数日前──────


「骸は今、裏社会の掟破りの罪人として監獄に収監されてる」


個室で、あたしとリボーンくんしかいない病室で、窓から爽やかな風が吹き抜けていく。

声帯の手術を受けるか否か、承諾書を手にしたまま頭を悩ませていたところに、彼はひょこりと姿を現したのだ。
髪が短くなったあたしを見上げて、「吹っ切れたか?」と問うと、ぴょんと跳躍してベッドに乗ってきた。
あたしははっとなって、少し慌て気味にスケブとペンをベッドサイドの棚から取ると、言葉を走り書きしてリボーンくんに見せた。



【無事なのかな?怪我、たくさんしてたのに、あたし応急処置も…】

「大丈夫だろう、最低限の治療を施された上での収監になってるはずだ」

【そっか……ツナくんたちは?】

「あいつらなら、心配ないぞ。ツナのは筋肉痛だし、他のやつらもそうヤワじゃねーからな。常人より治りが早いっつって医者が驚いてたぞ」

【良かった】

「………迷ってんのか」


あたしの膝元に置かれた、手術承諾書を見て、ぽつりとリボーンくんが溢す。
そこには、あたしの名前こそ書いてはあるものの、受けるか否か、その事項にチェックが付けられていなかった。


【お母さんにも、相談しなきゃいけないし】

「南瑠奈か」

【知り合い?】

「あぁ…まぁな。それより、羽無、今日オレはちょっと話したいことがあって来たんだ」


ボルサリーノを取って、小さく胡座をかいたその膝元に置くと、ふと息をついてからリボーンくんは口を開いた。



「おめー、あの時どうやって喋った?」



やけに深刻そうに重く響いたその問い掛けに、あたしはまるで昨日一昨日の夢物語を思い出すようなぼんやりとした記憶を掘り返して、うまく言葉に出来ないその感覚をなんとか文字にして見せた。


【分かんない、けど…

声が聞こえたんだ】

「声?」

【女の人の声。あなたの気持ちを、彼に伝えてあげて。私が、今だけお手伝いしますから≠チて…
そうしたら、身体中がぽかぽかしだして、意識しなくても声が出せたんだよ】

「………女の…」


腕を組んで、片手を口元に当てながらむぅと口をへの字に歪めるリボーンくん。
わかった、とだけ言って、ボルサリーノを被り直す。


【それだけ?】

「あぁ。また何かあったら聞きに来る」

【わかった】

「……羽無。

おめーが手術を受けることに踏み出せないのは、あのとき、まぐれで喋れちまったからだろ?」


びくんと、肩が跳ねた。
真っ黒で大きな瞳が、あたしの内側を覗き込んでくる。

その通りだった。

手術を受けてしまえば、話せるようになる代わり、10年と経たない間に声帯が使い物にならなくなって二度と話せなくなってしまう。
今は、なんとか鎮痛剤と抗炎剤でやり過ごせているけど、将来完治できる治療法が見つかるまでそれだけでもたせられるのかもわからない。

だけど、この前は、薬が切れてもう声を出せないと思ったのに、何故か話すことができた。
手術を受けなくても、またあのときのように話せるんじゃないか。そんな気持ちが、現実から目をそらさせようとする。
リボーンくんの言う通り、きっとあれはまぐれなんだ。だって、その証拠に、声は出せるものの完治したわけではない。今だって、続けて薬を投与しなければまたすぐに声帯が駄目になってしまうとうみ先生は言っていた。


「迷うのも仕方ねーと思うが…時間がねーのも本当のところだ、早いうちに決めた方がいいと思うぞ」

【うん…わかってるんだけど、】

「だってお前、ヒバリに気持ち伝えるんじゃなかったのか?
その声で」


そうだよ。あたし、あたしずっとそう決めてたんだよ。
だけど、先がなくなってしまうかもしれない。もしかしたら早まって、たった数年で喋れなくなってしまうかもしれない。
そう考えると、怖くて仕方なかった。声が消えてしまうのを待つくらいなら、このままでも変わらないんじゃないかって。



「声で伝えた言葉じゃなきゃ、伝わんねーもんもあるんだって、お前が言ってたんじゃねーのか?」



スケブを握る手に力が籠る。
はた、と思い出して、スケブの一番後ろのページを捲った。



すきです



「シンプルに考えりゃいーじゃねーか。

おめーはまた逃げんのか?」



伝えることが怖くて、逃げ道にするように細々と書いた、本当の気持ち。
弱々しいその文字を指でなぞって、深呼吸をした。



いつまで其処にいる気?



あたし、逃げないって決めたんだ。

怖いと思う気持ちから目をそらさないって、決めたんだよ。


ペンを取った手は、かたかたと震えていて。
だけど、あたしが大切にしたいのは、未来のその先ではなくて、今この瞬間で。


【お母さん、許してくれるかな】

「あいつなら、言やぁわかってくれんだろ」

【そっか。そうだよね、】


承諾する、に丸をつけた。


ここで逃げたら、骸から卒業した意味がないじゃないか。
大好きで大切だったけど、いつまでも頼ってたら、あたしはいつまでも大人になれないから。

骸は、怒るかな。それとも、よく頑張りましたねって、頭を撫でてくれるかな。


【骸とは、夢の中で初めて会ったんだ】


無意識にぽつりと溢した、思い出話。
リボーンくんは、もう一度ベッドに座ると、黙って字を目で追い掛けた。


【あたしが、大怪我をして、ショックで意識不明になったときのことだった。精神世界…っていうのがあってね、そこは普通の人が行けない、この世とあの世の隙間みたいな特別な場所なんだって。
骸だけは自由にそこへ行き来出来るけど、他の人は死にかけか、もう死んじゃった人の心が彷徨ってやって来るんだって】

「そこで会ったのか、骸に」

【うん。それから少しずつ仲良くなって……あたしの話、たくさん聞いてくれたの】


好きなものも、苦手なものも、夢も、家族も、骸は、なんでも知ってる。
あたしの弱さも、見ないふりをして、泣ける場所をくれた。

骸がいたから、いまのあたしがいるんだよ。


骸がいなかったら、あたしはきっと、へこたれて、立ち上がれなくなっていたと思うんだ。

いつだって、あたしが転んだら、手を差し出してくれた。
あたしが迷ったら、導いてくれた。
居場所に困ったら、隣においでって微笑ってくれた。

本当は、骸なしで自分の弱さを乗り越えられたら良かったんだけどね。
でも、骸がいなかったら、あたしは自分の弱さと向き合うことすら出来なかったよ。


【また、会えるよね】

「あぁ。絶対だ」


骸、骸。

あたし、頑張って、もう一歩前に踏み出そうと思うの。

だからね、骸も、一緒に前に進んでくれる?
またお話聞いて、手を繋いで、頭を撫でてくれる?


骸、大好きだよ。

だから、見守ってね。


あたし、きっと強くなってみせるから。

骸と肩を並べて立てるように、頑張るから。



【泣き虫を卒業して、びっくりさせてやるんだ】



あたしが微笑うと、リボーンくんも口角を上げてニッと笑った。





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