夜が来た。


私は、夜が一番心地好くて、それでいて大嫌いだった。
暗闇が苦手だった。肌に馴染む暗さが、自分は日の下を歩くに相応しくない人間だとこれ以上ないほどに知らしめてくる。

夜、不意に目が覚める、あの瞬間が苦手だ。
このまま眠っていればよかったのに、どうして目覚めてしまうんだろうといつも思う。

自分専用にと割り当てられた寮室は殺風景で、簡素なベッドとクローゼット、水場と小さい冷蔵庫があるだけだった。
無駄に大きくくり貫かれた壁にはガラスが嵌められていて、その向こうで少し欠けた月がしんしんと私を見下ろしてくる。

シャツ一枚だけの胸元がすうすうと冷えた。
スパッツ程度の丈しかない短パンは、動きやすいけれど寒くて、薄いシーツにくるまって背中を丸める。


ぬくもりは、未だに怖い。


寒くて、孤独だと思えないと、不安で仕方なかった。
なのに、それと相反するようにして身体はぬくもりを求める。安堵したくて。

死神だったら、どんなに良かったか。
感情を持ち合わせず、体温を持たず、ただただ、命を狩れる存在になれたら良かったのに。

ふとしたときに、命の呼吸を感じると、泣き出したくなってしまう。
誰かに触れたとき。花が咲くのを見たとき。風が頬を撫でたとき。
血が溢れるのを見たとき。泣き叫ぶ人達が永遠に口を開かなくなったとき。

風が、硝煙の匂いと一緒に魂の息吹を拐っていく。
夜、目を覚ますと、その感覚に襲われて、たまらなく怖くなる。

この手から、銃の重みを忘れることも、ナイフで肉を裂く感触を忘れることも、血の生ぬるい温度を忘れることも、きっと無いのだ。
今まで奪い摘み取ってきた命が、見えない鎖となって手に絡み付く。背中を這い上がってくる。
消えない。消えないのだ。生きるためとはいえ、奪った事実が正当化されるかと言えばそんなはずはないのだ。

たくさんのひとの未来を奪ってきた。
生きるつらさを、もがく苦しみを知っているからこそ、その人が掴むはずだった未来を奪った事実が重く、重くのし掛かる。


重くて、苦しくて、呼吸ができなくなる。



だから私は、月明かりを感じながらキャンディを頬張る。
甘さが心の強張りを溶かし解してくれる、と自分に言い聞かせる。

大丈夫。大丈夫だ。

私は、死神だから。
何も感じないよ。感じないんだ。
私のなかは、空っぽだよ。
怖いなんて思わない。つらいなんて、思わない。


呪いのように、何度も何度も自分の中で繰り返して。
自分にだって、心があるのだと、けれど表に出せないのだと、そう主張する自分自身を押し殺す。
心があるのだと感じてしまったら、私はきっと命の重みに耐えられない。罪悪感で、もう二度と引き金を引けなくなってしまう。

それでは駄目なのだ。
私は、引き金を引くために、
死神として屍の上に立つために、生かされているのだから。

毛嫌いしている二つ名に縋らなければ己を保てない。
死神の名は、私の存在意義。ただの人間に成り果てたら、私はもういらない存在になってしまう。


心は、持ってはいけない。


夜が来る度、呼吸が詰まる苦しみに、私はそうやって葛藤しなければならなかった。



今日、少尉に貰った棒つきのキャンディをひとつ手に取って、唇まで持っていく。
込み上げる恐怖感にキャンディを口に含むのを躊躇って、唇に押し付けた。
すん、と香る爽やかな匂いで深呼吸をする。どくどくといつもより早い鼓動を感じながら、キャンディを口に含んだ。
いつものべた甘いのとは少し違う味がした。甘いけれど、どこか酸味があって、匂いと同じ爽やかな味が舌の上を転がる。
なんだろう、と一度取り出して月明かりに翳す。月そっくりのそれが棒に刺さって手元にあった。いつも遠ざけてしまう、レモン味だった。


少尉の髪も、透き通るような黄色をしていた。いや、あれは金髪か。
金よりも、黄色よりも、更に薄い透き通った美しいレモン色。なのに、酸っぱくって、好きになる人は全然いなくって、わがままで主張の強い性格。
だけど、ほんのり甘い。優しい。キャンディをくれた。そばにいても、逃げないでくれる。


「………そっ、か」


少尉は、レモン味だ。


もう一度口に含んだそれは、もう酸っぱくなくて、優しく甘い。
彼に例えたそれが、ほろほろ溶けて、甘みが緊張を解していく。

少尉が居てくれるみたいだ。

間接的な、幻のようなぬくもりを感じて、心臓の上がまたきゅうと締め付けられる。

少尉のような人は今まで関わったことがなかった。だから、最初は苦手だった。わがままで、自己中で、嫌な人だと思った。
でも、今は違う。少尉は面白い人。くるくる表情が変わって、実は寂しがり屋で、面倒がるのに構わないで放っておくと怒る。
子供っぽいと思っていると、時々大人びた姿になったりするんだ。すごく、そういうのは、素敵だと思った。

少尉は、怖いと思ったりするのかな。やっぱり、殺すことは、エンドレイヴ越しだと現実味がないのかな。

触れたり、肩を寄せ合うわけじゃないけど、少尉の近くにいるのは落ち着く。なんとなく、居心地がいい。
だから、ねぇ、怖くなったら、そばに行ってもいいかな。やっぱり、駄目かな。

堪えてるわけでもないのに、涙は流れない。生まれてこの方、泣いたことはなかった。

だから私は、今夜も独り、震える肩を抱きしめながら、キャンディの甘さに溺れて、考えなかったことにしようとまた瞼を閉じるのだ。




***




「相変わらず下手くそなままだな」


からころ、からころ。唇から伸びた白い棒が端から端へ転がされるたび、そんな音がする。
鼻唄を歌いながら端末をいじっていたら、いつの間にか休憩室に来ていた少尉が声をかけてきた。鼻唄を止めて、今まで端末を見ていた瞳をゆるりと見上げる。
トレーニングを終えてマフラータオルを頭にかぶった少尉が、ソファーに寝転ぶ私を見下ろしていた。しっとりと汗をかいていて、白いTシャツが彼の線の細い身体に張り付いている。


「失礼だなあ」

「もっとちゃんと音聞いたら?」

「………む」


「ずっと歌ってるからお前の下手くそな方覚えちゃったよ」と唇を尖らせながらタオルで頭を掻く少尉。
少し距離を置いて横に座ると、私が別ウィンドウで検索し再生したあのPVを少尉も覗き込んだ。


「……ふうん、これ?」

「うん」

「なんか、暗い」

「そういう曲なの」

「……お前って実は根暗?」

「………」


根暗って。

でも、少し重い印象を受ける曲であるのは確かだ。
私は、染み入るようで聞いていて心地好くなるのだけど。

贖罪の旋律が、私の中の痛みを、柔らかく解していく。
淘汰されゆく命を、そっと見送るような傷ついた優しさが、心に寄り添ってくる。

私がこの曲に惹かれたのは、もしかしたら、いのりのホンモノに触れたからだけではないのかもしれない。
聞けば聞くほど、心の奥に響いてくるのだ。


「……綺麗、だよね」

「………」


ふ、と。
視線を感じて、少尉を見上げた。

きらきら光るすみれ色が、真っ直ぐに見つめてくる。
なんだか逸らせなくて、視線が交錯して、絡まりあって、そのまま私も少尉のすみれ色を見つめ返す。


「………こっちのが、綺麗だ」


ぽつり。
吐息のような、聞こえるか聞こえないか程度のか細い声が、そう呟く。

少尉は、私の目の、その奥を見ているようだった。



私はね、汚いんだよ。

血に濡れた穢らわしさを、どす黒い闇に潜むことで隠して、自分でも見えないふりをするの。


だから、そんなこと言わないで。

綺麗だなんて、私には不釣り合いだ。


けれど、私はなんだか、今までしてきたことが、欠片だけでも赦されたような気がして、

救われたような思いになって、


怖く、なって。

視界を、手のひらで覆い隠した。


これはである。
(嘘だと言って。信じてしまうから)





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