機械の裏蓋を取って、若干緊張しつつバッテリーのようなものを嵌め込む。何も変化がないことを目で耳で観察、確認する。
「……電源ボタンは、これかしら」
一見林檎のように見える、電源マークのついたボタンを押してみた。
電話の受話器が置かれているマークも一緒についているそのボタンを、今度は長押ししてみる。
…と、小さな画面に電気が通り、パッと明るくなった。
「……ぅ、わっ」
電源の入ったその機械はやはり電話機だったようで、画面には着信あり≠フ文字。
しかもそれが、20件近くだと表示されているから驚きだ。
「……送り主がストーカーとかだったら、どうしよう…」
私は若干寒気を覚えながら適当にボタンをいじった。すると、不在着信の相手番号が表示される。
最初から最後まで変わらない番号。だが、当然ながら知らない番号だ。気味が悪くなって全削除した。
「……はぁ…」
やっぱりいじらなきゃ良かったわ。
もう一度電源を切ろうとしたその時、
プルルブツッ
思わず切ってしまった。
いや、私は悪くないわよ、たまたま指が電源ボタンのとこにあったんだもの条件反射よしょうがないじゃない!!
なんで電話切るボタンと電源ボタン一緒なのよ!!すっごい気まずくなるじゃない!!…って、相手がかけ直してくるとも限らプルルルルルうわぁぁああかけ直してきちゃったよ!!出なきゃかなこれ出なきゃかな!?
無機質に鳴り響く着信音に、私は困惑と焦りの気持ちを抱えながらもボタンを押して電話に出た。
「…あ、あの…、どちら様ですか…?」
…………
……………え、無言電話?
ちょ、これ本気でストーカーなんじゃ…、嫌だよ私嫌だよ!?
「あの…っ、お話なさらないなら、切りますけど…。も、もしも『僕だよ』し…、…は?」
硬直した。
え、だっていま、
すごく、
すごく懐かしい声が、した。
『…君さ、届いてから何日間放置してるの。僕に何回掛けさせる気だい?』
「…………ぇ、…」
『…ちょっと。聞こえてる?』
声が掠れた。
あらう、でぃ?、と。
「聞こえ……てる、」
『………』
「聞こえてるよ……ばか」
『………泣くなよ…』
「…っ、泣いて、ないよっ…!」
『……ふぅん?』
聞こえる。
こんなちっぽけなプラスチックの塊から、聞こえるよ。
ずっとずっと聞きたかった声が。
ねぇ、
私の声も、聞こえてる?
音だけの筈なのに、誤魔化せないなんて。
嗚咽を我慢してるから息が時々つまるけれど、
この頬を伝うしずくは、貴方に見えていない筈なのに。
ぽろぽろぽろぽろ、溢れてきては止まらない。
「っ大体!あんた、何年間私のこと待たせたと思ってんのよ!!何の音沙汰もなしに急に居なくなって…っ、」
『…………うん、』
「うん≠カゃない!!」
『…………』
「………心配っ、した…!!」
ごめんとも言わない電話機の向こう側。
悔しい、やっぱり好きだったのは私だけだったのか。
私はいま、声を聞けただけでもこんなに愛しさであふれて仕方がないのに。
ずぅっと忘れていた恋しい°C持ちは、今更甦ってきたってもう、届かない。
「……なんでこんなもの、送ったのよ…」
『………みの、』
「…?、なに、声が小さくて聞こえない」
『………』
「……アラウディ?」
『………きみの、』
「………」
『声が聞きたくて』
言いたいことは、まだまだたくさんあった。
勿論、それはこの3年間についての問い詰めだけじゃなくて、
私が寂しかったことも、
ずっとずっと恋しかったことも。
けれど、
もう、それを聞けただけで、
私は満足です。
『…ねぇ、』
「……ん、」
『……男、出来た?』
「…………出来た」
嘘、ねぇ嘘よ。
いるわけないじゃない、3年も放置した貴方にお仕置きとちょっとした悪戯よ。
どうか本気にしないで、良かったなんて言わないで。
『そう。……良かったよ』
私は声が出せなかった。
『じゃあ、この電話が終わったら、それ、捨ててね』
ぎゅ、と電話機を握り締める。
やだ、やだよアラウディ、
『その男に、ちゃんと幸せにしてもらいなよ』
待って、もう
置いていかないで
「嘘よっ」
噛み締めた唇が痛い。
私は無我夢中で喋った。
「男なんていないわ、いるはずないじゃない…っ、ずっと、ずっとよ、3年間ずっと貴方のこと待ってたんだもの!!」
『………』
「アラウディが…幸せにしてよ…っ!!」
もう隠す余裕はなかった。
ぼろぼろ、品も何もないわこんな泣き方。
でもだって、それくらい私は必死だった。
カッコつけて後悔するくらいなら、惨めでもいい、貴方との何かを繋ぎ止めておきたかった。
『まったく……君は昔から素直じゃないね』
聞いたことあるわ、
この声色は、貴方が柔らかく微笑いながら話すときの声。
『僕じゃ幸せに出来ないから、別れようと思ったのに』
「これじゃ台無しだよ」
やけに声がリアルに聞こえて、目を見開く。
それからガチャリ、鍵の開く音。リビングの扉が開いて、見覚えのあるクリーム色のふわふわ頭が顔を出す。
「玄関の鍵を閉める癖がついたことに関しては誉めてあげなくもないけどね」
おんなじ型の電話機を手にしたアラウディが、そこに立っていた。
私は電話機をかしゃん、と落とすと同時に立ち上がる。
喜びと不安でいっぱいでそのまま動けないでいると、彼は電話を切ってスーツのポケットにしまうと、ゆっくりと歩み寄ってきた。
刹那、懐かしい匂いに包まれる。
「……ごめん」
「……っあらう…でぃ…っ!!」
「3年も、待たせたね」
「遅い…っ」
「うん、……ただいま」
「……おかえりなさい…!!」
ぎゅう、と抱き寄せられる。
負けじと抱き返すと、優しく抱きすくめられて、また涙が溢れて止まらない。
「ごめんね」
ねぇ、愛されてるって思っていい?
この気持ちは通り過ぎずに繋がってるって、そう思ってもいい?
「仕事でどうしてもこの国を離れなきゃならなかったんだ。…また何年もこの国を空けることになる、だから今日は別れを告げに来たんだ」
「やだよ、別れたくない」
「…僕じゃ君を幸せに出来ない」
「私はアラウディじゃなきゃ幸せになれない!!」
「……くすっ…、相変わらず、困った子だよ」
「嫌だよアラウディ〜…」
「僕と来るかい?」
駄々っ子のようにぐずっていると、アラウディは真剣みを帯びた声音でそっと問う。
即答できない私ではない、返事は勿論、
「行く!!」
守ってね、と微笑えば、もう逃がさないから覚悟しなよ、と彼も微笑った。
愛はプラスチックの塊で
(ずっと待っていてくれて、)
(ずっと好きでいてくれて、)
(ありがとう)
fin.
《Contemporary》様提出作品
20世紀初期にはまだ携帯電話と呼べるものは存在しなかったようです。
古い型のパカパカもしないやつをイメージしていただければと。
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bkm