自分の内側に骸がいると感じて、数秒。あたしの内側は、骸が放つ禍々しい気に覆われて、息ができなくなっていた。

だけど、骸が、まだ諦めてないって分かった。それと同時に、止めなきゃ、って思った。
ツナくんに歩み寄っていく骸を引き留めるように、心臓の奥から言葉を洩らしたら、骸がびっくりしていた。
どうか、分かって、と。願いを込めて、囁くように洩れた声音は、案外凜としていて。

だけど、返ってくる言葉は拒絶のそれで。
あたしは、骸を否定したんじゃないよ、って伝えたかったんだけど、うまく言葉が出てこなくて…。

やっぱり、直接、向き合って伝えなきゃ届かないんだ。
少し寂しく思った。そしたら、寂しさが身体中をじんわり包み込んで、骸に支配されていた四肢に感覚が戻っていって。

不意に、淑やかな、知らない女の人の声が頭の内側に静かに響いた。



────今だけ、私の力をお貸ししましょう


…………え?


───お手伝い差し上げます、
ですから、貴女の御心を、どうか彼に──



ふわり、ふわり。
春の陽射しのような、柔らかい温もりがあたしの身体に染み渡っていく。
瞼を閉じた暗い視界に、また桜色が霞めた。爆発の音がして、爆風の感触とその熱で皮膚がぴりりと痛むのを感じてそうっと視界を開けば、獄寺くんとビアンキさん、それに千種くんと犬くんが、ツナくんを囲うようにして立っていて。
気配から、4人とも骸に乗っ取られてるんだってすぐ分かった。

一方的な攻撃の嵐だった。ツナくんはひぃひぃ叫びながら逃げ回るしかなくて、骸は追い詰めるように、畳み掛けるように攻撃を繰り出していく。
暫く圧倒されてそのままその光景を見つめていたんだけど、こっちにも火の粉が飛びかけるのにはっとして、振り返ると、俯せに倒れている雲雀サンを見つけた。
このままじゃ、動けない雲雀サンは危ない。あたしは立ち上がると、ぱたぱたと駆け寄って彼をそっと抱き上げる。
少し距離を取った場所にまた身体を横たえると、ツナくんの悲鳴に続いて、何か不自然な…転ぶような音がした。

そっちを見やれば、大量の血を流しながら起き上がる千種くんの身体。
あたしは真っ青になった。そんなに流したらいけない、血が足りない状態が続くだけでも人は死に至ってしまう。


骸の口から、辛辣な言葉が溢れる。
僕の、勝手って……そんな、そんなの


「そんなのおかしい!!」


口をついて出た叫び。どうしてまた声が出たのか、分からなかった。もしかしたら…さっきの女の人が、何かしてくれたのかな。
あなたの気持ちを伝えて、と言った彼女の声がまた耳の奥にこだまして、あたしはもう一度叫ぶ。


「そんなの、おかしいよ!!!!」

「おや、目覚めたんですか。そのまま眠っていれば良かったものを」

「ひとつひとつの命を、そんなおもちゃみたいな言い方…っ!骸らしくないっ」

「……クフフッ、笑わせないでくださいよ。これが本来の僕だ。君には随分と甘くしてきましたからねぇ」

「………っ嘘だ!!ほんとの骸は、骸はもっと…」

「あったかくて優しい人だ=cとでも?いつまでも君の固定概念を押し付けるのはやめてください。もう、君に興味はない」


冷たい目に射抜かれて、びくりと肩が跳ねる。彼の視線は、あたしを拒絶していた。


「僕が身体に入るのを拒んだくせに」


冷たく、寂しく。小さな声で、吐息のように洩れた言葉。
なぜだろう、あたしは、まだ骸に届くとそう思えた。もうだめだって、諦める気持ちが、これっぽっちも湧いてこなかった。
だから、あたしはそのまま、一歩ずつ踏みしめるように…犬くんの身体にいる骸へ近付いていく。


「骸…、」

「来ないでください。目障りだ」

「……っ骸…、」

「…近付くなら、殺します」

「っ!駄目だ南!!」

「……他人の心配をしているヒマがあるんですか?」


犬くんはこちらを見据えたまま、ビアンキさんが声を出した。ツナくんはビアンキさんを振り返る。
ビアンキさんも獄寺くんも、さっきから血が止まっていない。深い傷なのに、まともな応急処置すらしていないからだ。


「自分がやられるという時に───…」

「君は面白い男だがマフィア向きではありませんね」

「あ…っ、たのむ!!やめてくれ!!このままじゃ死んじゃうよ!!」


彼らの傷口を見たツナくんは、ふらふらと覚束無い足取りで迫ってくる二人に向かって血相を変えて叫ぶ。
だけど骸は、それを見て笑った。

「クフフフ…思い出しましたよ。君はバーズとの戦いで、ガールフレンドのために自分にナイフを突き立てようとしたんでしたね。

それでいきましょう。君はその甘さゆえ僕に乗っ取られる」

「!」

「っあああ!!」

「え、やめろ!南を放せ!」


獄寺くんの顔が微笑みに歪められたかと思った瞬間、素早く犬くんがあたしの背後に回って、両手首を拘束される。
きつく手首を締め付けられて、包帯の巻かれた左手が軋み、思わず痛みから叫んだ。犬くんは放すどころか、あたしの首筋に手に持った三叉槍の切っ先を突き付けてくる。

痛みにぶるりと全身が震えたけれど、唇を噛んで耐える。こわくない。相手は骸だ。あれだけ言われておきながら、あたしは未だに彼を信じているから、ちっとも怖くなんかなかった。


「いいですか?君の仲間をこれ以上傷つけられたくなければ…」

「逃げずにおとなしく契約してください」

「な…そ、そんな…」

「やはり迷うのですね。どのみち君のような人間はこの世界では生き残れない。ボンゴレの10代目には不適格です。
さぁ、身体を明け渡してもらいましょう」

「どうしよう……リ…リボーンどうしよう!!」

「オレは何もしてやれねーぞ。自分で何とかしろ」

「そんなぁ!いつも助けてくれるじゃないか!!見捨てないでよリボーン!!」

「情けねぇ声出すな」

あたしじゃ、骸は止められないのかもしれないと、左手の痛みに顔をしかめながら思った。
諦めてはいない、だけど、骸はもうこっちを見てくれない。
あたしはボンゴレがマフィアだということ以外、まだよく分かってない。だけど、ツナくんがそれに深く関わってることはわかった。骸はやけにボンゴレにこだわっていた。

変えてあげたい。止められなくてもせめて、骸のなかにある、冷たくて暗い心を、ほぐしてあげたい。

あたしは、骸がいたから、もう一度明るい場所に出てみようって思えたから。
だから、あたしの背中を押してくれたその手を、今度はあたしが掴みたいと思った。


ツナくんは、泣き出しそうな顔で、パニックを起こしていた。
優しいツナくん。あたし、知ってるよ。ツナくんが皆のことを大事に、大切に考えてくれること。
だからね、あたし、信じてるよ。君は、本当は、ずっとずっと強いって。
リボーンくんは、ツナくんの顎を思い切り蹴り上げて正気にさせると、ツナくんのシャツの胸ぐらを掴んで引き寄せた。


「いいかツナ。

おまえは誰よりもボンゴレ10代目なんだ」

「!?」

「おまえが気持ちを吐き出せば、それがボンゴレの答えだ」

「!」


ツナくんは、リボーンくんの言葉を反芻するように、オレの気持ち、と小さく繰り返す。

耳元で、犬くんの声で、骸が嘲笑う。


「クフフフ…家庭教師もサジを投げましたか。彼の気持ちは逃げ出したい≠ナすよ。

それとも仲間のために逃げられない=c……かな?」


あたしは、知ってるよ。

ツナくんは、あったかくて、優しくて、



「骸に………

勝ちたい───」



強い心を持ってるって。



「こんなひどい奴に…負けたくない…


こいつにだけは、勝ちたいんだ!!」



目映い閃光が弾ける。

くっ、と閉じた瞼の裏に焼き付いた、真っ直ぐな彼の眼差し。


こんなに近くにいるのに、掴んであげられない彼の手を、

どうか、どうか、
君が掴んで、引っ張り上げて。


あたしの気持ちだけじゃ、彼はもう、戻れないところまで来てしまったから。

だから、だからね、お願い。



たすけてあげて。



伝えたいこと

まだまだ、たくさんあるんだよ




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