「シュウ…?」


軽く一ヶ月もの間失踪していたシュウが、そこにいた。

爪先に当たったそれを拾い上げて、意味深長な瞳で見つめる彼に向かって、アヤセが叫ぶ。


「返して、集!それがなんだか分かってるの!?」

「分かるよ、綾瀬。全ては此処から始まったんだ。
だから、君には渡せない。やっぱり、これは僕が背負うべき罪なんだ」

「違う!それは私たちの罪よ!」


いつの間にか私と同じように廻廊の縁へと駆け寄っていた春夏さんとヤヒロたち。アルゴたちも遅れてやってきた。
ロビーの手摺から身を乗り出すようにして叫ぶ春夏さんは、ひどくつらそうな面持ちでいた。


「二度目はないのよ、集!ヴォイドの力があなたを殺すわ!
お願いだからやめて!」


シュウは、ゆっくりと首を振ると、ふわりとやわらかく微笑んだ。
優しくて、どこか人間臭さが感じられない…何かを悟ったような微笑みだった。


「ありがとう、母さん」


春夏さんが、はっと息を飲む。いつも自分を母と呼ばずに名前で呼ぶのだと、笑って教えてくれた。


「僕らの暮らしは傷の舐め合いだったかもしれないけど、僕は母さんと一緒にいられてよかった。今、本当にそう思う」


春夏さんが、かくりと膝を折って座り込む。目にはゆらゆらと涙の膜が張っていた。
何も出来ないことを悔やむように、胸に当てられた手は強く握られる。

シュウは、シリンダーを握り直して、言った。


「でも……これが今の僕にできる唯一のことだから」


ロックを解除し、飛び出した針を、思い切りよく胸に突き立てた。
シュウの苦しそうな咆哮が轟いて、アヤセがやめてと叫ぶ。

緑色の気泡のような光がシュウの胸元からこぼれたと思ったその瞬間、吹き荒れる風のように銀色の螺旋がシュウの胸元を突き破って溢れだした。


「これですよ、これこれ!!」


嘘界さんの嬉しそうなはずんだ声が一際耳に残る。

シュウの左手の甲に何か印が浮かび上がるのが見て取れた。あれは、以前彼の右手にあったものと同じ。

王の刻印。


「ずっと逃げてきたんだ……でも……
僕は、今こそ自分をさらけ出す!!」


シュウが、自分の胸に腕を差し入れた。
自分で自分のホンモノに触れるって、どんな感触なんだろう。

痛い?気持ちいい?怖い?嬉しい?
検討もつかない。だけど、ただひとつだけ分かること。

きっと、それって、自分を抱きしめるような気持ち。


細かい銀糸のようなものを引き出したシュウ。銀糸はシュウの右腕に絡み付き、失った半分から先を再生する。
結晶体で復元された右腕を彼が振るうと、光が散って周囲の炎が掻き消えた。

は、と下を見ると、そこに嘘界さんはいなかった。
彼の武器であるクックリも拳銃も置きっぱなし。一体何処へ?


「待って!」


踵を返して歩き出そうとしたシュウを、アヤセが引き留める。


「どこにいくの!?」

「……嘘界少佐はまだ諦めてない。きっと何かを仕掛けてくるはずだ。
僕は、それを止める。船のみんなを守らなくちゃ」

「だったら、私のヴォイドを使って!
お願い!私にも戦わせて!」


アヤセが、制服のボタンを引き千切る勢いで胸元をあらわにした。シュウは驚いて目を瞬かせる。


「けど、ヴォイドが壊れれば君は…」

「そんなの知ってる!だからってなに!?私は兵士よ!無駄に命を粗末にはしないけど、だからって惜しんだりもしないわ!お願い、集!私───

私たち、仲間でしょう!?」


シュウは、震える唇で言った。僕を、まだ仲間だと言ってくれるの、と。


「あたりまえよ!仲間だし──
友達よ!」


ダリルくんは、私の友達?

……違うの?お前が、なろうって言ったんじゃん



ふと、また、泣きそうになる。

そっか。友達。
友達って、こういうもの。


アヤセから取り出したブーツのヴォイドを身に付けると、ふわりと浮かび上がって宙を駆けるシュウがそこにいた。
ヤヒロが、俺のも使えと叫ぶ。隣のソウタも頷く。

さっきまで人間味のない微笑みを浮かべていたシュウは、彼らの──友達のおかげで、人間らしくなっていく。


まるで、空っぽだった私に表情が生まれたときのように。


「シュウ!」


ヤヒロたちからヴォイドを引き出した彼を、私も呼び止めた。
私と君は、まだ友達と呼ぶには浅い関係だけれど…大切なものに気付かせてくれた。


「サーシェ…?」

「私のも、使って。きっと、役に立つ」

「でも…、いいの?
相手は、嘘界少佐だよ」


狐の親は、子を捨てるんです


シュウの右手を取った。冷たくて、武骨で、なのに、あったかかった。


「私は、応えなくちゃ」

「え?」

「あのひとの期待を裏切りたくないの」

「どういう…」

「使って、シュウ。
いいの、分かってるの」


シュウは、少し寂しそうな顔をして、私の胸に右腕を差し入れた。
生身の腕で触れられるよりもそれは、やわらかくてあたたかくて、溶けるように私の心のかたまりを引き抜いていく。


「……っ、ねぇ、シュウ…」

「ん?」

「わたし…、君の、友達に…なれる?」

「……なにいってるの。
ロストフォートで君が僕らをハンヴィーに乗せてくれてから、あの日から、僕らは友達じゃないか」


びっくりして、私は瞬いた。
きょとん、と表情をなくしてから、私は笑った。きっと、ここ最近で一番綺麗に笑えたと思う。


「そっか」

「うん、そうだよ」


シュウが、笑う。
私の弓をその腕に溶かしながら、アヤセのブーツで宙へと飛び立つ。


嘘界さん、嘘界さん。
聞いてくれますか。

私、案外恵まれてましたよ。


スラムで過ごした過去、捨てられたそれ以前の過去。
それらが有る限り、私は恵まれない貧相な人生を歩むんだと思ってた。

でも、違いました。


こんなに優しいひとたちに巡り会えた。
それもきっと、あなたが私を拾って、生かしてくれたから。


嘘界さんは、私のお父さんで、神様みたいなひとですね。



地響きと古めかしいモーター音を立てて現れたのは、今では骨董品扱いされるほどの旧式のエンドレイヴ、マリオネット≠ナあった。
あれは、今みたいに感覚共有システムが開発される前のものだから、単純にオペレーターの動きをトレースすることで同じように着る感覚で操縦する。
こんなもの、何処で手に入れたんだろう。本当に、あのひとは面白いことばかりする。興味深くて、楽しくて、一緒にいるのが飽きないひとだ。


ゴーチェ用の銃を握ったマリオネットが、宙を駆けるシュウに向かって発砲した。


「真の王の復活に祝砲を!
さあ、踊りましょう!遠慮はいりません!雨のように銃弾を降らし、嵐のように蹂躙してさしあげましょう!」


連続して放たれた銃弾は、すべてシュウのヴォイドエフェクトの前に光となって散っていく。
あっという間に空っぽになった銃を捨てると、エンドレイヴ用のアンチマテリアルライフルを構えて撃った。すごい、艦船の主砲並みの威力だ。撃つ度に、空気が振動するのを感じる。

だけど、エフェクトで防いだのは一発だけ。やはり衝撃による負担が大きいからか、シュウはエフェクトを用いずに捻るようにしてかわしていく。


「なら、これならどうですかあああああああっ!!」


崩落でバラバラになったゴーチェの腕を掴むと、力任せに放り投げた。命中したかに見えたそれは、真っ二つになって落下する。シュウの手にはヤヒロから取り出したハサミが握られていた。
シュウは殴り付けてくるマリオネットの腕を掻い潜り、その腕を順に切り落とす。感覚共有はしていないので、痛みは感じない。

バランスを崩したマリオネットが、仰向けに倒れ込んだ。
シュウが、私のヴォイドを手にマリオネットの上に立った。ソウタのカメラで操縦席の窓を丸く切り取ると、機体が動かないように私の弓を引いて射抜いた。


「いいですねえ!さあ、どうします?今なら私を簡単に殺せますよ?ここで殺しておかないと、これからも私は君につきまとって、君の周囲に死を撒き散らしますよ!」


嘘界さんはいつになく饒舌だった。射抜いたのは機体だから、嘘界さんに時間を止める@ヘは働いていないようだ。


「……僕は、決めたんです。みんなのために、この身を汚しきるって」

「殺すんですね?私をサーシェのアーチェリーで、あなたのヴォイドで殺してくれるんですね?
いいですねえ!好きですよそういう悪趣味、大好きです!さあほら、早くしてください!そうでなければ私は命令を下しますよ!?ターミナルと船をミサイルで攻撃するように!!」

「…………」


シュウは、私のアーチェリーを腕に溶かした。嘘界さんはひどく失望した顔をして、それから怒りにうち震えながら叫んだ。


「な、何をしてるんですか、あなたはあっ!」

「サーシェの心≠ヘ、殺すためのヴォイドじゃない。大切なひととずっと一緒にいたい、変わらない毎日を慈しみたい…そんな、誰にでもある優しい願いの心の形≠ナす」

「なら、さっきのハサミですか?早くしないと!ほらあ!!」

「あなたは、悪意の塊だ。あなただけじゃない。この世界には、悪意が満ちている。アポカリプスウイルスが人の悲しみを悪意に変えるんだ。だったら、僕はそれを全て引き受ける」


シュウが、嘘界さんの胸に右腕を突き立てた。

銀色の螺旋が吹き出して、絡み付くように右腕に吸い込まれて消えていく。
あれはきっと、嘘界さんの中にある、悪意。怒り。憎しみ。

だけど、私は知ってる。嘘界さんの中にある、ホンモノ。
優しさも、曖昧さも、道化師みたいにおちゃらけたコミカルなところも。悪意や怒り、憎しみも、全部全部ひっくるめて、私の大好きな──お父さん。



変わらない毎日がほしかった。
だけど、大切な日々は思い出として、変わらずにとっておこう。

不変なんて、この世界にはないことを、私は知ってしまったから。


答えを教えてあげましょう


狐の話。あれも、私の中の、大切な大切な思い出。無くしたくない日常。


視力のおかげで、目前にあるように鮮明に見える彼の姿。
嗚呼、楽しそう。嬉しそう。だから、きっと、これでいいんだ。そうなんだ。

私のなかにある、思い出のお父さん≠フ笑顔と、いまシュウに向かってにいと鮫の歯を剥いて笑う嘘界少佐≠フ姿が重なる。
重なって、曇って、ぼやけて、見えなくなっていく。

こぼれてしまったら、大事な思い出も一緒にあふれてしまう気がして、唇を噛み切るほど力を込めて噛んだ。


答えは───


「………冗談じゃ、ありません」



嗚呼、お父さん。



強く生きなさい、です


「あげませんよ。
これは、私だけのものです」



刹那、閃光が私の視界を奪った。








シュウの腕を介して、彼の心が私の心に、直に触れた。

あたたかくて、ちょっと奇妙で、私の知ってる、私の大好きで、大切なひとの心がふれた。


あなたが私につけてくれた名前は、殺戮兵器と殺人鬼の愛称を捩ったんだって、教えてくれましたよね。
私、結構人間らしくなれたと思いませんか。感情豊かで、他者との関係に思い悩む、普通のありふれた人間になれたと思いませんか。

殺しの道具が如何にして人に育つのか。それが、あなたにしてみればひとつのゲームで、研究で、観察録だったんでしょう。
楽しかったですか、面白かったですか。
あなたの出したこの研究の答え、今回は私が教えてあげましょう。


結果は、大成功。

だって私、こんなにも悲しくて苦しくて、たまらないんですから。

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