その時、不意に地が震動して、ガラステーブルに置いていた缶コーヒーが音を立てて床に落ちた。


「アンチボディズが襲撃してきたぞ!!」


腹の底に響くような爆発の音に、これは地震じゃないと把握した二人のもとに、銃を抱えたアルゴが駆け込んできてそう叫んだ。
すると直後、びゅおうと大きな風が起きて、一階の玄関が炎と共に吹き飛んだ。侵略者宜しくエンドレイヴが侵入してくる。


「隠れて!」


綾瀬が怒鳴りながら春夏を自分の車椅子に隠した。表情は一変し、先程までの柔らかなものから兵士らしい厳しささえ窺えるようなものになる。


「綾瀬!」


アルゴが投げたアサルトライフルを受け取ると、慣れた手付きで素早くセーフティを外しゴーチェ目掛けて発射した。
オペレーターだからこそわかるエンドレイヴの弱点のひとつである、目。連続的にヒットさせれば視界をぶらせるし、感覚共有しているオペレーターにもダメージを与えられる。


「隠れてろ!」


アルゴの声に振り向くと、避難してきた天王洲第一高校の生徒がそこにいた。治療室として使っていた部屋から逃げ出してきたためだろう。
無茶苦茶にライフルの弾を撃ち込むゴーチェ。これじゃまるで、殲滅だ。虐殺だ。人間じゃない、建物ごと除染してしまおうとでも言うのか。
壁が抉れ、手摺の破片が飛ぶ。アルゴは手にした巨大なライフルを構えて撃った。ゴーチェの頭にヒットし、装甲にぼこっと穴が開く。鉄の巨塊はのたうち回るように銃を乱射して、挙げ句の果てに壁や天井の瓦礫といっしょくたになって崩れ落ちていった。


「こっちに!」


綾瀬が春夏の腕を引きずるように強く引く。崩落に巻き込まれた葬儀社メンバーの一人が、獣のような鋭い悲鳴を上げて炎と煙の中に消えた。


「あいつは何してんだ!!」

「上にいるはずよ、一緒の方がいいって言ったんだけど」


アルゴが天井が吹き抜けになった上階を振り仰ぐ。
と、黒いジャケットをはためかせながら人間が一人、真っ直ぐ飛び降りていくのが目に入った。


「お、おいっ!!」


下は瓦礫とゴーチェでいっぱいだ。彼女はバレた≠ニ言っていたし、今更奴らにコンタクトを取ったところで反逆者として殺処分されるだけ。
あんな不用意に飛び込んで、無事な筈がない。そう思ったアルゴは、1階まで吹き抜けになっている廻廊へと飛び出すと、下を見下ろした。


しかし、飛び降りた少女──サーシェは、そこで奮然と独り、ゴーチェと対峙していた。
手にした拳銃の音が、断続的に鳴り響く。それはゴーチェのものと彼女のものとが入り交じった音で、そして見るからに優勢なのはサーシェだった。

生身の人間でありながら、鉄の巨人を相手に引けを取るどころか圧倒さえしてみせる。まさに、生きたエンドレイヴ。
死神サーシェの実力は、一目見ただけのド素人にも分かる強さだった。


ひとつひとつの弾の威力は小さいからこそ、俊敏にかわしながら要所要所に撃ち込むことで、機体の機関部を破壊して機体そのものを機能させなくしてしまう。
頸椎にあたる首の後ろに飛び乗り、連続して撃ち込めば、オペレーターへの負荷が大きすぎるため強制ベイルアウトが施される。そうすれば、ゴーチェはただの鉄のかたまりだ。

ゴーチェの背中を踏み台に跳躍し、再び2階へと舞い戻ってきたサーシェ。アルゴは言葉を無くす。


「逃げよう。ここも、もうもたない」

「あ…あぁ、わかってる」

「私、生徒の皆を誘導してくる。船に乗せていいよね?」

「あぁ、……任せた」


何処と無く不服そうな声音になってしまったが、サーシェは優しく微笑った。まるで分かっていたとでも言うように。

たたた、と駆けていったサーシェと反対方向に向かいながら、アルゴも手にしたライフルを発砲する。逃げ道があるうちに、綾瀬たちを避難させなければ。
葬儀社の連中は放っておいても自分で行動できる。唯一の懸念対象である生徒たちは、サーシェに任せておける。なら、自分がやらなければならないのは仲間の誘導だけだ。


綾瀬たちの元へ戻ると、ツグミと集の同級生たちも合流していた。ツグミは確か、このソウタとかいう少年の病状を確認しに行っていた。


「早いとここっから出るぞ!」


綾瀬とツグミと春夏、それに同級生の3人を連れて、アルゴが先頭になりながら施設内を走る。
しかし、煙に包まれたそこでは視界も悪く、行く手はゴーチェと猛る炎が阻んでいる。


「…だめ、誰とも連絡が取れない」

「戻るしかねぇ」

「でも戻ったら挟み撃ちに遭うよ!?」

「ならどうしろってんだよ!!」


極限状態での焦りが、煩わしさから怒りへと変わってツグミにぶつけられた。ツグミの驚き怯えるような反応にはっとして、アルゴはばつが悪そうに「すまねぇ」と口ごもる。

その時、不意に綾瀬が声を上げた。


「桜満博士!」


ケースを手にしている春夏の腕を掴んで、綾瀬は続ける。


「私にヴォイドゲノムを使ってください!
私は以前、集から立ち上がる勇気と力をもらいました…だから、今度は、自分で立ち上がりたいんです!
たとえ──それで涯と戦うことになるとしても」

「綾姉!」

「大丈夫、前から考えてたの」


春夏は綾瀬の目を見た。真っ直ぐな瞳は、本心からの言葉だと教えてくれるようだった。


「……わかったわ」


ケースを床に置き、ロックを解いて不気味に光るシリンダーを見つめる。
この子自身の意志とはいえ、自分は他人の命を左右しようとしている。そのことに一瞬躊躇して、春夏は手を伸ばしかけた。
その刹那、


「させませんよぉっ!」


声の出所を把握するより先に、目の前でケースが弾かれた。中のシリンダーは飛び出して、床を転がりそのままひしゃげたエスカレーターの段を転がり落ちる音だけを残して視界から消えた。

ヒビが入った柱の影からブーツを鳴らして登場したのは、先程セーフハウスにもやってきた嘘界だった。その手に握られた小銃はこちらに向けられたままで、口元は鮫の歯が覗くように三日月を描いている。


「製造されたアンプルは3つ。1本は失われ、1本は桜満集くんが使った。ならば最後の1本はどこにあるのか──私はずっと探していたのです。
やはりあなたが持っていましたか、桜満博士」

「………っ、」

「博士、それは私が頂戴します」

「手に入れて、どうするんですか」


この場にいるはずのない人物の声がして、全員が一瞬息を止めた。
カチャ、と銃を構えながら煙から姿を現したのは、生徒の誘導に向かったはずのサーシェだった。


「おま、なんでここに」

「皆連れて行ったら、ヤヒロたちがいないって言うから」

「すっかり正義の味方ですねぇ、サーシェ」

「嘘界さん。これは、大人が使っても死ぬだけの代物です。
あなたが手にしたところで、何も得はありません」


すると、嘘界はにいと更に口角を上げて笑った。


「私はね、見たいんですよ。あの不可思議かつ崇高な光を!きっとあの光の向こうには真理がある…そのためならば、私はなんだってしてしまうでしょう!」

「一生語ってなさい!」


すると綾瀬が不意に車椅子を走らせた。そのままエスカレーターに突っ込み、ぶつかると同時に手摺へダイブした。
追い掛けようとした嘘界をアルゴが撃つも、背後にスタンバイしていたゴーチェが自らの腕を盾にして嘘界を守る。嘘界はアルゴに一発くれてから駆け出した。頬を深く掠っただけだった。


「このおてんばさん!」


廻廊の縁へ駆け寄って発砲するが、エスカレーターのガラスに当たるばかりで届かないと分かるなり、彼は大胆にもそこから飛び降りた。急ぎすぎて足がもたついたのか、着地に失敗して床に倒れ込む。


「嘘界さん!」


いざ撃とうと思っても、相手が相手なだけに手が震えて指が動かなかったサーシェは、彼が飛び降りたそこへと駆け寄る。
見下ろしたそこでは、綾瀬がシリンダーへと手を伸ばしており、嘘界が腰元のナイフホルダーからクックリと呼ばれる奇妙な形のナイフを取り出したところだった。

せめてそれだけでも阻もうと銃を構えるけれど、クックリは撃った弾をすり抜けるような軌道で宙を飛び、シリンダーを遠くに弾いた。
嘘界の手に渡る前に、とサーシェもそこから飛び降りようとしたそのとき。


こつ、と、シリンダーが誰かの革靴に当たって止まったのが見えた。
サーシェはその場から動けなかった。見えたからだ。

それが、痩せこけ右腕を半分から先失って、変わり果てた姿の桜満集であると。




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