ぱたぱたぱた。

足音にはっとして振り返る。そこには誰もいなかったけれど、大体の察しはついた。
フゥ太くん、ついてきてたんだ。








骸が先程雲雀サンを幽閉した時の足音と物音から部屋の位置を把握してやって来たは良かったものの、彼の姿を見たら堪えきれなくなってしまった。
分厚いコンクリート製の壁があたしと雲雀サンを隔てる。
何もできない、したいのにできることが思いつかない。

彼をここから出してあげることも、はっきり「嫌いだから姿を見せないで」と嘘をついて彼を遠ざけることも、できない。
思ったよりも自分の声は震えていて、今嘘をついたところで何ら意味はないということにも気付いた。

雲雀サンに気持ちを伝えたくてとっておいた声は、いずれにせよ暫くすれば使えなくなってしまう。
こんな、震えた弱々しい声で想いなんて伝えたくないよ。
ましてや、嘘なんてつけるはずもない。


ねぇ雲雀サン、あたしどうすればいい?
あなたが大好きで、だからこんな弱いあたしを知ってほしくなくて、
気付けばどんどん膨らんでいったこの気持ちを隠し通せるわけもない、きっと駄々漏れに違いない。
弱虫に好かれても嫌悪感しか抱きませんか?あたしはどうしても強がらないと、隣にはいちゃだめですか?



「君だったから」



それは、本当ですか?

嘘なんかじゃ、ないですか?


ぼろぼろ溢れ出てくる涙を見せまいと手で顔を覆っても、指の隙間から零れ落ちるそれ。
ふ、と吐息の漏れる音がして、ちろりと顔を上げてみると、本当に優しい微笑みを浮かべた貴方がいた。


揺らいでしまう、心。



「……ふ、」

「………、」

「…馬鹿だね、君は」



クスクス、肩を震わせて笑う雲雀サン。
でも、表情にはやっぱり傷の痛みからくる歪みが見て取れた。


痛くて、優しい、微笑み。



「絶対に、連れ戻すから。


覚悟してて」



この人になら、打ち明けてもいいんじゃないかと、錯覚してしまいそうになる。


決めたのに。

絶対に隠したまま離れるって、嫌われないうちに彼の傍を離れるって、


決めたのに。


彼なら大丈夫とか、
きっと理解してくれるとか、

そういう思いや期待もある一方で、

とにかく逃げてしまいたい、
幻滅されたくない、

恐怖に怯えて制御の利かない自分もいて。



「だから、……もう、喋るんじゃないよ…」



いつになく優しい貴方に、錯覚を起こす。

怒らないの?

勝手なことする君なんていらないって、


どうして言わないの?



嫌われたくない一方で、これ以上ないほど嫌って欲しかった。
優柔不断に揺らぐあたしの心を、めちゃくちゃに掻き回して壊して欲しかった。

そうすればきっと、この世界に絶望できた。
光を望まずに、声を、最初で最後の願いも捨てられた。

弱虫で臆病な自分が嫌だった。
声じゃなきゃ思いを伝えたくない、なんて思いながら、怖くて逃げてただけだった。



骸さえも利用して、世界の隅っこに消えてしまいたかった。



苦しい。

つらい、つらいよ。

いつの間に、こんなに好きになったんだろう。


雲雀サン、


ひばりさん、



あたし、

あなたが、




あなたのことが








ぱたぱたぱた。

それは、貴方から逃げたあたしの足音だったのか、堪えきれずこぼれ落ちた涙の音だったのか。

今となってはもうどうでもよくて。


骸にだって心はあるのに、彼を逃げ道にするあたしは、


とんでもなくずるい、人間だ。



***




君の声が、枯れてしまう


その前に。

















「………ッ、」


本来ならばもう少し休ませなければならなかった身体。
意識を取り戻したのはつい先程、そう、彼女がこの部屋の入り口を探してあの鋼鉄の扉の向こうに立ったあたりくらい。

そんなに時間は経っていないようにも感じられた。



「………っ、……は…、」



思ったより身体のあちこちに重い傷が出来ているらしい。
沢山出血もしたから、頭がくらくらして気持ち悪い。思わず息が洩れる。

休もうと思って座り込むつもりが、不意に力が抜けてがくり、片膝をつく。
骨の軋む嫌な感触。奥歯を噛み締めて痛みに耐える。ゆっくり、手をつきながら座ると、体勢を楽になるように体育座りのそれに変えた。


目を閉じて、気分が落ち着くのを待つ。
乾いた血で皮膚が固まっていて、些細な動きでさえやりづらくてならない。

ぐっ、と、手のひらを拳に変えた。




あなたが、だいすきです




……………。


「………っ、……はぁー…」


正直、頭の中は真っ白だった。


今更になって心臓が早鐘を打ち始める。心なしか頬が熱い。
多分、今の僕、物凄くカッコ悪いよね。そりゃもう、普段の威勢はどこいったってくらいに。


どんな顔をして会えばよかったのか、今までどうやって接していたのか、全部吹き飛んでしまっていた。
思い切り息を吐き出す。怪我による呼吸のしづらさからくる肺の重みとはまた違った重たいため息だ。

僕だけ彼女のも自分のも気持ちを分かっているなんて反則だ、フライングもいいところ。
でも何故だろう、彼女の顔を小窓から見たとき、ホッとしただけじゃない、気持ち的余裕というんだろうか、思ったより動揺せずに話ができた。


南は僕を嫌って離れた訳じゃない、それが分かっただけですごく安心した。
いや、安心したというより、追い詰められていたような、そんな感じの胸のつかえがほろりと取れたような気分だ。

だとしたら、何から逃げているんだろうか。


小さくて弱いあの子を…、嫌わないであげて。否定しないであげてください…っ



どうして?

君は、確かに物理的には弱いかもしれない。
殴って、殴り返してくるほどの強さもないのかもしれない。

でも。

君が、君の心が強いこと。
僕は、知ってるよ。


君の恐怖する暴力を行使する僕を、最初はすごい目付きで見てきてた。
今思えば、僕にガン飛ばしてくる女子なんて君が初めてだよ。最初で最後なんじゃないかな。

でも、仕事をこなすうちにそれなりに打ち解けてきてさ。咬み殺すことについても黙認するようになった。
それどころか、僕が咬み殺した奴の手当てまでするようになった。見たくもないはずの傷を、一生懸命消毒するなり包帯巻くなりするんだ。
そうしたら、風紀の奴等は段々と彼女に馴染んできた。朝登校してきたとき、最初はガンの飛ばし合いだったのが、挨拶に変わって。
気に食わなくて、それからは彼女のいないところで制裁を実行するようにしてるけど。

馬鹿だよね…ほんと。君はそうやって周囲の人を惹き付けて、心を開かせていたんだろう?何事にも一生懸命取り組んで、理解に努めて、さ。
誰にでも優しくて、一度慣れれば人懐っこくて…まさかそれがあんなに大嫌いと豪語していた僕や風紀の人間にまで適用されるなんて。


一見鬱陶しいほどに明るくて世話焼きな南が抱える暗闇の大きさ。
僕にはそれがどれほどつらく重く苦しいものなのかは計り知れないけれど、きっと君から本来の笑顔を奪ってしまうようなもの。

考えてみれば、君は抱える暗闇が大きすぎる。その小さな身体じゃ抱えきれないほどに。
完治しない声、いじめられたという過去、そこから起因された様々な彼女のトラウマ。


抱え込みすぎなんだよ、あの馬鹿。
馬鹿、馬鹿。何度でも言ってやる、南羽無は大馬鹿者だ。


あの藍色の髪の男から僕を庇って、張り付けた笑みでお別れ≠セって?冗談じゃない。
君はもっと無邪気に眩しく微笑うのに。そんな、儚げな繊細な笑顔は、似合わない。


君は確かに、芯のある強い心の持ち主だろう。この僕が認めてるんだ、間違いない。

だからってね、無理して全部抱える必要はないんだ。
つらかったら、頼ったっていいんだよ。



そのかわり、またごめんなさい≠ネんて言って泣いたら、頬をつねってやる。



嫌いになんてならないから。

なれないから。


泣きながら行くくらいなら、帰ってきなよ。

無理矢理にでも連れ戻すけど。




だって、言ったろ?

君を改めて風紀委員会に入れたときに、




「もう逃がさないからね=v


って。




















「………」


暫くじっとしていたら、少し身体も楽になった。
ちょっとずつなら動かしても大丈夫そうだ。


ほぅ、と息をついて、ふと手のひらを見つめる。


この手は、トンファーを握る手。

弱者を血染めにしてきた、手。


でも、夏祭りに君と繋いだ手だ。

そして、

声を押し殺して泣く君の頭を撫でた手。



「…矛盾だね」


ゆっくりと、握って、開く。


どうしたら、
僕は君を嫌わないって、わかってもらえるだろうか。


南を、嫌わない。

南を、南……──




















「………羽無、」







確か彼女は、女友達のことは下の名を呼び捨てで呼んでいた。

そう、信頼し心を開いている友人には。



ならば、


呼んでやろうじゃないか。

君の名を、

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