「葵は、いいの?」


電話の向こう側、沈黙を貫き続ける彼女が、不意にため息をついた。


『なーんだ、つまんないの。有香、仲直りしちゃったんだ』

「……え…?」

『あの子、いじめがいあったのにね。バカみたいに我慢しちゃって、いい子ぶってるとこ昔から嫌いだったんだけどさ』

「……葵…?」

『じゃあ有香ももういいや。そろそろ飽きたし。ばいばい』

「待ってよ、葵?ねぇ、ちょっと、」


ぶつん、切られた通信。向こう側で、彼女がどんな表情をしていたのか、私には分からなかった。
飽きた?つまんない?どういうこと?

こんな簡単に、終わりなの?



掛け直しても、繋がらない番号。暫くぼんやりと画面を見つめて、自分の中の彼女がどういった人物だったかを思い浮かべてみた。
いつも、気がつくとそっとそばにいてくれた。なのに、何を話していたのか、なんで友達だと思っていたのか、全く記憶に残っていない。
あれ?彼女は、私のなんだったんだろう。


薄い紙切れのような、ただ一緒にいるだけの仲だったのかな。
でも、思えばそうかもしれない。仲間意識があったわけじゃない。私がずっと考えていたのは、羽無のことだったから。
いじめのグループなんて、所詮付き合い程度になってやるもの。いじめられる子の傷は、想像じゃ計り知れないほど深く痛いものになるのに。


世の中は理不尽だ。
私にも、彼女の痛みが分かったなら良かったのに。

心の中でもう一度、ごめんと呟いた。羽無が抱きしめてくれた感触が胸に痛くて、言い足りなくて、もう一度、ごめんと呟いた。


世の中には、相容れないものや人がたくさん居て、衝突しあったり、傷つけあったり、たくさん痛みを抱えるけれど。
大きく裂けた関係の中に、確かな繋がりがまだ残っていたことに、ひどく安心して、解放されたような心地になって、携帯電話を握ったままの手を胸に当てた。


生きている限り、痛みは絶えない。

痛みなしでは、生きていけない。


だけど、だからこそ、痛みを知って、人は大きくなる。


ごめんの痛みを知って、私も、少しは変われたかな。
もう、羽無と長く関わることはないかもしれないけど、これからの私は、二度と繰り返したりはしないよね。

綺麗にまとまるはずもないこの関係をひきずったまま、私は少しずつ変わって生きたいと思うよ。





***





─────数日後






「どうですか?」


治療機に繋がれたままベッドに腰かけるように横たわる僕のそばまでやって来て、くるりと一回りして見せた彼女。

あんなに長かった髪はうなじの少し下くらいまでの丈に整えられて、すっきりと軽そうにふわふわしている。
毛先を撫でるように摘まんだ彼女は、まだ手に包帯をしていたけれど、もうすっかり元気そうだ。


「昨日美容院でちゃんとカットしてもらったんです」

「もう動いて平気なのかい?」

「はい!もうおしゃべりしてもいい、って言われたので、とりあえず気分を変えようと思って」

「ふぅん」

「似合ってますか?」

「いいんじゃない、清潔な感じで」

「なんですかそれー」


唇を尖らせてむぅと不機嫌そうに声を出したあと、一変してにこりと笑う彼女。随分と楽しそうだ。
つられて僕も微笑えば、少し頬を赤く染めながら、ゆるりと緩めるように口を開く。


「あの、雲雀サン」

「ん?」

「あたし、雲雀サンに、ちゃんと言いたいことがあって」


声が出せるようになったら、言おうと思ってたことがあるんです。
照れくさそうに、眉を下げて笑った君が、真っ直ぐ僕を見つめる。



「あの、あたし、雲雀サンのこと「恭弥」……え?」

「恭弥、って呼んで」

「…え…、ひば、」

「敬語も嫌だな。なんか敬遠されてる感じする」

「………えっと、」



わたわたと困り顔になる君が面白くて、ついでに可愛くて、意地悪く微笑った僕に真意を読み取った賢い彼女は、拗ねたようにまた唇を尖らせた。



「…………ずるい、」

「ねぇ、僕も聞いてほしいこと、あるんだけど」



赤い顔をした彼女の腕を引いてすぐそばまで来させると、目をそらせないように、射抜くようにじっと見つめたまま、僕は言った。






「羽無が好きだよ」






ふるり、彼女の身体が震えて、唇を噛み締める。

込み上げる何かを僕に見せないようにと空いた片方の手の甲で目を隠す。僕は隠されるのが嫌で、そっと手首を掴んでその手も剥がす。
嬉しいのと、困ったのをまぜこぜにしたようなふにゃふにゃな顔でぼろぼろと涙をこぼす、本当の君が顔を覗かせた。

隠さないで。
僕は、君が強くて弱いことも、ちゃんと受け止めるから。
逃げないで、ちゃんと僕にも見せてよ。



「……ひばりさんは、いじわるだ」

「雲雀じゃないでしょ」

「………」

「羽無、」

「…………あたし、ずっと、言いたかったのに」

「………うん、」

「……っ、なんで、先に言っちゃうの…っ」


ばかぁ、と子供のようにぐしゃぐしゃになりながら泣く君を引き寄せて、頭を撫でる。
髪を鋤くように何度も撫で付けていると、潤んだ大きいティーブラウンの瞳が僕を窺うようにそっと見つめてきて、恥ずかしそうにきょろきょろとまたすぐに游いだ。


「………あの、」

「うん」

「………えっと、」

「うん」

「………………すき」

「ん、」

「きょ、や……すき、」



小さな、本当に小さな声で紡がれた想い。

思っていたよりも、その。



「恭弥……照れた?」

「うるさいよ、」



破壊力があって。

嬉しくて、柄にもなく顔面崩壊しそうなほどにやけそうになる口元を手で覆い隠すけど、紅潮した頬のせいでバレバレだ。
そんなキャラじゃないくせに、いきなり気弱そうな声になるなんて。不意打ちだ、卑怯だ。こんなの、不可抗力だ。


「………恭弥?」

「………なに、」

「だいすき、」

「っ、わかったからもういいよ、」

「すき」

「だから、」

「恭弥だいすき、」

「…………、」

「すきだよ……」


嬉しそうに、そんな幸せそうに微笑いながらすき≠紡がれたら。
引き締まる頬も緩みっぱなしになっちゃうじゃないか。



「あの、あのね、恭弥、」

「ん、」

「昨日ね、いっぱい練習したの。歌、聞いて」



頷いて、彼女を見上げると、ぱちくりと瞬いて少し気恥ずかしそうにしながら、そっと息を吸った。




「……みーどーりーたなーびくー、なーみーもーりーのー」

「……、」

「だーいなーく、しょうーなくー、なーみーがー、いいー」




鈴を転がすような、柔らかくて、優しい音色が、彼女の唇から紡がれていく。
肺活量がまだまだ足りなくて、切る節が多いけれど。

綺麗な校歌だ。


──♪いつも 変わらぬ 健やか健気

嗚呼 共に歌おう 並盛中───



無意識に拍手をすると、嬉しそうに満面の笑みになる。


「もっと練習して、もっといっぱい綺麗な歌、歌うからね!また聞いてね!」

「うん」

「約束だよ!」

「じゃあ、羽無も約束して」

「っ、うん、」


小指を出しながらそう言えば、少し緊張した面持ちになって、彼女も小指を出した。



「もう、僕に黙って居なくなったり、しないで」



はっ、と目を見開いて、ゆっくり頷きながら絡められた小指。



「約束する、」

「絶対だよ」

「うん。…もう、居なくなったりしないよ」

「破ったら咬み殺すからね」

「わかった」



約束だよ。そう言って笑った君を、僕は一生忘れないだろう。






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