いつまで其処にいる気? 心の奥に語りかけられているようだった。 ただ、このソファーに座っていることを問われている訳じゃないんだって、すぐにわかった。 あたしの弱さなんて、もしかしたらとっくのとうに見抜かれていたのかもしれない。 眼下で繰り広げられる、雲雀サンと骸の激しい戦闘。 こんなにすごいなんて、知らなかった。いつも、あたしは嫌だから、怖いからって目を背けてたから。 骸も、優しいだけじゃない。ちゃんと、裏社会のひとなんだ。真っ直ぐあたしを見つめて、包み込んでくれる人。彼は、強さだって持ってたんだ。 骸の槍が雲雀サンにかするたび、肩が跳ねて身体中ががちがちと震え上がる。 雲雀サンのトンファーが骸の頭に向かって振り下ろされるのを見るたび、思わず耳を塞いで瞼を閉じてしまいそうになる。 でも我慢する。怖いと感じる自分から、逃げたくないと思った。 誰かに力が向くと、自分が傷を受けているようで、見るのも聞くのも怖かった。痛みが、記憶になって甦ってくるのが、怖かった。 でも、もう逃げたくない。 向き合わなくちゃいけない。 あたしは勘違いをしていた。 怖いと思うことが弱さなんじゃない。 見て見ぬふりをして、向き合わないことが弱さだったんだ。 あたしは、痛みをしってる。 それは、他の人にはないもので。 怖いと思う自分≠ニ、仲良くなればいい。 きっと、強さになってくれる。 目を、そらしたくない。 あたしのためだと言った。 あんな、文句みたいなせりふを、いちいち守ろうとしてくれた。 あたしの能力を買ってくれた。 またそばにいてもいいって、言ってくれたんだ。 怖いから逃げるなんてことを繰り返していたら、彼に失礼だ。 今まで彼があたしにしてくれたこと全部、無視してしまうのと一緒だ。 骸は優しい。こんなあたしにも、逃げ道をくれた。いていいよって、教えてくれた。 考える時間も、すがりつく足元も、ぽっかりあいた穴を埋めるぬくもりも。みんなみんな、与えてくれた。 だからあたしは、答えを見つけなきゃいけない。いつまでも骸に頼っちゃいけない。 強くなりたいのは、誰でもない あたし自身なんだから。 もう声は出ないけど。 まだ、想いは伝えていないけれど。 二度と、叶わない夢も、あるけど。 守れなかった約束だって、 たくさんの笑顔だって、 まだまだいっぱい、この胸にあるけれど。 まだ皆と一緒に、歩いていきたいと思ったんだよ。 ソファーから腰を上げて立ち上がった。膝がかたかた笑ってる。 少し高さがあるステージを、思いきって飛び降りた。 隣に、ツナくんがいて、びっくりした顔をしていた。南、と声をかけられた。なんて返事をすればいいかわからなくて、微笑う。 ひさしぶり。 唇だけで伝えた挨拶は、届いただろうか。 震える手の甲を引っ掻いて、感覚を取り戻す。まだ傷の癒えないそこは、骨やその神経なんかにまで引っ掻いた衝撃がいく。ほんとうに痛い。 頭の中が冴えるような思いだった。すっきりしていって、あたしにはやりたいことがひとつだけはっきりしていた。 ありがとうが言いたかった。 刺さってもいい。殴られてもいい。 そのくらいしないと、怖いと思う自分≠ヘこっちを向いてくれない。 怖くていいんだ。逃げちゃだめなんだよ。 前に、進みたいんだから。 「君の一瞬って、いつまで?」 「怪我人が調子に乗らないでください」 「こいつらを侮るなよ骸。お前が思っているよりずっと伸び盛りだぞ」 「そのようですね…まぁ、骨を何本も折りましたから、立っているのがやっとでしょうけど。彼が怪我をしていなければ、もしかしたら勝負はわからなかったかもしれない」 「!」 途端、雲雀サンの肩から血が吹き上がる。無意識に息を止めている自分がいて、胸元を強く押さえた。 「時間の無駄です。羽無につらい思いはさせたくありません、手っ取り早くすませましょう」 骸のきれいな右目に、一の文字が宿って…桃色が散る。 桜。嗚呼、あんなことがあった。お花見に行った。変な病気に掛かってしまった雲雀サンを初めて家に入れた。 あのときは、彼の戦う姿を隠れてしまって見ていなかった。真っ直ぐ、彼を見れなかった。 なんでこんなにも穏やかな気分でいられるんだろう。 …雲雀サンと過ごした時間は、みんなみんな、あたしの大切な思い出だからだ。 「さ…桜!?まさか、ヒバリさんのサクラクラ病を利用して…!」 「クフフ…さあ、また跪いてもらいましょう」 「そんな…!ヒバリさん!!」 ふらり、と彼の身体が揺れる。 倒れる、そう見せ掛けて、彼のトンファーはしっかりとした重みと共に骸の腹部にぶつかった。 鈍痛が甦るようで、込み上げる吐き気を飲み込む。いたくない。あたしはいま、いたくない。 血を吐く骸の顎を、両手のトンファーを交差させるように振るって打つ雲雀サン。 頭に響く痛みを思い出して、それも飲み込んだ。ひとつひとつの痛みを、飲み込んでいく。 忘れちゃいけない痛みを、受け入れていく。 仰向けに倒れた骸の手から、得物が離れ、カラカラと乾いた音を立てながら転がっていく。 雲雀サンは、とどめをと言わんばかりに、またふらり、と骸に歩み寄っていく。 あたしは、彼と骸の間に立った。 「……退きなよ」 首を振る。 「怖いんだろ。見えないように、下がってなよ」 首を振る。 「………なんで庇うの」 首を、振る。 痛いのは嫌なんて、言わない。 ただ、大事な人を守りたいだけだった。 雲雀サンも、骸も。 骸が倒れたのに、視界から桃色がちらついて消えない。 「変わりたいんです」 心臓が、どくどく、脈打つ感覚がする。 自分の心音だけが聞こえた。しんと静まった映画館の中、滑らかな少女の声とあたしの心音だけが耳に響く。 雲雀サンだけじゃない。 ツナくんも、獄寺くんも、リボーンくんも。 目を見開いて、あたしを見ていた。 「怖くて、逃げてたんです。昔の自分から。ずっと一緒にいて、昔のあたしがいたから今のあたしがいるのに、見ないふりをずっとしてたんです。 痛くて怖いと怯える自分の弱さに目を閉じて、気づかないふりをして。少し大人になったから大丈夫って、忘れようとしてたんです。 忘れることで、自分を守ろうとしたんです。それで、思い出したくなくて、傷付くのが怖くて、雲雀サンの隣にいるのが怖くて、逃げてたんです。 改めて考え直すたびに、本質から目を背けて、痛みばっかり思い起こして。自分は痛みのある世界じゃ生きていけないって思い込んで、骸に甘えて、また塞ぎ込んだんです」 ずっと、ずっと見ないようにしていた、脆くて弱いほんとうの自分。 弱さを隠すための張りぼてみたいな表面上の強さに安心して、それが壊れそうになると目を閉じて耳を塞いでいた。 張りぼての向こうから、手を差し伸べてくれるひとみんなを、無視しようとしてた。 「あたしを支えてくれるひと、親切にしてくれるひと、大事にしてくれるひと、みんないるのに、いないって。誰もいないから、あたしはひとりだから、って。ひとりきりにしてほしいって。 ちゃんと、あったかい場所があったのに、知らんぷりしたんです。だから、今度は気付きたいんです。逃げないで、昔の自分とも、あたしの周りのひととも、ちゃんと向き合いたいと思ったんです」 心臓の奥が、あたたかく脈打つ。 爪先から、指先から、頭のてっぺんから。 心臓に向けて、ぬくもりが駆け抜ける。 「世界が、こんなにも綺麗だって、気付いたんです!」 すごく、嬉しかった。 暗い、冷たいと思っていた世界は、こんなにも明るくて、あったかくて、優しくて。 嗚呼、あたし、息をしてるんだって。 笑ってる。あたし、いま、笑ってる。 心から、笑えてるよ。 頬を濡らす光の粒が、ぽたりと床に落ちた途端、 あたしの身体から桜色の燐光が噴き出した。 「あたしは、こんなに弱くて、脆くて、根暗で、ちっぽけな人間です。 …だけど、少しずつ、前に、進みたいんです。 これからも、一緒にいてくれますか?」 届いたかな。 ねぇ、あたしの精一杯の気持ち。 ゆるりと唇で弧を描いたそのひとは、ふと、瞼を落とした。がくり、バランスを崩して倒れていく。 あたしに凭れ掛かって、そうっと呼吸を繰り返す。傷が痛まないように、優しく支えた。 燐光が、雲雀サンをも包み込んでいく。 ふぅと息を吸い込み、彼は耳元で囁いた。 「─────………羽無」 無意識だろうか。 ぼんやりと聞こえたその声が、あたたかかった。 とどいてるよ、と。 重なる心音が、伝える想い。 力が抜けた彼の身体。膝が落ちる。ひどい怪我で、ここまで戦ってくれた。労るように、静かにその身体を横たわらせた。 ふわり、燐光が消えていく。 刹那、 「ふざけるな」 冷たい、低い声音が響いて。 首に、金属の冷たい切っ先の感触がして。 初めて骸は、あたしに武器を向け、そして 気付けば、首の後ろがすうすうしていて。 ばさりと、髪束の落ちる音がした。 [prev] [next] back ×
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