***




ぽっかりと、穴が空いたような心地だった。


見上げる天井は白く透き通っていて、天井どころか周囲の壁は全部強化ガラス。以前は隔離病棟であっただろうそこに、僕は放り込まれていた。


やることもなく、口を開くこともなく。
ここに何日何時間いるのかもわからない。時計もなければカレンダーもない。照明は四六時中同じ明るさだ。
拘束具でがちがちに固められて、歩くことはおろか起き上がるのも容易ではない。

ガラスに映った自分の顔は、未だひどく赤みが残ってはいるものの、腫れは引いたようだった。
銃撃によるフィードバックは、火薬の熱と、撃ち込まれる衝撃が幾分か和らいでその身に返る。和らいでいたとしても、その量が尋常でなければ本体の肉体にかかる負担も甚大だ。


空っぽの内側には、虚無感しか無かった。
何もない。閑散とした空虚。

僕は、何をしていたんだっけ。
嗚呼、そうだ。確か、感情に任せて上官≠セと宣うそいつを殺しに掛かって。
命令に忠実な他のオペレーターに総攻撃された結果、緊急ベイルアウトをされてそのまま意識をなくした。


最後の最後に、勝手をしたものだ。
もう、僕を庇うパパは──父はいない。だから我慢してたのに。

顔を知ってる奴もそういないけど、最近のアンチボディズには明らかに部外者が介入していたのには気付いていた。
アンチボディズの戦士は、仇敵を涯様≠ネんて呼ばない。服装さえ元の白服である人間はほとんど見なくなった。皆、何処かに連れていかれた。そして見送られたのだろう、死の縁へ。


なんとなく気がついていた。
多分、僕ももうすぐそうなる。
わけもわからないままに、反逆罪の名の元に処分される。

だからなんだっていうの。
もう、なんでもいいよ。

すっかりどうでもよくなってしまった。


もう、何がどうなったところで、僕には関係無いんだ。
何も持ち合わせはない。この空虚感の塊ひとつ擲ったとて、何の感情も湧いては来ない。


ふと、扉が開いて誰かが入って来た。食事の時間だろうか。


「やあやあ、どうも。久しぶりですね、元気ですか?」


違った。そいつは残り数少ない白服の人間の一人、気に食わないながらに僕の上官を務める男、嘘界だった。
嘘臭い笑みを浮かべながらひらひらと手を振ってくるそいつが、近くまで歩み寄ってくると僕を見下ろして言った。僕は、悪態をつく気力もなくただ一言、「別に」とだけ呟いた。


「拘束バンドでぐるぐる巻きとは、懐かしい光景ですねぇ」

「……懐かしいって」

「まだ言うことをちゃんと聞けなかった頃は、サーシェもこうして独房に転がされていたものです」

「……………、

誰の話?」


僕が率直にそう答えれば、きょとんと一度表情を崩して、ふむ、と考えるような仕草をして見せた。


「それはどういった意向の変化です?」

「何言ってんの、別にどうもしてないけど」

「おやおや…成る程そうですか、そういうことですか」

「何の用だよ、スカーフェイス=v

「嫌みはしっかり覚えてるんですねぇ」


歯を見せてにやりと口角を上げた奴は、指を立てて言う。


「ポイント1!」

「何が」

「これで陰で言っていた分も合わせて7ポイントです。10ポイントでもれなく死を差し上げるところでしたが………残念。有効期限が切れてしまいました」

「あんた、馬鹿?」

「自分を利口だと思っている連中よりは、ずっとましだと思いますけどね」


面会者用の椅子に腰掛けながら、くすくすと笑って肩を震わせる嘘界。
その椅子に座るのはこいつが初めてだった。あのお節介は来ない。別に来なくていいけど。


「というわけで、貯まったポイントを還元してさしあげに来たんですよ」

「はぁ?」

「……貴方、死刑です」


にんまり顔で微笑うそいつは言った。
分かっていた。予想もしてたし、諦めていた、というか…なんとも思ってやしなかった。

そっか。僕死ぬんだ。
おしまいなんだ。……そっか。


ただ、それだけ。


「ちなみに、ローワン大尉も同罪で死刑です」


ぴく、と身体の芯が震えたのを感じた。
空っぽだった場所が、じん、と痛む。


「な、なんだよそれ!なんでだよ!
命令を無視したのは僕じゃないか、何であいつが同罪なんだよ!」

「それはもちろん、上官だからですよ。上司というのは部下の責任を取るために存在しているんです。
貴方の暴走を抑えられなかったんですから、当然でしょう」

「ふざけんな!」


なんで僕は、怒っているんだろう。わからない。
わからない、けど。空っぽの其処が、じくじくと痛んで、強く叫ぶ。そんなの駄目だって、訴える。

椅子に腰掛けたまま嘲笑うように見下ろしてくるそいつに対抗するように、飛び起きるようにして上体を起こした。


「僕が勝手にやったんだ!あいつはそれを邪魔しようとしたんだぞ!記録にだって残ってるはずだ!」

「そんなことは関係ないんですよ。経緯はどうあれ、君は反逆し、大尉は君の上官だった。それが全てです」

「じゃあ、あんたはどうなんだよ!あんたは長官だろ!?言ってみれば僕たち全員の上官だ!僕の不祥事の責任っていうなら、あんたにだってあるだろ!」

「ええ、その通りです。
だから私はここを出て行くんですよ。辞職しました。直接貴方を見ていた大尉と比べれば、妥当なところでしょう」


僕は唇を噛んだ。

なんだってこんなに反意を示しているのかは、自分でもわからなかった。
だけど、僕の奥の奥で疼く痛みの根源が、あいつは死んじゃダメなんだと叫んでる。

だって、誰かが。

誰かが、あいつを大事にしてた。
それは、空っぽになる前の僕かもしれないし、他の誰かかもしれない。
わからないけど、だけど、だから、あいつは違う。死んでいいはずがない。


「そこでポイントの還元です」


不意に嘘界が言った。得意気に笑う姿はやや腹立たしいが、僕は黙って続きを待った。


「置き土産に、私はひとつ取り引きをもぎ取ってきました。それを君が飲むなら、ローワン大尉の死刑は撤回されるでしょう」

「………なんだよ、取り引きって」

「これです」


絶望的と思えた状況を打開する条件が提示されたことに、僕は痛みが疼くのを感じた。
何処にあるのかもわからない傷が、僕を奮い立たせる。


「拠点攻略戦用大型エンドレイヴゲシュペンスト=B次代のエンドレイヴとして開発されたものですが、重大な欠陥がここにきて見つかりましてね」

「欠陥?」

「ええ。肉体を挟んだ間接リンクでは、感応値が低くてまともに動かないんですよ。一応、解決の方法は見つかっているんですが…被験者がいないんですよね」

「………方法ってなんだよ」


睨み付けるように奴を見た。
顔を見せないようにするかのように、嘘界は立ち上がると僕に背中を向けた。


「直接リンクです。パイロットの脳に端子を埋め込んで、ゲシュペンストと接続して操縦するんです。
まさしく一体!ゲシュペンストの電脳となるわけですよ!」

「………部品になれってことか」

「まあ、そういう言い方もできますね」


振り返った嘘界の顔から、笑みは消えていた。

なんだ、そういうことか。
大したことじゃない。あんまり覚えてはいないけど、昔はエンドレイヴの根っこであるゲノムレゾナンスプログラムの研究開発にだって携わったことがある。慣れっこだ。


「そいつを引き受ければ、ローワンは罪に問われないんだな?」

「それは保証しますよ」


誰かのためじゃない。
僕の気晴らしのためだ。

そうだ、これは、僕の意志だ。


「やってやるよ。言っとくけど、別にあいつのことは関係ないからな!あんな戦いが僕の最期であってたまるかって…それだけだ」

「ふふ。では、そういうことで」


楽しそうに携帯を開いておもむろに電話をかけ始めた嘘界。
簡単に用件を伝えると、ぱたりと携帯を閉じて、また僕を振り返る。


「まぁ、確かに貴方が気に病むのも理解できなくはないですが」

「……何?なんかまだ用?」

「そうですねぇ、私としては、逃げるなら自分も誘ってほしかったとは思います」

「!」


ひどく抽象的で、具体性のない話題を振られて眉をひそめていると、その言葉に途端に怒りが込み上げてきた。
込み上げてきたそれは、怒りであり、そして───喪失感。



「そのままでは、きっと後悔しますよ。
貴方も、彼女も」

「………出てけよ」

「はい。では、お邪魔しました」


案外すんなり独房を出ていった嘘界。
また僕以外誰もいなくなったそこは、得体の知れない何かでいっぱいいっぱいになったようだった。


ここで問題です。
この得体の知れない何かとは、なんでしょう。






多分それは、僕から抜け落ちたもの。

思い出も、想いも、伝えたかった言葉も。
全部全部、僕はここに、置いていく。





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