おかしい、おかしい。
私、何に泣いてるの。分からないよ。
「名前!」
草壁さんの声。ぼろぼろの泣き顔を見られるのはちょっと恥ずかしいから、目元を手で抑えながら「…は、い」と途切れ途切れに返事をする。
草壁さんが回り込んで前に来て、私の頬を確認する。「…腫れてるな。…まだ、痛むか?」その言葉は、私のちっぽけな嘘を見透かした上で告げられているようでなんだか少し気恥ずかしかった。
「だいじょぶ、です…」
「とりあえず、切れた唇の処置をしよう。口を開くのもつらいだろ?」
こくり、頷く。実はさっきから痛くてしょうがなかった。
「救急箱を取ってくる」草壁さんはそう言って医務室の方へ向かって行った。
なんだか過保護な家族みたいで、恥ずかしいけど温かくて嬉しい。
ほぅ、と一息吐いて、壁に背を預けた時だった。
「ねぇ、」
びくり、肩が跳ねて、目を見開く。
草壁さんが消えていった方向とは真逆の方向から聞こえる声。
「……頬。そんなに、痛い?」
「ぇ…」
雲雀さんだった。
ぐしぐし目を拭っていたら、「そんなに擦ったら腫れるでしょ」雲雀さんに手を取られた。
優しく雲雀さんの指が腫れた頬を撫でる。じくじく痛むけれど、触れられた感触がそれを消していくような、不思議な感じ。
顔を上げさせられて、まだ湿り気の残る視界に雲雀さんだけが映る。
思ったより近かったそれに思わずどくり、心臓が高鳴った。
「…やっぱりもう一発殴っとけば良かった」
「え?」
「なんでもない、こっちの話」
「…あの、マリーさんは、」
「……置いてきた。大丈夫、もう僕を追いかけてきたりしないよ」
「………なに、したんですか?」
「別に」
顔を離してふいと視線を逸らす雲雀さん。
その横顔は、拗ねた子供のような可愛らしい幼さを滲ませていて。
はからずも微笑んでいた。
「………ねぇ」
また、同じ言葉。
でも、響きが先程よりもずうっと物悲しそうで。
弧を描いていた唇が力なくもとに戻る。
雲雀さん。そう声をかけようとした時だった。
「……代わってもいいって、あれ、本気で言ったの…?」
頷けなかった。
「僕の隣を許したのは君なのに。
……勝手なこと言うなよ」
きゅう、と胸が締め付けられる。
行かないで、とでも言うような、その切ない声音に、苦しくなる。
さっきまでそっぽを向いて、俯き気味の横顔しか見せていなかった彼が、ゆっくりこちらに向きを変える。
ことり。優しい音。
私の左肩に、雲雀さんの額が当たる音。
僅かな息遣いでさえ伝わってしまうような距離。
私は、背に壁を感じながら、目の前で小さくなる上司の背中を見つめていた。
「僕の想い人は、名前だよ」
その一言が放つ威力は計り知れない。
止まった筈の涙が再びぼろぼろと溢れ始める。
先程は頬にあったあのじくじくする痛みは、次に胸の奥とお腹辺りに移っていて。
しゃくりあげるのだけは避けようと、呼吸を浅くすると、苦しくてまた涙が溢れてくる。
「わざわざ沢田に頼んで君を僕のとこに寄越したのも、好きだったからだよ」
「……っ、」
「周りの奴等は皆知ってる。それくらい分かりやすく接してるのに、張本人は気づくどころか他の女を薦めてくるし…」
「…ごめ、なさ…」
あ。
草壁さんに噂のこと聞いたとき軽くはぐらかされたのは、
雲雀さんの想い人が私だって気付いてたから。
「ねぇ、
名前は?」
どくどく、全身が脈打つようなこの感覚。
今なら流石にわかる、初めて名前を呼ばれたからっていうせいじゃないってこと。
こんな状況にならなきゃ気付かないなんて、私のお馬鹿。
ほら、雲雀さんの肩、
震えてる、
きゅう、と掴まれる両袖。
不安げに押し出された呟き。
いつもの何倍も弱々しく見える彼を慰めようと優しく声を出すつもりが、ただのぶるぶるの涙声になった。
「わたし、も、
ひばりさん、が…すき。…です、」
「おそいよ、ばか」ぎゅう、と包まれた温もりにまた滴が頬を転がっていく。
あったかくて、あったかくて、目を瞑って彼の肩口に腫れてない方の頬をすり寄せる。
すると彼は、ふと小さな悪戯を思い付いたように優しく微笑って、
「唇、切れてるよ」
固まっていた傷口の血を一舐め、そのまま唇同士を重ねた。
触れ合う唇から、愛しい言葉が伝ってくるような気がした。
泣き虫ピエロ
(つらいときに笑って、しあわせなときに泣くの)
後日、噂が雲雀恭弥には想う人がいるらしい≠ゥら雲雀恭弥には想い合う人がいるらしい≠ノ変わったのは、また別のお話。
fin.
ゅらさんに贈る相互記念第一弾!
prev next
bkm