一度学校に戻り、被害状況の書かれた書類を見るため応接室に立ち寄った。
そこには今回の事件で被害に遭った風紀委員や生徒の名前、それから発見された時刻と場所、意識が戻って記憶していたやつから聞き出した襲われた時刻などが最初の一人から順番に記入されている。


「……、当たりだ」


襲われたやつが発見された時刻と場所を脳内で並盛町の地図と照らし合わせながら順に追っていく。
毎日見回りをしているこの町の道順や店の並びなどはわざわざ紙の地図を開かずともしっかり把握しているのだから雑作もないことだ。


点と点を結ぶようにして、犯人が歩いたであろう道筋を辿る。すると見事に土日のどちらも最後には黒曜ヘルシーランドの方向にそれが続いている。
自分で答え合わせしたことにより信憑性の高くなったあの女医から受け取った唯一の情報に間違いはなさそうだと思った僕は、逸る気持ちを抑えながらやや早い足取りで学校を出た。

すると校門から少し離れた通学路である歩道を歩く小動物こと沢田綱吉を見つけた。脇のブロック塀の上を歩く赤ん坊と話しているようだった。
そのまま通り過ぎても良かったけれど、そういえばこいつ南の同級生だったと思い出して、何か連絡されていないかと聞いてみることにした。

近付くと彼らの会話がやはり土日の間の事件についてだと分かると、少し歩幅が大きくなってしまう。


「ヒバリさん!!」

「ちゃおっス」

「いや…ボクは通学してるだけでして…決して悪口とかは…」

「身に覚えのないイタズラだよ……こっちはこっちで別件で取り込んでるっていうのに」

「…?」

「もちろんふりかかる火の粉は元から絶つけどね」


今からその元凶が居座ってるアジトに乗り込みに行くんだけどさ。

話は変わって、南について尋ねようかと思ったその時だった。僕の携帯が鳴った。
一瞬南からかと思って若干慌てながらポケットから携帯を取り出すと、画面に表示された名前は草に壁。思わずため息をつきたくなる。
確かあいつは今僕と入れ替わりで病院に入って、襲われたやつに事情を聞いて回っていたはず。
とりあえず通話ボタンを押して携帯を耳に当てる。言わずもがな機械越しに聞こえてくるのは可愛らしい鈴の音のようなあの声ではなく、年の割に老けた渋い声。やっぱりため息をつきたくなった。

『委員長、昨夜襲われた者にも聞きましたが、犯人の特定には至りませんでした』

「うん。……南は?」

『依然として行方不明のままです。担当医のもとも訪れましたが、やはり口を割りません。分からないの一点張りです。…それから、新しく被害に遭った並中生が運ばれました、名は笹川了平、ボクシング部の主将です』

「………そう。わかった」


そこで電話を切る。水湖医師にはもう用はない。僕が痺れを切らして直々に向かってかなり有力な情報手に入れたからね。
さっき病院から戻ったばかりではあるけれど、もしかしたら僕が学校に帰ってくるまでに戻って来ているかも、と思って聞いたけれどそんなことなかった。

気付けば立ち去ろうとしている沢田の背中に声をかけた。


「君の知り合いじゃなかったっけ」

「!」

「笹川了平。……やられたよ」


そう告げてやれば、一気に青ざめて学校は目の前だっていうのに来た道を全速力で引き返す小動物。大方そのまま病院まで突っ走るつもりだろう。
パタンと閉じた携帯を再びポケットに入れ、僕は彼とその肩に飛び乗って付いていった赤ん坊とは正反対の方向へ歩き出した。


沢田綱吉。…本当なら目の前でサボりを実行したとして制裁対象になるところなのだけど、今回ばかりは見逃してやろうと思う。

僕も一々構ってられる場合でないし。何より…

今の彼の心情が分からないでもないから、だ。


さぁ、一暴れしてやろうか。

そう意気込んで、ぺろりと舌で唇を舐めた。無意識に口角が上がる。





帰ってきたら、目一杯意地悪してからかってやるんだ。


泣かれようが怒られようが構わない。



僕が今一番必要としているのは、君が隣にいること。それだけだから。

表情のころころ変わる君のことだから、どうせ泣いても怒っても次の瞬間には笑ってるんだろう。


嗚呼、久しぶりに早く会いたい。
実際には一週間しか経っていないのだけど、何ヵ月も顔を見ていないような気分だ。





会ったら、まずは叱ろう。


それから、頭を撫でてやろう。



そして、伝えよう。




僕の気持ち。


好きだよ、と。




そばにいて、と。





儚く笑う君が思い出されて、胸の奥の掴めない部分がくしゃり、と痛んだ。



***




脇から飛び出てきた大男。斧を横に一薙ぎしてきたのを身を屈めて避け、腹に一撃食らわせる。そのまま勢いで吹っ飛ばした。
ヒビが入って脆くなった硝子戸に当たり、そのまま砕き割って向こうに落ちる。動かないあたり今ので気絶したようだ。
埃臭い建物にも慣れてきた。足元に散らばる硝子の破片を踏み潰しながら進む。


「やあ」

「よく来ましたね」


奥のソファーに座り、膝に肘をついて掌を組むその男。声音から僕と然程年は変わらないようだ。ここに来るまで咬み殺した奴らは黒曜中の制服を着ていたから、こいつも黒曜の生徒かもしれない。


「ずいぶん探したよ。君がイタズラの首謀者?」

「クフフ、そんなところですかね。


そして君の街の新しい秩序」

「寝惚けてるの?並盛に二つ秩序はいらないよ」


こんな事件起こすからどんな柄悪いやつかと思えば、細身の優男じゃないか。生憎陰で顔は見えないけれど。


「まったく同感です。僕がなるから、君はいらない」


見下し嘲笑うかのようなその言葉に腹の奥底がずしりと重くなる。沸々と湧き起こるそれを、いつもより低い声音に乗せた。


「それは叶わないよ。君はここで…



咬み殺す」


その時だった。



「っ!!!?」

「………、」

「おやおや、寝ていなさいと僕は言ったはずですよ?」

「むく、…ろは、……ってて」



カタン、と物音がして、ふらりと僕と犯人の間に立ったその人物。
僕は呼吸も忘れて目を見開く。

薄手の服の裾から伸びる手足に痛々しく巻かれた包帯。白い肌に目立つ青痣、細かい傷にガーゼが貼られた手の甲。
傷なんて見慣れてるのに。どうしてこんなにも、目を逸らしたくなるんだろうか。それなのに体は言うことを聞かない、僕は硬直したまま目の前の彼女を見た。


掠れたその声が、痛く胸に、鼓膜に滲みる。
からからで上擦ったような、いつもよりおかしな声質のそれを聞くたびに、彼女の声帯は限界なんだと悟る。



「……ばり、さ…。おひ…し、ぶり…すね」



脳裏に浮かんでいたものよりずぅっと儚く微笑いかけてくる君に、僕は触れたくなる衝動を必死になって抑えた。







「………………、


………南…………」



彼女が一歩、僕に近付く。
陰から現れた表情。

悲しそうに、目を細めていた。




「いっかい、しか…いいませんよ」


声を出す度につらそうな顔をする南。そういえばあの女医が言ってた、何も投薬していない状態で喋り続けたら、治らなくなるほど悪化してしまうと。
いつものように声を出すな、と言いかけて、逆にこんなにもつらそうな表情をしてまで伝えようとしている彼女の思いをしっかりと受け止めてやりたくなった。

構えたトンファーを降ろしそれとなく僕の陰に隠す。
ここに来るまでに咬み殺した奴らの血液で塗れている得物をわざわざ彼女に見せるほど僕は悪趣味じゃない。


全神経を聴覚に集中させて、その掠れ掠れの声を拾うために視線も彼女の唇に合わせた。



「……かえっ、て。ください」




いやだ。

咄嗟に出た言葉。
それを聞いて南は、予想していたけれど、と言いたげに悲しく微笑った。



「かえって」

「一度しか言わないんじゃなかったの」

「……おねがい、です…から」

「嫌だ」

「……ね、ひば…りさ、」

「……」

「もう…っ、こなくて、いいか…らっ」



目にそんなに涙溜めて、何言ってるんだよ。
声が出なくても、唇はひたすらにかえって、と繰り返し言葉を紡ぐ。

ふざけるな、誰が帰るか。
今にも泣きそうな顔で嘘ついて、バレないとでも思ったのかい?


その瞳の色が、行かないでって。ごめんなさいって、許してって。いっしょうけんめい、僕に訴えかけてるのを、見逃すわけ、ないじゃないか。


「…薬、」

「っ、」

「ないんだろ。無理に喋るなよ」

「………っぅ、」


ひくり、息を呑む南。涙の膜が瞳の上に張って、ゆらゆらとその深い茶色の眼を揺らす。

それきり、俯いて喋らなくなった。しゃくりあげる声も嗚咽も聞こえない。肩が震えている、きっと唇を噛み締めて雫が溢れるのを抑えてるんだ。


つい、頭を撫でたくなって手を浮かせる。けれど、そこに握られた得物の存在を思い出して止めた。
夏祭りの日も、君はこうやって俯いて、声を押し殺して泣いたね。


するとさっきまでソファーに座っていた男が立ち上がって南に歩み寄る。
「だから寝ていろと言ったんですよ、馬鹿ですね」そのまま彼女の頭を数回撫でた。柔らかい髪の毛がさらさらと男の指によってかき混ぜられる。それを見てずきりとまた胸のあたりが痛くなった。
今日は胸のあたりが痛くなることが多いな、これは何て言う病気だろうか。


男は撫でていた手をそのまま後ろから回り込むような形で南の目の辺りに当てる。頭を抱え込むような状態だ。
耳元で何かを囁く。すると彼女の全身から力が抜けて、かくり、男の腕の中に収まる。
つきん、痛む胸。これは、なに?


「何をしたの」

「一時的に眠ってもらっただけですよ。この子がいると色々と計画に支障が出ますからねぇ」

「……返せ」

「おや?帰れと言われていませんでした?」

「邪魔なんだろ。その子、貰ってあげるよ」

「それはいけませんね。この子を物扱いされるのは」

「物扱いなんてしてない。…早く、返して」



なんだろう、こいつを見ていると、こいつと話していると…全身の細胞が疼く。嫌悪感が骨の芯から溢れてくる。すごく、すごく気分が悪くなって、苛々を抑えられない。
無意識のうちに声のトーンが下がっていた。怒りを滲ませたドスの利いた声音が僕の喉の奥から堪えきれず洩れだしてくる。


「…ねぇ」

「はい?」

「その子を、連れ出した理由って、なに」

「理由、ですか…、


クフフ…、約束。とでも言っておきますかね」

「はぐらかすなよ」

「おやおや…君もこの子にご執心ですか。まったく、困ったものだ」


軽く南を横抱きにすると、男はさっきまで自分が座っていたボロボロのソファーに彼女を移動させ、静かに下ろした。

…も?

他に誰かいるのだろうか。静かすぎるここには、僕と目の前の二人しか見つからない。


「腹立たしいですねぇ…何も知らない君如きが彼女のことを知った風な口を聞くなんて」

「それはこっちのセリフだよ。並盛の風紀を乱しておきながら、誘拐まで…立派な犯罪者だね」

「誘拐とは人聞きの悪い。言ったじゃないですか、僕と羽無は約束をしたんですよ。僕が迎えに行ったら、共に歩むと…ね」

「意味わかんない。何、君電波?それとも妄想に取り憑かれたの?」

「クフフフフ、随分とお喋りですね。」

「……君とはもう口をきかない」

「どーぞお好きに。ただ、今喋っておかないと二度と口をきけなくなりますよ」


嫌なやつ。

やなやつ、何から何までやなやつだ。
僕は口をへの字に歪めて、目の前の男を睨み付けた。楽しそうに嘲笑うそいつに、腹の底がふつふつと沸き上がる。


と、それ以上の不快感が僕を襲った。


「っ!」

「んー?汗が吹き出していますがどうかなさいましたか?」

「…黙れ」


身体中がだるくて重たい。熱っぽい頭で、いつだったかも感じたこの奇妙な感覚の原因を記憶から手繰り寄せる。
意識がふわふわする。それに反比例して体は重くなっていく。ぐらり、傾きかけた身体を、踏ん張ってなんとか立たせた。


「………っ、」

「せっかく心配してあげてるのに。ほら、しっかりしてくださいよ。僕はこっちですよ」

「……、」


口を開くと、憎まれ口より先に熱い呼気が吐き出される。頭がくらくらする。嗚呼、この感じは、確か…そうだ。


「本当に苦手なんですねぇ」

「っ!!」

「君のために急いで取り寄せたんですよ。この美しい…



桜を、ね」


がくり。

膝がくだけて床につく。なんとか気力で倒れるのだけは防いだけれど、膝立ちしている今も、少し気を抜けば力無く倒れてしまいそうだ。


ボヤけて見える視界に立つ男の顔が漸く日に当たり見えた。


藍色の髪の、異色虹彩の男。
稲妻模様の天辺にはヘアスタイルなのかフサのように髪が束ねてあった。
(いや、あれは癖っ毛とかそういう類なのかもしれない。髪をしばるゴムとか見当たらないし)


だるくて上がらない腕の代わりに、精一杯睨み付けた。すると、頬に強い衝撃。
意識が飛びかけた。奥歯を噛み締めてなんとかそれを手繰り寄せ留める。
殴られた勢いで僕の体は意図も簡単に倒れた。


「眠っているとはいえ羽無のいる傍らでこういうことはしたくないのですが…クフフ、仕方ありませんよね」


変な笑い方をしながら僕を殴り蹴りするそいつに対する怒りや屈辱的な思いよりも、


「(そのまま、寝てて)」


どうか、目覚めないで。

君の前の僕はせめて、強い男でいたいから。
為す術もなくやられてる僕なんてらしくないだろ。
それに約束したんだ、君の前で暴力を使うようなことはしないって。



だから、どうかそのまま。



祈るような思いで、視線だけは彼女に向けて。
僕の視線の先に何があるのか気付いた男は、不快感を露にした表情で横たわる僕の頭を踏みつけた。


次に来る衝撃に耐えるために奥歯を噛み締める。

怒りと、悔しさと、君への切ない思いがぐちゃぐちゃにまぜこぜになった味がした。



頼むから、目を開けないで。

音も聞こえない方がいい。

そのまま、深い深い眠りに、ついたままでいて。






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