A.D.2044 August.23 20:51
某軍人養成学校中等部 職員室にて
「お疲れ様でした」
「あれ?メノーム先生、今日もう上がりですか?」
「はい」
「このあと、研修生の子達と打ち上げ行くんだけど、先生もどうですか?」
「すみません、今日は用事があって。外せないんです、ごめんなさい」
「そうなんだ…なら、仕方ないか」
「お先、失礼します」
女がショルダーバッグを背負って、職員室を出ていく。
くすんだ茶髪の若い男性教師は、やや残念そうに肩を竦めるとやれやれとため息をついた。
「今日こそ口説こうと思ったのにな〜」
「何考えてんですか」
「え〜、だってサーシェ先生可愛いじゃないですか。俺大分前から狙ってんですよね」
「はぁ…そんなだから、いい年してフリーなんですよ。早いとこ彼女作ったらどうですか、あと3年もしたらアラサーでしょう」
「うーん、リリアちゃん厳しい」
「ちゃん呼びやめてくださいエリック先生」
滑らかなブロンドが綺麗なリリアと呼ばれた女教師が、気分を害したように眉を潜める。同期である彼にも丁寧語で話す彼女だが、彼のこういう下世話で軽いところは好かなかった。
すると、ふと思い出したように携帯を確認したリリア。やっぱり、と呟くと、彼女はエリックに向かってしたり顔で言い放つ。
「研修生君、今日は外せない用があるとかで打ち上げは欠席だそうですよ」
「えー!?打ち上げる本人がいなくてどうすんですか!!」
「つまり打ち上げは無しですね、はい帰ってテスト作りましょう先生」
「嘘だろぉ〜…」
がくりと肩を落としたエリック。その肩を満面の笑みで叩くリリア。
賑やかなことが好きなエリックにとって、この堅物女史といる時間が続く空間で働くたまの息抜きに、今回の打ち上げは最適で楽しみのひとつだった。
そこに止めをさすように、リリアがもうひとつ情報を提供する。
「それに、メノーム先生ご自身はフリーでないみたいですよ?」
「っはぁ!?へ、え!?うそ!?」
「本当ですよ。私、以前ディナーをご一緒させて頂いたのですが、その際に仰ってました」
「まじかよ…うーわー」
「はい、残念でした」
「ったく〜……つかリリアちゃんだってカレシとかいないくせに!」
「いますよ」
「へ!?」
「仕事が私の恋人です」
「うっわ、いまマジでそういうのいらない」
どこまでも頭の堅い女だ、とため息をつきながらリュックを肩にかけたエリック。
先に職員室を出ていったリリアの背中を追い掛けながら、またぼやく。
「つか、サーシェ先生もそういう影ないじゃないですか…副業で休暇っていうのはあっけど…
は、もしかしてサーシェ先生まで仕事が恋人とか言い出すんじゃ…!」
「あ、それはないですね。ちゃんと人間だそうです」
「だめだこれ望みゼロだこれ」
一瞬あるかに見えた希望の光が呆気なく消えたことに白目を剥くエリックを振り返りながら、大体を把握しているリリアは一人、微笑んだ。
「研修生君、充実した誕生日を迎えられるといいですね」
「ったくさぁ〜ホントだよ、彼が誕生日だって言うから…」
「また今度にしましょう。次はカラオケにでも」
「え!?リリアちゃんカラオケとか行くの!?」
「はい。歌にはちょっと自信ありますよ」
「まじか!!!」
夜は更けていく。
二人が歩く海辺の道路には、静かな海のさざ波の音だけが響いていた。
A.D.2044 August.23 21:17
某住宅街 マンションに向かう道にて
毎年お祝いする。
そういう約束だったもんね。
手にしたケーキショップの箱には、一人で食べるとは思えない量のケーキが入っている。
5年目にして、この日は一年に一度やけ食いをする日という認識に変わりかけていた。
だって、なんの一報もないダリルくんが悪い。
ひとりぼっちで、誰のお祝いしてると思ってるんだ。
日本に比べたら、こっちの気候は湿度も低く、夏と言っても猛暑と呼ぶほど気温は上がらない。日が落ちて少し肌寒いくらいだ。
学校にいる間は空調がきいているおかげで、汗をかかないし…日本の茹だるような真夏の陽射しに、休憩室でだらけていたのが嘘のよう。
ケーキショップの箱を持つ手と反対側の手には、大きな紙袋がひとつ。
嗚呼、また部屋が狭くなるなぁ。まぁ、買うぬいぐるみのサイズを小さくすればいいだけなんだけど。
5年前は、ピンクのうさぎ。
4年前は、ホワイトの犬。
3年前は、ブラックの猫。
一昨年は、ブルーの馬。
今年は、5年目記念ってことでまたクマにした。
ベアーズのショップはこの辺りにないし、通販だともうめぼしいものがなかったから、ゲームセンターで取ったキャラクターもののクマだけど問題ない。何も問題ない。
もしもう5年なんの連絡もなかったら、私は確実にぬいぐるみによる生き埋めで昇天しているに違いない。ワンルームマンションの独り暮らしにぬいぐるみという拠り所があるのは嬉しいが、サイズがサイズだ。まあ、買ってるのは私だから自業自得だけど。
帰ったら、皆の成績表作らなきゃ。それから、最後の追い上げで執筆もしなくちゃだし…副業なのに、なんで締め切りあるんだろう。売れてるのはありがたいけど、休む暇が無くて疲労で倒れそうだ。昼夜問わず昼寝をしていたあの頃がひどく懐かしい。
今は学校という規則正しいスケジュールの中で生活しているせいか、生活リズムも常人のそれにすっかり変わった。深夜に起きてるのもつらいし、こんな時間から出撃してドンパチやらかしてたと思うと、若さの圧倒的体力に苦笑いしか出てこない。
かといって、非常勤講師だから出勤が毎日で早朝というわけでもないし、執筆生活のおかげでいまでも生活リズムは若干狂ったままだけれど。
「……あーあ、」
今年も、ひとりぼっちの誕生日。
しかも私のじゃないし。
この数年、見事に忙しさにかまけて孤独を紛らわしてこれたけれど、毎年今日この日ばかりはどうもセンチメンタルになって仕方がない。
だって、祝う相手がいないんだもの。生きてるかさえ、分からないんだもの。
毎年、この日はぼんやりと過ごす。
いま何してるのかな、元気かな。
あの頃はああだったね、こんなこともあった、そんなことばっかり。
新しく増えるものは何もない。
砂を噛むような誕生日。
こんな日を、あといくつ重ねればいいんだろう。
そう、思っていた。
「あ、」
「え、」
曲がり角を曲がった先、マンションのエントランスがあるそこで、
一人の青年が、座り込んでいた。
「…………え、」
髪が、伸びてる。
服装も、大分ラフなものになっていて、一瞬誰か分からなかった。
けど、まって。
その前髪、すみれ色の瞳。
一見座り込んでるだけだけど、そこにハンカチを敷いてるあたり間違いない。
…………え?
「おかえり、サーシェ」
紙袋とケーキの入った箱が、同時に道路に落っこちた。
A.D.2044 August.23 21:24
某マンション 208号室にて
ひとつ聞きたい。
私はいま、起きているはずだ。
寝てないはず。寝ぼけてもいないはず。
だよね?
「あ、ショートケーキだ。僕これ好きなんだよね」
好きなんだよね、じゃない。
ワンルームマンションの独り暮らしのはずのその部屋。
部屋の真ん中に置いたテーブル、向かいに座ってる彼は、私のことなんて置いてきぼりでケーキショップの箱を開け始めた。
さっき落っことして、少し形が歪んでしまっているケーキたちを、ひとつずつ狭いテーブルに並べていく。
相変わらず細くて白い綺麗な手だ。大人になって、節々が目立つ男の人の手に変わってる。
「紅茶ないの?」
「ないです」
「えー」
「えーじゃないです」
「のどかわいた」
「野菜ジュースで我慢してください」
「なんで敬語?」
「しらん」
「しらんて」
「知らないよもう。
知らない知らない知らないばか」
「あ、最後にばかって言った」
「ばか。ばーか」
紙袋から出したキャラクターのクマのぬいぐるみをもふりと抱きしめる。新品のにおい。
心臓のどきどきが止まらない。
夢じゃない?夢じゃないよね?
もし瞬いて、それが幻だったらと思ったら、安易に瞬きすら出来なくなった。
「せっかく研修でここまで来たのに、結局最終日まで顔合わせないし。ていうか、副業って何やってんの?」
「………子供向け小説の作家」
「ふーん」
不意にそんなことを言い出すから、無愛想な声しか出なかった。
生返事だし。なんなの。なんだっていうの。
死罪、っていうのは、嘘?生きてる?もしかして、幽霊?
いや、ケーキ触ってるし。ていうかなんで先に食べてるの、私のお金で買ったケーキだよばか。
いくら部屋入ってすぐに手洗ったからって、そりゃあない。
「夕飯は?」
「これ」
「ケーキ?」
「毎年、この日はこうするって決めたの」
「よく太んなかったね」
「デリカシーなさすぎ」
「あ、なに、気にするようになったわけ?」
「なったわけ?って…」
ふ、と顔をあげた。
ぱちり、とすみれ色と目が合う。
「やっとこっち見た」
彼は、私を見て、あの頃には見せなかったような柔らかい笑顔を見せた。
私は、不安になって、また俯く。
彼が彼であったという面影を、探している。見つからなくて、怖くなる。
「………ねぇ」
「…………」
「そのクマ、なに」
「………プレゼント」
「え、またクマ?」
「………5年、経ったから」
「…僕のなら、それちょうだいよ」
「やだ」
「なんでそこだけ即答」
「…………」
視界の端っこで、フォークが置かれたのが見えた。
ちら、と視線を上げる。
そこには、拗ねた顔をした幼い表情の彼。
あ、私、この表情知ってる。
「くれないなら、いい」
「あ…ううん、あげる」
「いいよ、べつに」
「あげる、あげるよ。
…だから、」
「だから?」
「………となり、いっても、いい?」
窺うように彼を見た。
彼は、拗ねた顔のまま、視線をそらしながら、小さく…本当に小さく、「…くれば」と、唇を尖らせた。
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