あの頃の僕は10年後なんて遠いようで目と鼻の先にあるような曖昧な未来、これっぽっちも思い描いていなかったけれど、僕の傍で飽きもせずににこにこ笑ってた少女は、簡単に「2年後、3年後、こうだったらいいな」と口にした。
気付いたら10年なんてあっという間で、それまでに何度か彼女は「思ってたのとちょっと違ったかも」と肩をすくめて笑って、「でも今も十分楽しい」なんて言って。呑気なやつ。


イタリアンマフィア・ボンゴレファミリーの花の守護者なんて長ったらしく似合いもしない肩書きを背負っても、へらへら笑ってみせた。周囲の人間は「裏社会に置いておくのが勿体無いくらい花になる笑顔だ」と言って褒めそやし、その度に調子にのって僕に自慢してくる。
突然勢力を大きくしてきた敵対マフィアとの抗争で、ボンゴレ狩りが進行する穏やかでない日々の渦中にあっても、彼女だけは不安も恐怖も素知らぬ顔して努めて笑顔だった。きっと大丈夫、また乗り越えられるって根拠もない自信で、女子供に限らず、ファミリー幹部の男共までその勢いで元気づけた。

顔に似合わず肝っ玉な僕の婚約者は、10年前とほとんど変わらない幼さすら残る笑顔で、新婚旅行の行き先はどこ其処がいいだの今度の記念日は早く帰って来いだのと、空気の読めない呑気な言葉を並べ立てた。
ボンゴレの人間の棺が増えていくのを見て流石に少し静かになった彼女だけれど、僕が問う前に「入籍も結婚式も新婚旅行も、この抗争がぜんぶ終わるまでとっておこうね」と言って笑った。未来に楽しみが無くなったら毎日がつらいから、だと。仕様のない強がりだ。よく知ってる。その日は彼女のかかりつけ医の葬儀だった。半分カタギであるその人もまた、ボンゴレ狩りの犠牲者だった。

水湖医師が告げた期限の10年が経ち、僕の婚約者はもう掠れた声でしか話せなかった。水湖医師が死んだ今、声帯摘出手術はその元助手が請け負うことになり、医者のいるイタリアに渡らなければならなかった。翌日中国に用のあった僕は同伴できず、ボンゴレ本部に身を寄せるから大丈夫と微笑む彼女を見送った。敵本拠地のあるイタリアが安全なはずない。それなのに彼女は、すぐ戻るからと軽い足取りでチャーター機に乗り込んだ。

それきり、僕の婚約者―ー南羽無は行方不明だ。


一週間で帰ると告げて出て行ったくせに、一ヶ月経っても見つかりやしない。ボンゴレ狩りは収まらないどころか加速し、毎日のように犠牲者が増えていく。誰もがもしやと危惧した。任務を放り出してでも探しに行こうとする僕を、捜索隊を派遣するからとドン・ボンゴレに諌められて渋々仕事の合間に情報を集めていた。手空きの守護者達もまた、彼女を探した。それでも行方は掴めず検討もつかなかった。
気に食わない霧の守護者が敵部隊長の猛襲に遭ったと聞いてまだ日の浅い頃、ミルフィオーレと戦闘した部隊から情報が入った。
「南羽無はミルフィオーレにいる、」
拉致されたものだと皆が皆思った。信じて疑わなかった。
「ホワイトスペルの制服を着て。」
だから、その場でボンゴレの人間を3人殺めたという話に、誰もが耳を疑った。

10年共に過ごしてきた守護者達は一様に信じられない様子のようだった。きっと何かの間違いだ、洗脳されていたのかも、脅されていたのでは。花の守護者の”喚起”の能力は大抵の属性と相性が良いし、軍力増加のためにいいように使われてるのでは。彼女を擁護する者がいる一方で、イタリア本部の老人達は花の守護者が離反するなど縁起が悪い、もうボンゴレはおしまいだ、などと口々に言った。ボンゴレの繁栄の象徴とも呼ばれる花の守護者の存在は、ただそれだけで周囲を勇気付けていた。
それもこれもジャッポーネがボスの座についたから、と囁く輩も多い中、羽無の離反についてドン・ボンゴレが降した勅命は、「発見し次第抹殺せよ」。仲間に手を下された以上、けじめをつけるしかない。苦肉の策だった。これ以上ミルフィオーレが力をつけたら、もう手の施しようがなかった。

羽無はそこいらの弱者にやられるほど弱くはない。何せこの僕が稽古をつけてある。運動神経の悪い羽無に近距離戦術を叩き込むのは骨が折れたよ。かといって余所者に横取りされるのも癪に触る。僕は、誰よりも先に羽無を見つけ出すべく飛び回った。
しかし花は園の奥深くで大事に隠されているようで、滅多に敵地から出てくることは無かった。単身乗り込んでも、辿り着けるかどうか。だから僕は、沢田達に協力してミルフィオーレを潰す処から手を付けることにした。


沢田綱吉から呼び出しを受けて、彼の私室へと足を運ぶ。おそらく“例の計画”に向けた最終調整だ。僕がずっと話したかった人物がいる。足早に向かい、そのまま扉を開け放った。

「会いたかったよ入江正一」

いきなり胸ぐらを掴まれても動揺しない。分かっていたのだろう。ふいと視線を逸らすそいつに、僕は問い掛けた。

「羽無がそっちに行くのは計画のうちだったかい?」
「いえ……僕も混乱してるんだ、羽無さんは突然やって来て、その……白蘭さんに会わせろと」
「へぇ」

僕がさらにきつく締め上げると、藻掻くように彼は応える。

「本当です!身を隠せって言ったのに真っ向からやって来ると思わないでしょ?!」
「……君、それ羽無に直接言ったの」
「あなたが必要ないって取り合わなかったんじゃないか、自分で守るからって……!言ったはずです、白蘭さんはパラレルワールドであなたを殺してでも羽無さんを奪いに来たって!あの人の執着心は並大抵のものじゃないんだ!」
「正一君、それくらいで」

入江がヒステリックに喚き立てるのを沢田が諌めた。彼がここにいる事は誰に知られてもいけない。僕も苛々は収まらないものの、そこで手を離した。

「羽無さんを手に入れた今、白蘭さんに慎重になるだけの理由は最早無い。だからこそこの計画を迅速に進めなければ」

「その為には、まず確実に"沢田綱吉は死んだ"と、彼らミルフィオーレに示したい。そこで、ツナ君を打つ銃をすり替えなきゃいけないんだけどそれをどうするか……」入江が呼吸を整えてから続けてそう言葉を紡いだ時、部屋の扉が開いた。敵将である筈の男の顔を見て目を見開くのは、沢田葵。沢田綱吉の親戚であり、羽無が友人と呼ぶうちの一人。
彼女は入江が此処にいる理由ではなく、計画の内容について問うた。
物分りのいい彼女は、羽無がいなくなった時も僕を問い質すでもなく「羽無は最後何処に行くって?」とそっと訊ねた。ボンゴレの血がそうさせるのだろう、沢田綱吉と同じく「嫌な予感がする」と言って。

10年前の僕らを呼び出して、白蘭と戦わせる。非常にリスキーで、最早賭けに近いその内容に、もどかしそうに頭を掻きむしってから固く目を瞑って強く頷いた。
ボンゴレ中の反感と失望が向けられることも覚悟の上で、“架け橋になる”と宣言した葵。沢田は「任せるよ」と薄ら笑みの仮面を外さない。けれどひしと握られた拳が、彼の優しさも悔しさも何もかも表していた。

「恭サン!ぜったい羽無奪い返しましょうね!」

ひとつ深呼吸をした葵が、くるりとこちらを向いて言い放った。隣の沢田と入江が目を見張る。

「結婚式で私に向けてブーケトスしてもらうって約束は守ってもらわないと!」
「……葵、それホントに頼んだの?」
「モチのロンよ!結愛も架埜も結婚秒読みなのに私だけ相手いなくて寂しいったら……綱吉も早いとこプロポーズしないと、誰かさんみたく他の男に取られちゃうよ?」
「いい度胸してるね葵さん……」

突拍子も無い呑気な話題に、思わず鼻で笑う。
そういえばブライダル雑誌をこれみよがしに広げて、そんなことも言っていた。ウェディングドレスのほうが自分の髪色に合うだろうけど、角隠しを被って神前式もオツだなぁ、とかなんとか。頭に咲いた花も満開の我らが花の守護者は嬉しそうに、にこにこページを捲っては明るく楽しい未来を口にした。

「当然」

そう短く返した僕に、昔から変わらずにやりと不敵に笑うはずの葵の顔は、くもりがかって頬が引き攣って見えた。
今のボンゴレはどこもかしこもそうだ。沈鬱で何処か諦めにも似た表情。現状を打破しようと藻掻く奴らの上がり切らない口角。造花みたいに散らばる顔は虫唾が走る。


“雪はね、痛みを柔らかく受け止めて、悲しみに嘆く声も消して癒やしてくれるの”

いつだったか彼女が言っていた。

“追い風は人々の背を押し、時に向かい風となって試練を与え成長を促す。
虹は空と大地を結ぶ架け橋。どんなに苦しいときも、空を見上げて前を向くための道しるべになる。

でもね、雪だって冷たくて凍える時もあるし、追い風で前のめりになって足を踏み外すかもしれない。向かい風に耐えるのに疲れて座りこむかもしれない。苦しすぎて這いつくばる人には、虹なんて見えないかもしれない”

“ファミリーを癒やし、その想いで守り繋ぐ花となる”。花の守護者の使命を体現することはとても容易ではない。
存在するだけで周囲を心強くさせる。その答えに行き着いてもなお、その難しさに羽無は幾度も苦悩し時には歯を食いしばって涙を堪えていた。

“だからね、あたしは花になるの。雪の中で春を知らせる温もりに、追い風にも向かい風にも負けず根を張って。ほら、どんなに目線が低くても花は見えるでしょ?桜くらい大きかったら、舞う花びら追い掛けた先で虹も見つけられるかも!”

“おっきくてあったかくてたくましい花になるんだ。そんでね、みんなの中にも花を咲かすの!そうやってね、あたしの手の届かないところにいる人にも、笑顔と勇気を分けてあげられたらいいな”

あの負けずぎらいが、根負けして退場どころか周りの花をしおらせるような事、望んでする筈無い。
また一人で背負い込んでるに決まってる。踏み付けたら簡単に散るんだよ、花なんて。
10年一緒にいて、それでも打ち明けられない事なんてざらにあるだろう。だから問い質したりはしない。その代わり、10年前とおんなじようにまた捕まえに行くだけさ。



1/2

[prev] [next]



 back