「ん……」
目を覚ます。
と、
「………。」
距離わずか10p、端正な顔に流れるような線を描く目を縁取る睫毛が陰を作る。
すやすや、わたしをその腕で包み込むように抱いて眠る眼前の彼。
初夏のまだ肌寒いくらいの早朝に、低体温の彼の温もりはちょうどよくって、心地よかった。
「おはよ、恭くん」
「………」
すやすや。声をかけても規則正しい寝息は続いたままだ。
おかしいな、いつもならわたしが起きる前に起きて、狸寝入りしてるのに。
ここのところ任務続きだったからかな、疲れてたんだね。
風紀財団のお仕事とボンゴレのお仕事とで海外飛び回ってたし。
わざわざ本部から家まで帰ってくるのも時間かかって大変だから滅多に帰って来ないし…、こうしてゆっくり眠るのも久しぶりだろうな。
このままもうしばらく寝かせてあげよう。
わたしは朝食の支度でもするかな、と思いベッドを出ようとした時だった。
ぎゅう、やんわり、でも確かに抱きすくめられる。
「恭くん?…起きてた?」
「…今起きた…」
「ごめん、起こしちゃったか。もう少し寝てていいよ、わたしご飯の用意してくるから」
「いらない」
「え?」
「あとででいい。…から、もう少し、このまま…」
ぼんやり開かれた黒曜石のような瞳に、いつもの煌めきはなくて。まどろみで包まれているみたいだった。
さっきまで眼前にあった彼の顔が、すすす、と下へ移動する。
わたしの胸元に鼻先を擦り付けるようにして甘えてくる恭くんに、頬が思わず緩んだ。
「恭くん、おかえりなさい」
「ん……。ただいま、」
「疲れたんでしょ」
「うん」
珍しい。
意地でも弱音を吐かない彼があっさり疲れただなんて。
(まぁ実際は言ったんじゃなくて肯定しただけなんだけどね)
わたしの腰回りに腕を絡めて擦り寄ってくる彼の頭を撫でてあげた。
柔らかくてちょっと癖のある髪。前はもうちょっと短かったんだけどな。大分伸びてきてる。
それだけ忙しくて身嗜みにかける時間もなかったんだろうと思うと、ただひたすら労って甘えさせてあげたくなった。
でも、髪が伸びたことで昔の恭くんに似た面差しになっていて、ちょっと懐かしいな、なんて。
「ねぇ、名前」
「うん?」
「もっと」
「…何を?」
「……撫でて。今の、気持ち良かったから」
「いいよ」
頭を上から撫でるというよりも、髪と髪の間に指を滑らせて鋤くようにして撫でてあげる。
甘えてくる猫みたいに、今度は頬を擦り寄せてきた。
小さく深呼吸してる恭くん。
いつもはカッコいいけど、今日は可愛いなぁ。
「………っはぁ。んー…」
「ふふ、今度はなーに?」
「…名前の匂い…久しぶり。落ち着く…」
「そう?ありがと」
「仕事で女に会うのはもうごめんだよ…特にボンゴレの仕事。ケバいし臭いし最悪、色仕掛けとかもう散々」
「………そっか」
「あ、安心してね。浮気なんて死ぬまでしないから」
「……はは…、ありがと」
色仕掛け、ねぇ。
やっぱり裏のお仕事だとそういうのも普通なんだなぁ。
わたし、敢えて言うのもなんだけど、色気ないからな…。
恭くんとは中学からの付き合いでもう10年も一緒だし、恭くんがそういうのに惹かれないでわたしのこと一筋で好いてくれてるのも知ってるから、あんまり考えないようにしてるけど。
会えない時間の方が長くなっちゃうと、少し不安になる。
その代わり、こうやって帰るのが久々になるといっぱい愛情注いでくれるから、嬉しいんだけどね。
本当はいつも恭くんがいなくて寂しくてつまんなくて、時々泣いちゃったりもするけど、それは恭くんには秘密。
「そういえばね、昨日綱吉くんから電話があったの」
「…沢田?なんか言ってた?」
「えへへ、うん。お祝いされた」
「お祝い…?」
「だから二人ゆっくりしてね、って。恭くん一週間お休みだって」
「そう」
恭くんは今日がなんのお祝いの日なのか覚えてないみたい。
ちょっと残念だけど、わたしにとって恭くんと一週間も過ごせる方が嬉しくて大事だから許してあげようと思う。
それに、今は寝惚けてて頭が働いてないだけかもだから、後でちゃんと思い出してお祝いしてくれるだろうし。
「報告書は昨日出したし…本部には顔出さなくていいかな」
「そうなの?じゃあ本当に二人きりでゆっくり出来るんだね」
「ふふ、うん」
「久々だなぁ、恭くんのお休みに二人きり!」
「そう?僕休みは全部君のためにしか使ってないつもりなんだけどな」
「でもいつもはなんだかんだでボンゴレの人に会ったりして二人きりじゃないじゃん?」
「じゃあ今回はずうっと家で過ごそうかな…」
「一日くらいデートしようよ」
「ん、それもいいね」
「ふふ…楽しみだなぁ、」
「邪魔が入らないように君といるときは携帯の電源切っておくよ」
「そこまでしなくても」
「いいの、名前が最優先」
あー、幸せだなぁ。
会えない時間の方が長いけれど、会えればあったかくて幸せだからやっぱり恭くんが大好きなんだ、わたし。
「ねぇ恭くん、今日が何の日か覚えてる?」
「………?」
「あ、ひどい。わたし泣いちゃうよ」
「ごめん、泣かないで。…でもごめん、ちょっと思い出せない」
「思い出してくれるまで教えてあげない」
「えー…名前のいじわる」
「恭くんが悪いんだもん」
「……教えてくれないなら、教えたくなるようにするまでだよ」
「え、…んっ」
ぎしり、スプリング音がやけに耳に響く。
わたしを抱き締めて頬擦りしていたはずの彼は今、わたしを仰向けにさせてその上を馬乗りするように覆い被さってきている。
近付いてきた顔に目を瞑ると、耳に感触。唇で左耳を啄むようにやわやわと縁をなぞられて、僅かに声が漏れた。
唇の柔らかい感触から一変、耳朶を甘噛みされる。また漏れる声、ピクリと跳ねる身体。そういえば、恭くんとこういうことをするのも久しぶりだった。
「ゃ、」
「…ね、教えて?名前」
「んん…っ、やだっ」
「お願い」
「やー…、自分でっ、考えてってば…ひゃっ!?」
耳元で、わざと癖のある色っぽい声音で囁かれて、恥ずかしいような、むず痒いような気分になる。
恭くんの声はなんだかセクシーだ。耳元で名前を呼ばれると、きゅんとしてしまう。
おねだりの言葉と一緒にぬるりと生暖かい感触が左耳を襲う。舐められた。
それから執拗に舌で耳を刺激してくる恭くん。わたしはその独特の感触にくらくらしてしまって、情けない声ばかり漏らしていた。
耳だけでは物足りなくなってきた恭くんの左手がわたしの胸元をまさぐり始める。朝から恥ずかしくて止めさせようと彼の手首を掴んだ、その時だった。
……くーぅう…。
「「………………。」」
一瞬の沈黙。
すると視界の端に映る恭くんの耳が真っ赤になった。
顔を見られないように、と上からぎゅうぎゅう抱き締められる。
わたしははははっ、と少し笑って、それから恭くんの頭を撫でた。
「お腹すいたね」
「…………」
「ご飯にしよっか」
照れ隠しに恭くんは、わたしを抱く腕の力をほんの少しだけ強めた。
「朝とお昼とで一緒にしちゃってもいいよね?」
「ん」
わたしがご飯を作っている間、恭くんはややつまらなそうに新聞を広げていた。ちなみに英字新聞。
恭くんがいない間朝はいつも軽めにシリアルとかで済ませるか食べないかしていたから、起きて一番の料理がこうもしっかりしたものになるのはかなり久々だ。
恭くん朝は和食って譲らないしね。ちょっと時間かかっちゃうけど、お味噌汁と焼き魚にお米のご飯でいいかな。
「恭くん、お味噌汁は何がいい?」
「ん…いつもの」
「はーい」
いつものお味噌汁、とは、豆腐に油揚げ、それから大根が具のやつだ。
昔葱はむにゅっとなって上手く切れなくて、代わりにお野菜で入れたのが大根だったっていうだけの話なんだけど。
初めて彼に作ったお味噌汁だったものだから、気に入ってくれてよく作るようになった。
鯖の干物がちょうどあったから、塩焼きにすべくグリルへ。
恭くんお魚の食べ方上手なんだよねぇ。
鯖を焼いている間にお味噌汁を作り始める。
お鍋にお水と鰹だしを入れて、風味が出るようにだしをとる。その間に具の下拵えをしようと油揚げを切っていたら、
「、痛っ」
……やっちゃったよ。
包丁で左の人差し指をぱっくり。血がじわじわ出てきて、痛みも比例するように増してきた。
あー…、絆創膏貼らなきゃ…。
相変わらず滑る具材の調理は苦手だなぁ。
するとわたしの声を聞き付けた恭くんが大丈夫?とキッチンに入ってきた。
切ってしまった指を流水で洗っていたら、恭くんがわたしの左手をとって傷口を確認する。
「うわ、結構深く切ったね」
「うん、痛い」
「…葱の次は油揚げかい」
「…ごめんなさい。油揚げが血染めに…」
「洗えばいいでしょ、そっちは。まったく…」
「ん、」
言うや否や、わたしの人差し指をぱくり、くわえる恭くん。
ぬるりと傷口を舐められ、ぴくりと肩が跳ねた。
それから舌先で傷口を行ったり来たりして、綺麗に舐められた。本人消毒のつもりなんだろうけど、これ結構恥ずかしい。
ちょっと待ってて、そう言うと恭くんはキッチンを出ていって、少しして戻ってきた。絆創膏を手にして。
この年齢で絆創膏貼ってもらうっていうのも…なんだかなぁ。嬉しいんだけどさ。
「はい」
「ありがとう、…あ!!お魚!!」
「……」
「…っと、セーフ!!焦げてなかった!」
「そう…」
***
出来上がった朝昼兼用の食事を、向かい合わせの席で食べる。
誰かと朝を過ごしたのなんて、いつぶりかなぁ。ほくほくしたあったかい気持ちになる。
美味しい?と聞けば、うん、と返ってくる幸せ。またすぐに聞けなくなってしまうから、噛み締めておかなければ。
「ねぇ、名前」
「うん?」
ごちそうさま、と箸を置いて手を合わせたあと、恭くんが口を開いた。
わたしは食べるのが遅いから、ご飯をもぐもぐさせながら口は開かずに声だけ出して返事をした。
「今日で僕ら、付き合って10年だね」
「あ、やっと気付いた」
「ごめん、今思い出した」
「って言っても、ここ3年は恭くんが仕事三昧でちーっとも一緒にいられなかったけどねー」
「……ごめん」
「ううん、仕方ないことだししょうがないよ」
ごちそうさま、わたしは手を合わせた。
食器をキッチンに運んで、流しで洗い始める。
手早く済ませると、玉露を淹れた湯飲みをダイニングテーブルの上に出す。
お茶の淹れ方も、昔に比べたらずっと上手く出来るようになったと思う。
「……ねぇ、名前」
「なーに?」
「お茶、美味しい」
「ありがとう」
「…10年もすると変わるね、君も…僕も」
「ふふっ…そうかな」
ことり、恭くんが湯飲みを置く音。
わたしも席についてお茶を啜る。
「もう同棲して5年だね」
「案外早いね」
「あたしも24か…」
「……ねぇ」
「なーに、恭くん。今日はお喋りだねぇ」
「結婚しようか」
「んぐッ」
噎せた。
危うく玉露茶を吹くところだった、危ない危ない。
ちょっと、大丈夫?とわたしの顔を覗き込んでくる恭くん。
大丈夫、と微笑えば、そう、と返してくれた。
「け、結婚…?」
「うん。いい加減にね」
「え、え、ちょっと待って」
「なに、嫌?」
「全然嫌じゃない、けど…」
え、どうしよう。
やばい。ほっぺが熱いや。
俯いて目をぱちくりさせているわたしに、恭くんがくすくす微笑う。
ガタリと椅子を引く音がして、俯いた視界に彼の足が見えて、次に覗き込んでくる彼の顔が見えてどきりとした。
「照れてるの?」
「て…っ、てーれーてーなーいー」
「ふ…、そういうところ、変わってないね」
「照れてないもん」
「うん、分かった分かった」
「なんか子供扱いだし…」
「クスッ…可愛い」
ちゅ、と頬にキスをされる。
恥ずかしい、恥ずかしい。
そのままちゅうと唇に吸い付いてくる恭くんに飛び付いて思いっきり抱き締めた。
「ねぇ、子供は何人がいいかな」
「え…、」
「結婚するなら欲しいでしょ?子供」
「………っ」
「ふふ、真っ赤」
「ばか…!」
「僕は二人欲しいかな、男の子と女の子一人ずつ」
頑張って産んでね、お母さん。
耳元で囁かれたら、頷くしかないじゃない。
「結婚早々子作りってのもいいかもね」
「……お手柔らかに頼みます…」
「いっそ先に作ってもいいけど」
「恭くんそんなに子供好きだったっけ…?」
「君との子だから早く欲しいんだよ」
きっと君に似た可愛い女の子と、僕に似た凛々しい男の子が産まれるよ。
家族が出来たら、少しは帰ってくる日も増えるの?と小さく聞けば、
毎日帰ってくるかもね、とはにかむあなたに、もう少し先の幸せを見た。
神でなく、君に誓う
健やかなるときも病めるときも、
永久に君を愛します
fin.
ゅらさんに贈る相互記念作品第二弾!
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