***


「ごちそうさま」


手を合わせると、かちゃりと繊細な軋む音がささやかに鳴る。
やっぱり両手があることって素晴らしい、なんてこの期に及んで感じてしまう自分は、やっぱり何処か何か、変わったように思えた。


「食欲もあるし、大丈夫みたいね」

「まぁね。腹がへってはなんとやら、ってやつだよ」

「船に着いて早々ぶっ倒れたひ弱は何処のどいつだっけなー?」

「はは、ごめん」

「人が悪いですよ、アルゴ」


葬儀社の会議室として用いている大食堂で、僕らは夕食を摂っていた。明け方にはこの船を発たなければならない。

僕の向かいでは、綾瀬がバターロールをちぎって上品に食べていた。その隣でツグミがメロンパンをぱくついている。
食糧は、倉知さんという供奉院家の人がその伝で手配し、供給してくれているようだった。手軽に栄養補給の出来るゼリー飲料から、日持ちのするレトルト食品、果てにはコンビニ弁当に至るまで様々だ。

僕らとはほんの少し離れた席でレトルトのカレーライスを食べていたアルゴが、スプーンをちらつかせながらからかうように言った。四分儀さんはその向かいで食べている。彼もパンの類いだろうか。

おにぎりのゴミを片付けようとテーブルに視線を落として、気付く。


「サーシェ、また食べないのかな…」

「もしかしたら、生徒たちと一緒に食べてるんじゃない?」

「ならいいんだけど…」


僕の隣の空席。サーシェの分に、と取ってあったサンドイッチと菓子パンが封も開けられずにそのままになっている。
まだ食糧に残りはあったと思うけど、一応ね。

生徒たちには各自平等に配給されている。葬儀社のメンバーが主だって扱っている場所以外なら、自由にしていていいとされているので、もしかしたら面識のある谷尋や颯太たちの方に行ったのかもしれない。彼女は、葬儀社に混じるにはまだ難しいものがあるだろうから。


「しゅうー」

「…ん?何、母さん」


自分の名前を呼ばれた気がして、ふと振り返ると義理の母親である春夏がそこに立っていた。
まだ呼び慣れないその呼称に、春夏も少しむず痒そうに、けれど柔らかくはにかむ。

青いタクティカルスーツを身に纏い、その上から白衣を羽織っている彼女は、だがしかし眉尻を下げて不安そうな表情になった。


「サーシェちゃん見てない?
ちょっと気になって、検診してあげたかったんだけど見当たらなくて」

「いや、僕も知らないよ」

「あのこならずーっと部屋に籠ってるよ」


メロンパンをすっかり平らげ、口の端についた砂糖を舐めていたツグミがぽろっとこぼした。
意外な人物が彼女の所在を知っていたことに、僕だけでなく綾瀬も目を丸くした。


「ご飯も食べずに寝たまんまなんじゃないのー?」

「ありがとうツグミちゃん、私ちょっと様子を…」

「いいよ、僕が行く」

「集、あんた休んでなきゃダメなんじゃ」

「大丈夫だよ。それに、彼女と少し話がしたいんだ」


ごみくずをゴミ箱として利用している段ボール箱に入れると、彼女の食糧であるそれらを左腕に抱いて、僕は春夏の横をすり抜けた。



僕が目覚めたのは、1週間前だった。

覚えているのは、嘘界少佐が自害して更に火が燃え広がったこと、腕の中のサーシェの心に、何かが溶けて消えたのを感じたこと。
それから、皆で大急ぎで船内に避難して、僕の記憶はそこで終わっていた。
目が覚めると、数日が経っていた。衰弱による昏睡状態に陥っていたのだと、涙ぐみながら春夏が教えてくれた。

それからここ1週間は、栄養補給と訓練を重ねて、消耗した体力を元通りにすることに専念していた。リハビリはせずとも、心のカタチである結晶の右腕は、以前と同じように動いた。


そうして今日の夕方頃、涯が新しいメッセージを通達した。
12月25日、全人類の価値を世界に問う、と。

そこに、メッセンジャーとして解放された四分儀さんが帰ってきたのだ。
父さんの日記を持たされて。

これが最後の戦いになるだろうと、誰もが予感していた。
胃を満たす者もいれば、仮眠を取る者もいる。明け方、僕らは此処を発ち、24区内に侵入、PMC──民間軍事会社の戦力と合流して、ボーンクリスマスツリーに攻め込むことになっていた。


即ち今日は、クリスマスイヴだ。


「サーシェ、僕だよ。集。
食べ物を持ってきたんだけど、入ってもいい?」


とある一室の扉の前で、ノックをしてから声をかける。


この部屋の中の人物は、現役の軍人だ。敵である、GHQの。
方々に名が知れ渡るほど有名な、殺しのエリート。死神と謳われ畏怖の念で見られ、それでも尚新たな屍の上に立つべく命じられた通りに銃を奮う。

だけれど、彼女に殺しを命じていた上司は、先日この世を去ったのだ。
それはもう、跡形もなく。骨ひとつ残さずに。


最初の数日かは食事も摂らずに籠りきりだったサーシェも、ここ数日かは船内を歩き回っていたし、誰かと一緒にトレーニングをしたりするのも見たことがある。
今日だって、夕方の涯からのメッセージを聞くまでは一緒にいた。そのあと、仮眠を取るからと部屋に戻ったきり、全く出てこないでいたのだ。


暫くすると、本当にほんの少しだけ、キィと音を立てて扉が開かれた。


「…………シュウ?」

「うん、僕」

「…………入っていいよ」

「あ、じゃあお邪魔します」


そうっと扉を開いて中に入ると、僕は少しの間目を見開いた。
そこには、彼女の服がやたら散らかっていたのだ。

24区の動きを見るまでこの船で待機をしていた僕らは、数日間ここでの生活を余儀無くされる。だから、倉知さんは空輸で替えの衣類も取り寄せてくれた。
にしても…、服は少ないのに、シーツも枕もあっちこっちに転がってるし…女の子の部屋ってこういうものだっけ?


サーシェ本人はというと、白い厚手のパーカーを着て、頭まですっぽりフードを被っていた。
ベッドの上で膝を抱えて、僕をそっと窺うように見ている。


「……適当に座って」

「え、あ、うん…」


持ってきたパンを彼女に手渡してから、一人がけのソファーに座った。先客のジャケットが丸まって鎮座していたけれど、それを取り上げて畳む。


「サーシェって、片付け苦手?」

「苦手…かなぁ」

「…ふ、春夏みたいだ、こんな散らかし方」


自宅に久しぶりに帰ってくると、春夏はこんな感じで服を脱ぎ散らかしていた。洗濯した下着もあちらこちらに放ったままにしておくものだから、年頃の男子学生としては勘弁してほしかったけれど、今となってはそれもいい思い出のひとつなのかもしれない。
無意識のうちに散らかっている衣服を拾い上げて畳んでいると、サンドイッチを頬張りながらサーシェが目をぱちくりとさせた。


「……シュウ、ローワンみたい」

「え?」

「ローワンも、たまに部屋に来るとお掃除するの」

「てことはやっぱりこれ普段からなんだ…」

「服は脱ぎ散らかさない、ごみは片付ける。片付けは大事。これ、ローワンの口癖」

「ローワン?」

「私のお兄ちゃんみたいなひと」

「へえ」


畳み終わった衣服をベッドの端に置いてやると、ありがとうと言って今度は菓子パンの封を開けた。


「いつもは、ローワンが片付けを手伝うの。それから…」


「それから?」

「………、」


口元まで運んだパンの欠片を、唇に触れさせることなく俯いて、だんまりを決め込んでしまったサーシェ。
僕は、何も言わずに、サーシェが言葉を続けるのを待った。


「……それから、嘘界さんが…写真を撮るの」


彼女の足元には、開きっぱなしの端末が放ってあった。
リプレイ、と表示されたキーが真ん中に寂しく表れている。


「………見ても、いい?」


小さく頷いたサーシェの傍に寄って、ベッドに腰掛けてから、左手の人差し指でそっとキーをタッチした。




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