ベッドの上で身を捩ると、薄手の毛布が剥がれる。肌寒くて、目を閉じたまま手探りで掴んだそれを引き寄せ、くるまった。
朝は少し涼しいと感じる季節になった。相変わらず日差しは眩しくて強いけれど、それも残暑特有のもので、真夏の頃よりかは和らいだような印象を受ける。
気が付くと、頭の下に枕がなかった。寝相で落としてしまったのだろうか。それにしても、ねむい。
何度目かのバイブレータが鳴り響く。また手探りで端末を手繰り寄せ、メインボタンを押す。止まった。
と同時に、大きな音を立てて部屋の扉が開かれた。
「やっぱり!まだ寝てるし!」
突き刺すような尖った声を出しながらベッドに近付いてくる存在に、ちらりと片瞼を開いた。
つかつかとベッドに寄ってくる足音に眉を寄せていると、視界にネイビーブルーのスラックスが入ってきて、その瞬間、頭に衝撃。視界が白に覆われる。
「わっ」
「起きろってば!いい加減にしろよ!何回電話しても出ないし、見に来たら案の定未だに惰眠貪りやがって!今日は僕の射撃訓練に付き合う約束だったじゃないか!」
「え…、あ、そっか…、あー…さっきから鳴ってたの、これ、少尉か…」
「少尉って呼ぶな。寝ぼけてんの?」
落とす、というより投げつけられた頭上の枕をゆったりとした手つきで退ける。仰向けになったそこに、陰りが差す。覗き込むように顔を窺ってくる端正な顔は、不満げに歪められていた。
長い前髪をはらうようにして顔を上げながら、ベッドの足元に腰を降ろした彼。唇を尖らせながら、文句を言う。
あの日から、1ヶ月と少しが経っていた。
「ん…あ、えっと…ごめん。ダリルくん」
「……その、くん≠トの…いつになったら取れるの」
「だって…慣れないんだもん」
「あいつはいつも呼び捨てにしてるくせに」
「くん付けはダリルくんだけだよ?」
「そんな特別、嬉しくない」
ぼそぼそと呟くダリルくん。むくりと起き上がって、苦笑を浮かべた。
ふあ、とつい欠伸が出る。口を手で覆っていると、眠気から出た涙で視界がぼやけた。
彼が言うあいつ、というのは、ローワンのこと。親代わりというか、家族のように世話をしてくれた彼は、年も階級も離れているけれど、親しみを込めて呼び捨てにしている。
「いいから早く支度してよ」とぶうたれているダリルくんに急かされて、気だるい身体を動かしながらのそのそとベッドを這い出た。クローゼットから適当に服を取り出して、着ているシャツのボタンを外し始めると彼はそっぽを向く。こちらには、背中だけを見せている。
「もう食べた?」
「食べた」
「えー…じゃあ、食べるの待っててくれる?」
「急いでよね」
「わかった」
さっさと着替えを済ませると、水場へ行って、洗面台で洗顔と歯磨きをする。寝癖はあまりつかないので、手櫛で簡単に髪を鋤くと、部屋に戻ってリヴォルバー式と自動装填式の2丁が入ったホルスターを手に取り、ベルト口に取り付ける。手入れは昨晩済ませておいた。
「お待たせ」
「全くだよ、この僕を待たせるなんてどういうこと?」
「だからごめんってば」
食堂に向かう道中もぐちぐちと文句を垂れる彼。軽く聞き流しながら、数回謝罪の言葉を述べる。まあ、もうほとんど怒ってなくて、ただ言い足りないだけなんだろうけど。
彼は、私をサーシェ≠ニ呼ぶようになった。
代わりに、私にも名前で呼ぶよう強要してきた。
あの日から、彼はよく私と一緒に行動するようになった。
こうして何か特別な約束をしていない限り、トレーニングや訓練は別々だけれど、空き時間は一緒に話をしたり、トランプゲームや端末のアプリで対戦したりして過ごすようになった。ちなみに、彼は嘘界さん並みにゲームに強い。
それは、今まで誰も寄せ付けないかのような刺々しい雰囲気を持っていた彼の行動としては極めて珍しいものだったから、誰もが彼と、そして私を驚いたような眼差しで見た。
以前まで私が彼にくっついてまわっていたから、仲良くなったのかと特に追及してくる人はいなかったけれど、そんな彼をからかう人は時々いた。殴りかかりそうになる彼を止めたことも、何度かあった。
一緒にいる。その約束通り、私たちは日常的に共に時間を過ごすようになった。
あの日、どうして彼はああも私に弱味を見せてくれたのか。彼が弱音を吐くなんてこと、今までなかったのに、その引き金になるような事実がなんだったのか、それを私は彼に聞こうとは思わなかった。聞いてはいけない気がした。
ずっと、近いようで遠いような、一線を引いた距離があって、でも私も彼も、それが当たり前のように感じていて。私は、なるべくその線のそばに居ようとしたけれど、彼はなかなかそういうわけにはいかなかった。あの日を境に、彼は線を越えて一緒にいるようになったのだ。
それでも、なかなか触れようとは、お互いしないのだけど。
そして今までとは逆に、彼は私の特別≠ナあろうとこだわるようになった。
多分、私が彼の中で、特別≠ニいう枠に含まれるようになったから。その中には、今まで彼の唯一の肉親、ヤン少将しかいなかったはずだけれど。
嘘界さんに以前、ヤン少将には若い恋人がいると聞いた。ダリルくんも、それを知っているようだったけど、納得はしていないようだった。
パパに、来年の僕の誕生日は空けておいてって頼みにいったら叱られた
え?叱られたの?
もう子供じゃないんだから、いつまでも誕生日とか言ってるんじゃないって
それは……、長官、忙しくて、ちょっと機嫌が悪かっただけじゃない?
変だった。前は、パパは、あんなふうに叱らなかった。けど、いいんだ
………、
いいんだ。僕には、サーシェがいるから
………ダリルくん…、
お前は、来年も祝ってくれるでしょ?
うん、祝うよ
ね。だから、もう、いいんだ
…………、
いいんだ私には、彼が、長官と張り合っているように見えた。
父に自分じゃない愛する存在が出来たことを、自分にも特別な人間が別にいると意識することで、耐えているように。
私は、家族という感覚がよくわからなかった。ローワンや嘘界さんはとても大切な人だけれど、私のそれがダリルくんの長官に向ける思いと同じだとは思わなかった。
だから、代わりのように特別扱いされることも、不思議ではあったけど、嫌ではなかった。私の中で、彼はもうとっくに特別な人であることに違いはなかったから。
ただ、少し捩れたような、真っ直ぐでない特別が、胸に痛いと感じるときは、たまにあるけど。
それで、彼の心の痛みが薄らぐなら、私はそばにいようと思う。そばにいて、彼の特別として、彼を特別に思う存在として、支えてあげられたらと思う。
でも、本当はすこし、わかっているのだ。
それは、本当の大切や特別とはすこし違っていて、お互いの傷を舐めるために、穴を埋めるために、ただそうだと思い込もうとしているだけであって、
けして、ホンモノではないことを。
私は、すこし、わかっているのだ。
1/3[prev] [next]