「おはよ、恭くん」

「ん。調子は?」

「ふふっ、いつも会うたび必ず言うよねそれ」

「………聞いちゃ悪い?」

「ううん。嬉しい、心配してくれてて」

「で、今日は」

「大丈夫、今日も生きてるから」

「………………、そう」



そこは白い白い病室。
色は窓から覗く夏の澄んだ青空だけ。

名前は今日も細く弱弱しい身体でベッドから身を起こし、僕と言葉を交わす。
青白い肌は透き通るようで、綺麗というよりも血が通っていないような不健康さが伺える。


「名前?」

「…………、あ、ごめんなさい。今日は空が綺麗だなって」

「………そうだね」

「恭くんも、ほらちゃんと見てよ!雲が少ないの、本当に綺麗だよ」

「やだ」

「なーんーでー」

「君もいいから寝てなよ。あんまり起きてても身体に障るだろ」

「大丈夫だもん、」

「大丈夫じゃない。暑さで倒れられたら困る」


ぼうっとまるで魂が抜けたような表情で窓の外を眺める名前に声をかけると、
慌てたようにしてこちらに向き直る。
確かに彼女の言うとおり今日の空は綺麗だけど、それどころじゃない。
またいつ何が原因で体調を崩すか分からないのに…、

空なんかより、今このときの、この瞬間の彼女を見ていたいなんて言えないけど。





「恭くんの意地悪ー」

「そういうことはまず立てるような身体になってから言うんだね」

「……………、だって」

「だってなに」


口をへの字にしていかにも不機嫌という表情の名前を、とりあえずゆっくりとベッドに横にさせる。
丸くて優しい色の瞳が僕をじっと見て、それからまた窓のほうを向いて、小さく呟く。



「………………私だって、早く元気な身体に戻りたいもん」

「…………、」

「恭くんのせっかち…、心配性。知ってる?何事も度が過ぎると良くないって」

「いつになく生意気な口を利くんだね」

「だって、」


がばっと起き上がる名前。何してるんだ、横にした意味が


「やっとまた恭くんと一緒にいられるのに、私ばっかり舞い上がってて、
恭くんてば、いつもみたく冷静でっ…、あのまま私、」


な、…………い、





「死んでたほうが迷惑かけなかったんでしょっ………?」



ぼろぼろ、


彼女の大きな目から大粒の涙があふれ出る。
さっきまでの威勢はどこへやら、今にも壊れそうな、儚くて悲痛な表情を浮かべて。

なんでそんなこと、



「っ、」

「縁起でもないこと言わないでよ」

「…………だ、って」

「僕が冷静だって?君の目は節穴か飾りなんだね」

「なん、」

「僕だってあの日、地獄から救われたような思いだったんだ」

「……………っ、」


ぎゅう、彼女の身体に負担がかからないように、それでも精一杯の力で抱きしめる。
彼女の涙が、僕の肩のシャツを濡らす。僕は僕で、彼女の首元に顔を埋めた。

窓が開け放たれた室内でも、二人が密着すれば蒸し暑くなる。
でも、少し息苦しくても、今は離したくなかった、離れたくなかった。

「僕だって、」

「きょ、」

「………ぼく、だって……、」


言葉が続かない。

あの日の気持ちは、言葉で表せるほど簡単なものじゃなかったんだ。




「ぼく、いますごくしあわせなんだ」








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名前は、生まれつき病弱だった。
幼馴染みだった僕と彼女は、ろくに友達もいないお互い、いつも一緒にいた。
いつの間にかお互いがお互いを好きになっていて、思いが通じて、晴れて恋人同士になれた、
たしかあれは梅雨になったばかりの頃、


名前は意識不明の重体で倒れた。


名前は何時まで経っても目を覚まさなかった。
病状もどんどん酷くなっていく。
名前の両親と僕は必死の思いで数え切れないほどの病院を訪ねて。
治療がまだ難しいと言われている難病に運悪くかかってしまった名前を救うため、
専門医を探しては尋ね、ここまで進行しているものは手に負えないと突き返され。

どれほどの医者に掴みかかったか、
どれほどの思いで走り回ったことか。


ようやく見つけた、唯一治せそうな専門医が告げた名前の余命は、



あと二日、だった。





成功する確率のかなり低い手術を受けるか、そのまま安楽死させるか。
手術も、まだまだ症例が少ないから1000分の1の確率でしか成功しない。

だけど僕も両親も、何もしないまま名前とお別れなんて嫌だった。
だから、手術を、受けさせた。






僕は怖くて怖くて、ほとんど彼女は帰ってこないに等しかったから、病院の外の庭の、
太陽の日差しでなまぬるくなったベンチに腰掛けていた。
段々傾いていく太陽に、舌打ち。少しずつ、少しずつ体感温度は下がっていく。

名前が冷たくなっていく様を、僕は見たくなかった。

でも、彼女の最期には立ち会ってあげたかった。



僕は、恐怖に震える弱い心を無視して、足早に手術室へと向かった。






「恭弥君、名前が、名前が………っ」



手術室前に到着した時、おばさんがそう言って僕の両肩をやんわりと掴む。
遅かったのか。もう、終わってしまったのか。

僕の瞳は、途方に暮れてぼうっと魂が抜けたようだった、らしい。



「助かったのよ……!!!!!」



え、と聞き返してしまった。
おばさんは、もう一度、静かに「たすかった、の」と繰り返す。


「奇跡がね、起きたのよ…、名前は、生きてる」





おばさんは両手で顔を覆って、そのまま泣き崩れてしまった。
おじさんが駆け寄ってきて、支えながらおばさんを立たせ、近くの長椅子に座らせた。
今度はおじさんが僕に寄ってきて、名前の居る病室と、まだ麻酔が効いていて眠っている、
と教えてくれた。会っておいで、と言ってくれた。
僕は、挨拶も程々に、早足でその場から立ち去る。向かうは、あの子のところ。





ガラリ、


静かに開けても響く、扉の音。

医者も看護士も居ない。
どうやら、僕に気を利かせて出て行ったらしい。

そうっとベッドに近付く。
名前の顔を、覗き込んだ。







「…………………名前、」



真っ白な、痩せた頬。
微かだけど、息を、している。

目は閉じていた。長い睫毛が影を作る。


付近のよく分からない機器に目を移した。
おそらく彼女の心拍数や血圧を計測しているであろうその機械の画面には、
一定の間をおいて跳ねた緑色の線が映っている。
線が跳ねるごとに、無機質な音が耳に響く。それは、彼女の心拍数が安定している証拠で。


生きている。



僕はもう一度、名前の顔に目を移した。
すると、名前の瞼が震えていて、

ゆっくりと、その澄んだ瞳を、僕の瞳に映させた。



「…………………………きょ、くん、」


目の奥に熱い何かを感じる。
じわり、視界が潤って、そしてそれは、あっという間に零れ落ちた。

プラスチックのマスクが、彼女の呼吸に合わせて曇る。
くぐもった小さな小さな声が、確かに聞こえた。


意識を失ってから聞いていなかった、
もう二度と聞くことはないだろうと思っていた、

もう一度聞きたいと願っていた、彼女の声音は、震えていた。




「…………きょう、くん………、ないてる、よ」

「…………うるさい、よ……っ」

「………ごめん、」

「……っ」


良かったとか、大丈夫とか、何も彼女をおもう声をかけてやれなくて、
でもあの日名前は、「きょうくんらしくて、うれしいよ」と言って笑ってくれた。











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