扉から出てきた目標、ナンバー816…寒川谷尋が、ショッピングカートにキャンサー化が全身の半分まで進行した人間を乗せて、それを押しながら出てきた。
その後ろから、周囲の様子を窺うようにそろりと出てきた人間を見て、私の銃を構える手が強張った。
オウマシュウ。私から、間接的にホンモノを抜き出したひと。
ざわりと肌が粟立つ感覚に、あの恐怖感がぶり返してきた。隠し見ないようにしていた、心の奥底の形を否応なしに無理矢理取り出される嫌悪感。
かちかちと震える手が、無意識にシュウの眉間に焦点を合わせようとする。通話を切ったらしい嘘界さんがそれに気付くと、私の手に自分のそれを重ねて言った。
「サーシェ。殺しちゃダメですよ」
「……っ、…はい」
「いい子です」
そうしてほんの少しの間、様子を見ていると、手を離しながら囁くような声音で言った。
「やってください。威嚇程度に」
愉悦に染まるそれをしっかりと聞き取り脳髄に補完すると、もう落ち着いて震えることのない手で銃を構え直し、トリガーを引いた。
弾丸が、舐めるように彼らの足元を目掛けて駆け抜け、弾ける。
驚き動揺した様子のシュウを落ち着かせるように声を張る寒川谷尋。
遠くの通路にこちらへ向かってくるエンドレイヴ部隊を見るなり、方向転換をしてさっきよりも少し駆け足でカートを押していく。
「我々も移動しましょうか」
「はい」
屋上からの高さがそこまででもなかったので、軽く飛び降り、嘘界さんが降りてくるのを先導する。そうして、ビル影に隠れながら先程彼らが出てきたショッピングモールの車庫のような場所へ向かって足を進めた。
歩きながら、ポケットから取り出した棒つきのキャンディの封を切ってくわえた私を一瞥して、嘘界さんが微笑う。
私にとって、キャンディの甘味が精神安定剤のようなものだ。特に意識せずとも、落ち着こうと思った時などは常備しているそれを食べてしまう。それをまた嘘界さんも、よく知っていた。
「あとで、グレープ味分けてくれませんか?」
「いいですけど」
「けど、なんです?」
「……共食い」
「何を今さら。相変わらず面白いことを言う」
くつくつと喉の奥を震わせて笑う嘘界さんに、私もふふ、と笑みをこぼした。
そうして移動すると、車庫内を見下ろせる高い通路に出た。一時的に商品を置いておけるよう、車庫内の温度調整機器が置いてある。
再び逃げ込んできたシュウと谷尋は、何やら口論になっているようだった。シュウが、谷尋の胸元に手を伸ばす。白銀の螺旋が尾を引いたのを見て、体がぴくりと跳ねた。
一度彼の手首を掴んで食い止めたそれが、また谷尋の胸元に翳されて、今度こそ中身を抜き出された。抉るように剥き出しになって飛び出してきたくすみがかった結晶体が剥がれ落ちて、禍々しい色のハサミが現れる。
カートから転がり落ちた人間のそばにシュウが駆け寄ったところで、建物の壁が爆発によって吹き飛ばされた。荒々しく登場したエンドレイヴのスピーカーから漏れる音声は、ダリルくんのもの。
『─You again!? Faceless!!』
楽しそうにスラングを吐いてゴーチェを操るダリルくんが、一瞬だけカメラアイをこちらに向けた。その向こうにいる彼と、目があったような気がした。
私たちの位置を確認すると、逃げ出したシュウに向かって遺伝子キャプチャー≠ネるものを発射する。ゴーチェの右腕に取り付けられ、爪の形を模したそれは、暗い紫を輝かせながらうねるようにシュウを追尾する。その動きは、毒蛇を思わせた。
シュウが、またあの特有の光の円盤のような足場を使って空中に逃げる。突き上げるようにして迫っていったバイオプシープローブの先端部が、シュウの手元のあのハサミで切り離され、頭をもたげたキリンのように地面に崩れ落ち、埃を舞い上げた。
「すごい…」
束の間恐怖の対象として捉えていた彼を、私はまた興味深い視線で追っていた。彼自身は、恐怖の対象になり得るほどの凶器的な中身を持っていないというのも理由に付け足されるかもしれない。
『How to do magic!?』
どういう手品だよ、と叫ぶも、その声には戦闘特有の高揚が滲み出ていた。なんだ、しぶってたわりには楽しんでるんじゃん。
柵の手摺に掴まりながら様子を眺めていると、ダリルくんは次弾を発射した。シュウはジグザグに避けながらブロックの後ろに逃れようとするも、逃げ切れないと悟ったが早いかまたプローブを寸断した。
残弾を全て発射すると、3本の毒蛇が獲物目掛けて滑るように追っていく。
その時だった。
「ううああああああああああああああああ!!!!!」
突如咆哮にも聞こえる叫び声が上がって、何事かと視線をぐるりと車庫内に回す。と、先程カートから落ちた半身が硬質化した人間が、ぐぐぐと立ち上がっている。
えっ、という呆気ないダリルくんの声がして、間を置かずしてバイオプシープローブが向きを変える。
覚束無い足取りで歩き始めたその子を、自動で展開した先端部から突き出した大きく太い針が射抜き、そのまま天井に縫い付けた。
おい嘘界っ、どういうことだっ!と戸惑う声がスピーカーから漏れる。名を呼ばれた本人を振り返れば、私がシュウに向けたような興味深い視線を射抜かれた少年、そしてそのデータを読み込み始めたプローブが繋がるゴーチェへと向けた。
すると、今度は違う叫び声が上がった。
ダリルくんのものだった。
『うぐっ…なんだ…!?…ぐぁぁああああああ!!』
「っ、ダリルくん…!?」
移動して、ゴーチェが近く見える方に柵沿いに駆け寄る。途端、ゴーチェの左半身を内から突き破るようにして結晶がめきめきと生えてきた。
どうして?アポカリプスウイルスって人間にしか感染しない、ただの細菌じゃなかったの?無機物のゴーチェがキャンサー化するという前代未聞の事態に、私は驚きを隠せぬまま見入り、嘘界さんは後ろで通信機を介してローワンと連絡を取っているようだった。
痛みに悶えるような叫びが止んだと思ったら、ぐったりとゴーチェがうずくまって動きを止める。
緊急ベイルアウトをしたのだろうか。どちらにせよ、もう叫び声はしないから、ダリルくんは無事なはず。
ほぅ、といつの間にか止めていた息を吐き出したところで、異変は起きた。
ダリルくんとは違う叫び声を上げながら、キャンサー化したゴーチェが動き出したのだ。
「え…───」
異変に気付いた僚機が建物内に入ってくる。と、ぎらりとカメラアイを煌めかせて素早く飛び付いた。その動きは、オペレーターが制御しながら行うというよりも、獣そのものだった。
キャンサーを鎧のように纏いながら、素手で僚機を破壊していく。しかも、ただの破壊に留まらず、コードを引きずり出し、頭をもぎ、とことん粉砕していくその姿に、薄ら寒ささえ覚える。
コードが千切られたことで爆発が起きて、辺りが火に包まれる。耳に嵌めた通信機からはローワンの焦った声。危険だから早く戻れ、と言っている。嘘界さんは口惜しげに作戦中止、と告げて通信を切った。
とうにベイルアウトをしたのか、僚機のカメラアイに光はない。にも関わらず、破壊をやめようとしないゴーチェ。引きちぎった腕を壁に叩きつける。その衝撃の大きさに、通路がぐらりと揺れた。様子がおかしい。
「!」
下を見ると、投げ付けられたゴーチェの腕が、通路を支える支柱部分に食い込み、大きく形を変えていた。己の重さに耐えきれなくなった支柱がひしゃげて、どんどん通路が傾いていく。
「嘘界さん、早く出口へ!」
「っ、サーシェ!?」
「下から行きます、早く!」
出入口だった場所からどんどん離れていく鉄骨。彼の背を押しギリギリのところでそこへ押し込むと、柵に掴まったまま叫んだ。
白い人影が奥へ消えたのを確認して、鉄骨が崩れる前に飛び降りた。崩壊していく壁の所々から新しい空気が吹き込んで、更に炎が大きくなる。
あんな化け物とあんな巨大な飛来物相手じゃ銃は使い物にならない。ホルスターにしまいこむと、熱と煙を避けるようにしながら退路を探す。すると、突然炎の中からまたゴーチェの一部らしき塊が飛んできた。反射的に避けたそこへ、何やら影が射して、上を見上げた。
崩れた鉄骨が、頭上に降ってきていた。
あなたの幸せがすき(だから、ねぇ、ずっと一緒だよ)
耳の通信機からつんざくように私の名前を叫んだ声は、いま、ふと会いたいと思ったひとのものだったような気がした。
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