「あーあ、けっこう深いよこれ」
「うるさいな、黙って出来ないわけ?」
「だって…」
少尉の右手のひらに包帯を巻いてやるけど、慣れてないから何回か巻き直す。グズだな、と少尉がまた文句を言う。
ガラスを踏んだ足と、握った手から出血した少尉。自分でやる、と言ったものの片手では包帯を巻けなかったようで、苦戦しているのを横で見ていたらやれと言わんばかりに手を差し出されたのだ。
「痛そう」
「痛いよ。痛いに決まってるだろいちいち言わなくていい」
「……手だけでいいの?」
「あとは自分で出来る、」
「そう」
なんとか不器用ながらにも包帯を巻き終えると、少尉が「へったくそ」とぼやく。やってもらったくせに。
ガラスの破片なんかも綺麗に掃除して、まあましになった部屋の壁に寄り掛かりながら彼が足に包帯を巻くのを見ていた。
「……いつまでジロジロ見てんだよ。用が済んだんなら帰れよ」
「…………」
本当、ありがとうのひとつもないんだなぁ。ありのまますぎてイラッとするけど、我慢我慢。
悪態をつかれるだけなら、と壁から身を起こし部屋を出ようと扉の方へ行く。少尉が暴れて外した扉をはめ直したのだって私だ。なんでこんなにしてあげてるんだろう、私…。
すると、後ろから頭に柔らかい衝撃。振り向いて床に視線を落とすと、拾ってやったはずの枕が。
少尉を見やれば、退屈そうにこちらを睨んでいた。包帯は巻き終わったらしい。
「なに素直に帰ろうとしてんだよ」
「帰れって少尉が言ったんじゃん」
「お前つまんない死神だけど暇潰しの相手くらいにはなるだろ。その辺の気遣い無いとか致命的なんじゃないの?」
「………」
からかっているわけではないらしい。気分がころっと変わったんだろう。なんてめんどくさい人なんだ…ため息をつきそうになって、また癇癪を起こされたらたまらないとそれを飲み込んだ。
とりあえず、やり場のない苛立ちを枕に込めて投げ返した。顔面に命中した。枕が膝に落ちた少尉の顔は不機嫌と苛立ちをまぜこぜにした実にへんな顔だった。
「物投げずに渡せないわけ?」
「理不尽にもほどがあるでしょ」
「うるさいな、いちいち突っかからないでくれる?僕はいいんだよ、僕は」
「いいわけないから」
ちっと舌打ちされた。舌打ちしたいのはこっちだ。やり方分からないからしないけど。
暇潰しって言ったって、私何も持ってきてないし。ゲームだってあんまり知らない。何をしろって言うんだ。
また視界がぼやけてきた。暫く眠って目を休ませないといけない。
「少尉、私まだ横になりたいから戻る」
「はぁ?なんだよそれ」
「ベッド貸してくれるならまだいるけど」
「誰が死神なんかに」
「うん。だろうね、じゃあおやすみ」
「…っ死神のくせに、睡眠取るのかよ」
なんだろう。めんどくさいけど、突き放しづらい声だった。
口は悪いし、嫌なことしか言わないけど…そのまま離れようとすると何故かいじけた風になる。
普段から積極的に誰かと関わらないせいか、こういう人との距離の計り方が分からない。
だから、普段私がされたら機嫌が良くなることをしてあげようと思った。淡い期待を胸に秘めながら。
「…、なんだよ」
「手、出して」
「……手?」
そう言って差し出された、私が包帯を巻いた右手。その手のひらに、ポケットから取り出したものをころんと落とした。
半透明の色つきセロハンに包まれたそれが、部屋の照明に照らされててらてらと光る。
「今日は、グレープ味しかないから」
「……なにこれ」
「あげる」
「……質問に答えろよ」
「知らない?キャンディ」
「キャンディ?これが?……こんな安っぽいの初めて見た」
「そう」
キャンディに安いとか高いとかあるんだろうか。作り物の甘さに、変わりはないだろうに。
いらない、これが何、と言う少尉。私は結構、このべたあまいのが好きだから、貰えるとわりかし機嫌が良くなるのだけど…少尉は違ったみたいだ。期待も外れた。肩から力が抜ける。
いらないなら返して、私が食べるから。言おうとして、しかしそれはつきりとした眼の奥の痛みによって阻まれてしまう。
視界がまた一際ぼやけて、痛みも手伝い私はバランスを崩した。体勢を立て直そうとした足が滑って、そのまま前に倒れ込んだ。
──前には、ベッドに座る少尉がいるのに。
「………ちょっと」
「……っ、ごめん、少尉…」
「なんでもいいけど自分で立ってくんない?」
少尉の肩口に額が微かに触れる。少尉の細くも案外しっかりした手が、私の脇腹と胸元に触れて、胴体を支えていた。突き飛ばされでもするかと思っていたから、意外だった。
とくとくと刻まれる鼓動が、他人の温もりと重なる。不思議な感触だ。
「……、だめだ、少尉、ちょっとスペース貸して」
「え、おい…」
立とうと力をこめた足がもつれる。そのままぱたりと少尉の傍らに倒れ込んだ。
「何へばってんだよ、体力ないな死神のくせに。それでも男?」
「ちが、疲れてるとかじゃなくて、これは目が……
え、男?」
聞き間違いだろうか。
いま、少尉は私を男と言ったような。
「は、何言ってんの?」
「いや、少尉こそ何言ってんの」
「………………、え?」
「私、女だよ」
倒れ込んだ低い姿勢から彼を見上げる。いま私を支えたその手をわなわなとさせながら、まじまじと見つめ返してくる。
え、今の今まで勘違いしてたの?
「っはあああああっ!?」
長い間だった。
がたがた、とベッドを揺らしながら少尉が床に転げ落ちる。ちょっとかっこわるい。
無駄に動揺しながらよたよたと立ち上がると、後退りそのまま出入口の壁に背をくっつけ、そして吠えた。
「僕を騙したな!!」
「いや、そんなつもりは…」
「な、なんっ、お前、女ならもっと早く言えよ!!触っちゃったじゃないか!!」
「…………。」
ばたばたと飛び出していった彼のいた場所に、私が手渡したキャンディがころりと落ちていた。
…やっぱり、だめか。そっか。
急速に身体が冷えていくような気がした。いつだってそうだ。うまくいかない。
「………とも、だち…」
死神の私には、出来ないんだろうか。
仲良く話せる人。いつも一緒にいてくれる人。美味しいお菓子を分け合える人。
ローワンはそれを、友達というんだって教えてくれた。憧れた。そんな人が、いつか私にも出来るのかなって。
食堂で笑い合いながら一緒にご飯を食べるひと。職務後に一緒にディナーを食べにいくひとたち。
ここでの友達は、大抵皆一緒にご飯を食べる。遊びに行ったりする時間があまりないから。一緒にご飯を食べたら、友達になれる。
やっぱり、だめなんだ。
綺麗なもの、好きなもの。分け合えて、一緒に笑ってくれるひと。
私には、そんなひと、いない。
そうして人間のふりをする(私は、いつまでもそれになれないまま)
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