いに顔をしかめる。

じゃあ、どうしろっていうんだよ。僕に、どうしてほしいんだよ。
今のままじゃだめだって言うなら、ちゃんとどうするべきなのか、答えを教えてくれよ。わからないよ、それじゃ。


「…どしたの?オレンジ、嫌いだった?」

「そうじゃ、ない…」


僕の顔を覗き込んでくるそいつを一瞥した。僕は味ごときでここまで深刻に悩まないってのに。何処かちょっとずれてるんだよね、こいつ。そういうとこ、別に嫌いじゃないけどさ。このキャンディみたいに。


「あ、そうだ。あのね、」

「なに?」

「ダリルくん、ありがとうね」

「え?」

「名前、呼んでくれて」

「は…?」

「私、ダリルくんが名前、呼んでくれたから、動けたよ。無かったら、動けずに頭抱えてうずくまってたかもわからない」

「………」

「だから、ありがと」


僕は、なにもしてないよ、サーシェ。

ベイルアウトしたはずなのにまだ自立起動してるゴーチェに、リブートピン…停止信号を打ち込んで、それでも止まる気配がなくて。
嘘界の言葉で、作戦は中止になって、そうしたら繋げたままの通信機から、聞いたことないような大きな声で嘘界の安全を確保しようとするお前の声がしたんだ。
火が燃える音がして、がらがら崩れる建物の音が近付いていて。何か大きな衝撃音がした直後、鉄骨が折れる音がした。気が付いたら、僕はローワンの隣にいて、その手からマイクを奪っていた。

無意識だった。咄嗟の行動で他人の名前を叫ぶなんて、したことなかった。
ねぇ、これって、僕の中のお前は、せめて僕の中だけだとしても、仮初めなんかじゃない、本物の特別≠チてことなのかな。お前の中の僕は、たとえ特別でも、ローワンたちの次なのかもしれないけど。ねぇ、でも、僕は、それじゃ嫌だと思ってしまうよ。

僕だけを見て。僕以外を愛さないで。
僕を、お前の唯一にしてよ。僕にとっての、お前と同じように。


「ねぇ、サーシェ」

「ん?」

「……なんでもないよ」

「……?へんなダリルくん、」


確か、前にこの逆があった。そうだ、前にキャンディをあげたとき、今の僕と同じようにして、サーシェが口ごもったんだ。

お前は、僕を、すき?

何故かは、わからない。わからないけど、そう聞くのが、今は無性に恐ろしくて。
言葉にしたら、崩れてしまうような気が、して。



触れない度があるんだ
(あたたかいと知るのが、怖い)


僕は、ずっとサーシェに触れられないでいた。それは、今までの奴らと同じような、汚いものに一切触れたくないという気持ちからではなかった。
長いこと、人のぬくもりに触れてこなかった僕は、怖かった。皆、平等にあたたかいということを、身をもって知るのが。
僕が触れたら、サーシェが、壊れてなくなってしまうような気がしていた。

自分で近付いたくせに、大切すぎて、さわれなかった。

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