「眼帯くんの世界は、何色?」 そう、幼い僕に言ったときの君の寂しげな横顔が、今も忘れられなくて。 14:弱い僕がいた 「世界の色…、ですか?」 幼かった僕は、純粋に意味が分からなくて、隣に座る栗毛の少女に問うた。 左右に結った髪をふわりと揺らしながら、うん、と頷く彼女。 「……真っ暗、の…黒。…ですかね」 思い浮かべた僕の世界≠ノ光が差したことなど一度もなくて。 真っ暗闇、例えるならそう、やはり黒。 いつも暇潰し程度に相槌を打っていたけれど、今回の質問は少々興味深く感じて、真面目に考えて答えたのをよく覚えている。 何故なら、彼女の表情がいつになく暗く寂しいもので、らしくないと思ったから。 「黒…かぁ」 「…他の色なんて思い付きませんよ」 「いいなぁ」 「…はい?」 「色が、あるんだね」 切なく微笑う隣の君に僕ははてなしか浮かばない。 自分で聞いておきながら、「色がある」とはどういうことだ。 問い質す間もなく、彼女は小さな声で呟く。 「あたしの世界はね、…透明なんだよ」 「……なんです、それ」 「透明なの。なんにも、見えないの…」 「……君、目は見えましたよね?」 「うん。…でも、見えないんだぁ…」 はは、と乾いた声で苦笑する。 僕は何も言えなくなって、そうですかと一言、彼女から視線を外し幻想の世界に目をやった。 すると、 「………っ、………、」 「!」 隣で泣き始めた。 表情こそ変えはしないものの、なんだなんだ、と僕は内心焦っていた。 しかも、嗚咽どころかしゃくりあげる音さえしない。 唇を噛み締めて、苦しげに震えながら、ぽろぽろと瞳から大粒の涙を溢すのだ。 「…、どうしたんです、急に泣いたりして」 「……っ」 聞けば、首をふるふると横に振って、そして両の手のひらで顔を覆ってしまった。 僕がこんなふうに言葉をかけるのも珍しいけれど、それよりもこんなふうに泣く人間は初めてだ。 …僕の世界≠ヘ、同じ年ほどの子供が泣き叫ぶ声と、大人の冷酷な言葉で溢れてる。 「…っ泣いて、ない…!」 「は…?」 「泣いて、ないの…っ、泣いちゃ、だめ…っだか、ら…」 「泣けばいいでしょう、何を意地張ってそんなこと言ってるんです」 途端、ごしごしと手の甲で目を拭い出した。 しばらくそうしていれば、落ち着いたのかふぅ、と息をついて顔をこちらに向ける。 にこり、綺麗に笑った。 「ほら、泣いてない!」 何を。 その真っ赤な目元はなんですか。 肩が震えてるんですよ。馬鹿ですねぇ。 「泣かないって決めたもん。人前で…」 「ほぅ?」 「心配も、迷惑も、かけたくない、し。いいの、あたしが我慢すれば、それでおしまいだから」 「かけられない、の間違いでしょう」 僕があっさりそう言えば、びくり、跳ねる体。ほらね、やっぱり。 「信用出来ないから、弱みを見せられない。…違いますか?」 「……、」 「…やせ我慢はやめたらどうです」 言えば、また潤い始める瞳。 弧を描いていた唇は途端に真一文字に引き結ばれ、眉尻は垂れ下がる。 「…クフ、ガキですねぇ」 「が、ガキって!眼帯くんもガキでしょ!」 「僕は君よりも大人です」 それでも尚意地を見せる栗毛の君。 僕はクフフ、と笑みを溢しつつ言ってやった。 「僕の隣には誰もいません」 「…?」 「泣き虫のくせに意地を張って我慢する生意気な女なんていません」 「なっ、」 「だから、 そいつが泣いたことも、僕は知りません」 僕の意図が理解できたらしく、彼女はぼろぼろ大粒の滴を溢す。 目を閉じてやれば、スイッチが入ったかのように、 「うわぁぁぁあああああん…っ!!」 時折咳き込みながら、ありったけの声を吐き出して泣く彼女。 彼女がこんな大きな声を上げるのは初めてのことで、それだけ常日頃から我慢していたのだろうと独り納得した。 暫くすると、あれだけ咽び泣いていたのが段々静かになってくる。 終わったか、と一息ついて目を開くと、 ポスン。 「……あの。」 「……すぅ…」 彼女が僕に倒れ込んできた。しかも、やや俯いて背を丸めていたらしく、肩に寄り掛からずそのまま膝の上へ。 長くて細くてふわふわしている栗毛が僕の足にかかる。結っているとはいえ泣きじゃくったお陰でボサボサに緩んでいたので、いっそのこと、と髪留めのゴムを解いてやった。 上から覗き込む少女の横顔は、先程よりも落ち着いたものに変わっていた。 真っ赤に腫れている目元についたままの光の粒を指で拭ってやる。身動ぎひとつせずに、すやすやと僕の膝の上で爆睡している。 羽無、と言っただろうか。 「………馬鹿ですねぇ…」 女の癖に、無理をしてまで背負い込んで。 何が我慢すればそれでおしまい、ですか。そのうち我慢しきれなくなって貴女がおしまいになってしまいますよ。 あたしの世界はね、…透明なんだよ なんにも、見えないんだぁ… 「………馬鹿は、苦手だったはずなんですけど」 最初、へらへら笑いながら話し掛けてくるこいつには苛々して何度も殺気を向けた。 本当にただの馬鹿に見えた。何の苦労もしたことのない、平々凡々をのうのうと生きてきた、無性に癪な存在に。 だけど、違った。 こいつはきっと、つらい分だけ笑ってた、それだけ。 何も知らない僕だから、悟られないように、また笑って。 馬鹿は馬鹿でも、可哀想な馬鹿だ。 僕と、…似ている。 膝に触れる彼女の頬から伝わる温もりが擽ったかった。けれど、同時に心地好かった。 初めて感じる、人間の温もり。 こんなふうに、あたたかいんですね。 「…っ、」 ぽたり。 少女の真っ白な頬に、雫がひとつ。 はっ、と気付いて目を拭う、手に付いた水滴を見る視界はもうぐちゃぐちゃで。 唇を噛み締める。ぼろぼろ、泣きたいわけでもないのに止まらない。 怖い。 僕が、僕でなくなっていく。 涙を流すと、自分も消えていくような、そんな感じがする。 もしかして、君も、泣くのは怖かったんですか? 意地を張っていないと、壊れてしまうような。 何かに負けてしまうような、そんな、恐怖。 僕は涙を流しながら微笑んだ。 「…よく、頑張りましたね」 君が傍にいるのなら、泣いてもきっと大丈夫。 僕は、それから少しだけ声を上げて泣いた。 涙も止まって落ち着いてきた頃、世界が遠ざかっていく。 嗚呼、もう目覚める時間か。また地獄の現実に戻るのか。 それでも、生を諦めずに耐えてみようと思った。 君がいる、この世界にまた来るために。 *** 「遅いですねぇ」 僕はベンチの背凭れに肘をついて頬杖をつきながら、先程彼女が出ていった出入口の扉をじっと見ていた。 犬が「ランキング王子れすか?」と聞いてきたので「いいえ、お姫様のほうです」と言えば「うえーっ、いいっしょあんなやつー、ほっときましょーよ骸さーん」。 酷く嫌そうな表情の彼を思わず足で蹴り飛ばすと、ぎゃん!と動物的悲鳴を上げて床に転がった。嗚呼、またそんなになって汚れて…。 「あまり羽無をぞんざいに扱うと僕が黙ってないですからね」 「うへーい」 横になったまま犬は似合わない思案顔をする。普段考え事をしない彼が渋面すると変顔にしか見えなくて笑った。 犬は「あっ!骸さん今俺の顔見て笑ったれしょ!」と牙を剥く。 と、ぴたり、動きを止めて僕をじっと見つめてきた。 「…なんです?」 「骸さん、なんれあの女「羽無です」…羽無「やっぱりいいです、僕以外の男が名を呼ぶのは癪だ」……続きいいれすか?」 「どうぞ?」 「…骸さんはなんれあいつのこと、そんなに気にかけるんれすか?」 「おや、分かりませんか」 たった今独占欲を誇示したばかりだというのに、気付かないとは。 犬も鈍いですが、あの子を越える鈍感はいないでしょうねぇ。 「羽無が好きなんですよ、僕は」 言ってみて、改めてじんわり愛おしさを胸に感じる。 羽無は大切。羽無は僕の片割れ。僕に必要な存在。 羽無が微笑えば僕も微笑う。羽無が泣く元凶は僕が砕く。君の隣なら、僕は自分をさらけ出すことができる。 本当に心から欲しいものはと問われたら、まず最初に彼女の名が出てくることは間違いない。 「骸さんが?」 「はい」 「あんなヘボくて弱っちい女を?」 「犬?」 「すんません、俺が悪かったれす。槍向けるのやめてくらさい」 「おっと、手が滑りました」 「ぎゃー!刺さるっ刺さるびょん!!」 床に勢い良く突き刺した三叉槍を、横に転がって避ける犬。全く、口の利き方には気を付けなさいと常日頃から言ってるんですがね。 「羽無は弱くないですよ」 「へ?」 「僕よりも、強い」 転がった勢いで起き上がり胡座をかいて座する犬が首を傾げる。 顔には「骸さん何言ってるびょん?」の文字が良く見えた。 くすり、自嘲の念を込めて薄笑い。 「僕は、きっと彼女に死ねと言われれば何度でも死ぬでしょう」 「なっ」 「でもそんなこと願っても言わないのが彼女だ。優しすぎますからね、あの子は」 「…いつからの知り合いれすか?」 「クフフ、そうですねぇ。…3年ほど前のことでしょうか、羽無は精神世界に迷い込んできたんですよ」 「…なるほどー、だから俺らは知らねーのに骸さんは入れ込んでるんら」 「あの子は、全てを背負おうとする健気な心の持ち主でしてね。自分のことだけじゃない、人の心の暗闇までもを肩代わりしようとする」 「うへー、それあつかましくないれすかー?」 他の女ならば、僕もそう言ってはね除けていたでしょうね。おこがましい、と。 ですが羽無は、同情的でない。 じゃあ、あたしと一緒だね 自分と同じだから。 形は違っても、共有出来る痛みだから背負う。 そして自分の痛みは誰にも見せない、背負わせない。それが自分に出来る責任の取り方だからと言って聞かない、そんな子供染みていて芯の強い心の持ち主。 言ってしまえば、頑固なんですよね。 だからこそ、僕は彼女の傍にいたい。 最後の頼みの綱にしてほしい。 いざとなれば、彼女を苦しめるものを、それらを生み出し育む世界さえも破壊し征服者となってやる。 君がいないと僕が欠けてしまうように、僕がいなければ己の足で立つことも出来ないようになってしまえばいい。 僕という存在を、君のDNAに刻み込んで、必要不可欠にしてしまいたい。 そう、これはすべて僕のエゴイズム。 「骸さん、ならどーしてマインドコントロール使わないんれす?」 「おや?どうしてですか?」 「使えば得することいっぱいだびょん。あいつボンゴレの連中とつるんでたんれしょ?」 「あぁ…、クフフ、いいえ。僕は羽無と彼らを結び付けて考えてはいません」 「???」 「彼女はあくまで利用するために連れてきたわけではありませんから」 「どーゆーことれす?…それじゃただの足手纏いっしょ」 犬だけではない。千種も、戦力にならないどころか力を恐れる羽無を昨夜僕がわざわざ迎えに行ったことに疑問を感じて首を傾げていた。 まだ君たちには早いですかねぇ、恋慕という感情を知るのは。 利益の有る無しで計るものではないんですよ。 傍にいてくれること。それを一番に渇望し、共に在ることを願う。 それだけで、一喜一憂出来るんですよ。 僕も初めは知らなかったし理解する気もなくて、彼女に教えてもらうまではつまらない下らない感情だと言い捨てていましたから、分からなくもないですがね。 [prev] [next] back |