身体を起こし、窓から外を何を見るとでもなく眺めていると、扉の開く音がした。


「おや。目が覚めましたか」


入り口の扉を見やれば、旧式の携帯電話を手にした私の直属の上司──嘘界少佐がそこにいた。


「………おはよう、ございます」

「えぇ、おはようございます。もう身体は良いのですか?」

「………ちょっとだるい…いつもより、少し眠いだけ、です」

「そうですか。随分よく眠っていたようですがねぇ」

「…そうなんですか?」

「まあいいでしょう。元気なようで何よりです」


疲れ目に映る視界は少し靄がかかって見えた。嘘界さんがうっすら笑っているのが見えた気がした。
眠ったまま、まだ目覚めていないと聞きましたよ?と歩み寄ってくる彼から目をそらす。


「お疲れ様でした。…その様子だと、薬はすっかり抜けたんですね」

「………ごめんなさい」

「何がです?」

「………任務、失敗しちゃったから…」

「なに、気にする必要はありません。後悔は次に繋げられますしね」

「でも、」

「僕、彼苦手だったんですよねぇ。頭が固い上に視界も狭い。ちょうど良かったです」


霞掛かった瞳には貼り付けた笑顔の嘘界さんが映る。本音なのか、それも建前なのか。建前にしては酷い言い方だ。
彼は、いじっていた携帯電話をパチンと閉じると、ポケットにしまいこみながら、内緒話をするようなひっそりとした声音で話し出した。


「お仕置きではありませんが…教えてくれますか?
貴方が現場で見た全てを」


彼は、こうしていつも、私が見たものを私から聞く。
興味関心を惹くものを、吸収していく。

瞼を閉じて、暗闇に焼き付けた景色を映していく。


眩しく残る白銀の螺旋。
大剣を操る少年…名はたしか、オウマシュウ。
桃色の髪の少女。彼女の中に剣が消えていくのも見た。

ジュモウを操る女の子の声。その腕前。
ダリル少尉とシュタイナー。バギーの取り合い。
オペレート車を襲ってきたオウマシュウ。


「あと…」

「あと?」

「……は、ないです。これで全部」

「…………。そうですか」


私の瞳を覗き込んで数秒、嘘界さんは身を引いた。

本当は、まだまだたくさん見たものがあった。

少尉の瞳のすみれ色。
陽の光に照らされた綺麗なブロンド。
引き抜かれたマンゲキョウ。
瞬く星の煌めき。
少尉の本物はどれも素敵だった。見たことないものがたくさんあった。

……それに、

あの赤い、大きな瞳。



不思議だった。見たものを、取捨選択して伝えたのは初めてだ。
宝物を大事にしまっておくような気持ち。怖い夢を思い出したくなくて、口ごもる気持ち。
嘘界さんは多分、私が全部言ってないことを見抜いてる。でも何も言わない。怒ってない。


「……気になりますねぇ。その螺旋の光…」

「………」

「………ふむ。楽しかったですか」

「え…?」

「面白いものを見つけたんでしょう。いつもとは違う目をしている」


くつくつと喉の奥で笑う嘘界さん。私がいつもどんな目をしているのか分からないので、反応しづらい。
嘘界さんは、私の表情を目で感じ取ってくれる。彼には、わざわざ気持ちを言葉にしなくてもわかってもらえる。貴重な存在だ。

頭をぽんぽんと撫でられて、彼を見上げる。
携帯電話を取り出して時間を確認するなり、にやりと口角を上げた。


「さて。僕はそろそろ仕事ですからもう行きます。調べ物もしたいですからね」

「………はい」

「眠るのも良いですが、鈍らないうちに身体は動かすのが得策ですよ」

「………はい」

「では。また何かあれば連絡します」


嘘界さんが出ていった個室の中を、改めて眺めてみる。
何もない。真っ白。私のいるベッドに壁に窓に扉。おしまい。
つまらない。病院は苦手。飽きるから。

目も覚めたことだし、少し歩こう。病室を出ると、すぐそばに立っていた看護師のひとがびっくりした顔をしていながらも声をかけてくることはなかった。
多分嘘界さんが言っておいてくれたんだろう。目は覚めてる、身体も大丈夫そうって。私が検診とか嫌いなの知ってるから。

外に出て陽を浴びよう、なんて思いながら通路を歩いていたら、大きな音がした。ものを壊す類いの騒音。ガラスが割れて、重たいものを打ち付けるような音。
看護師のひとが数人、私をばたばたと追い越して、上の階に向かう階段を駆け上がっていった。
暇だったので興味本意で覗きに行こうかと、私も階段に足をかける。すると、ここからでもうっすらと怒号が聞こえた。
嗚呼、少尉が暴れてるんだ。何かを喚いてる。まだ騒音は鳴り止まない。どうしたんだろう、と早足に階段を上る。



「ふざけんなよ!!なんで、お前らが助かっといて…!僕のシュタイナーだろ!?返せ、返せよ!!」


第二中隊の人だろうか。少尉の部下らしいひとが通路で棒立ちになっていた。扉があった場所からは次々と物が飛んでくる。避ければ避けるほど少尉の機嫌は悪化していくようだった。
看護師のひとたちが止めに入ろうとするけど、やっぱり物が飛んでくるせいでなかなか中に入るタイミングが掴めないようだった。


「どうしたの?」

「っ、少尉に、機体を奪われたと報告したところ、このように…っ!」


なるほど。納得した。あれだけ上機嫌で乗りこなしていたのに、取られてしまったんだ。おもちゃを取られて怒る子供のよう。
とりあえず、入院してる身なんだし止めるべきか、と思い脇から顔を出した。目を血走らせた少尉が、息を荒くしながらこちらを威嚇している。
もう投げられるものはないようだけど、近付いたら噛み付かれそうな勢いだ。部屋の中はぐちゃぐちゃになっていた。
窓ガラスは割れ、ベッドは倒れ、枕は落ちているし備え付けのキャビネットも倒れ、破損していた。


「………少尉」

「なんだよお前!!関係無いだろ引っ込んでろよ!!」

「騒いだらうるさいよ。ここ病院だってば」

「黙れ!!僕に指図するな…!」



全身を奮い立たせて怒りを露にする少尉の正面に向き直る。まるで毛を逆立てた猫のよう。彼は裸足だった。
うまく落ち着かせる方法が思い付かなくて、向かい合ったはいいもののどうすればいいかと思案していると、少尉が再び出ていけと吠えた。
すると横から看護師が入ってきて、怯えながら話し掛ける。


「あ、あの、ダリル少尉」

「うっさいな!!引っ込んでろって言ってんだろ!!」

「絶対安静のお身体で暴れては…その、検査もこのあとありますし」

「黙れよ!!僕は何処も悪くない!!無能なゴミが偉そうに説教垂れんなよ!!じゃあお前がシュタイナー取り返してきてくれるわけ!?」

「っひ…!」


錯乱状態の少尉には逆効果。大声を出しすぎて所々掠れている。
額に青筋を浮かべている少尉の顔色はたしかに至って健康そうではあるけれど、かといって放っておくわけにもいかないし…
そう思っていたときだった。何を思ったのか、素手で床に散らばるガラスの破片を掴み、少尉が走り込んでくる。
看護師も部下のひとも、皆一様に動揺して身を引いた。私が独り、少尉と一緒に部屋に残される。


必然的に私に向かってくる少尉。振り下ろされたガラスを持つ手を、身体を捻って避けると彼の背後に回って手首を掴み、捻り上げてやった。痛みで力の入らなくなった手からガラスがこぼれ落ちる。


「…っ何すんだよ、離せ!!僕に触るな…っ」

「落ち着いて。身体は大事にしなよ。オペレーターなんだから、フィードバック以外で余計に怪我増やしちゃまずいんでしょ」


納得のいかない表情で、しかしゆっくりと呼吸をして落ち着いた様子の少尉を見て、そっと手を離した。
「わかった風な口きくなよ。オペレーターでもない死神のくせに」と、私にだけ聞こえる音量で呟く彼の言葉は、わざと聞き流した。

おとなしくなった彼に、看護師たちが部屋へ踏み込もうとすると、また少尉は怒鳴り付け、入るなと叫んだ。


「……大体の片付けは、私がやるから。皆、仕事戻って。…あ、そこの人は、消毒剤と包帯…応急措置に使えるもの、持ってきて」

「あ、はい!」


別に、少尉が私だけを特別扱いしてるわけじゃないことはわかってる。人間として見られていないから、気にも留めていないだけだ。
ひとつ嘆息して、とりあえずベッドを立てようと手をかけた。

白い部屋に色濃く鮮やかに映る、斑の朱が目に痛かった。





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